台風前昼

 

大阪は午前中から暴風警報が出ているが、時折、陽がさしたりして青空も見える。着実に台風は迫っているとは思うが、もう何十年も、まともに台風がやってきたことがないから、今回もどうせ大したことはないと高をくくってしまう。

半世紀ほど前のことだが、その頃住んでいた家は、木造中二階建てで、通りに面するところは出格子になっていたので、台風がやってくると、その上に大きな戸板を打ち付けた。それは父親の役目で、近所の人たちも同じ時間に同じような作業をしていたので、大人たちは皆、お互い手伝ったりしていた。板に釘を打つける金槌の音が、近所に溢れた。

家の中では母親がロウソクやおにぎりの準備をしていた。そんな非日常に、不謹慎ながらわくわくしたものだった。で、台風は本当にやってきて、風は吹きすさび、家はガタガタと揺れる。停電もした。家族は、ロウソクを囲んで、おにぎりを頬張りながら、台風が通り過ぎていくのをじっと待った。台風が過ぎ去った頃、近所の男たちはステテコ姿で表にでてきて、空を見上げる。何やら談笑した後、戸板をはずす作業が始まる。そんなセピアなシーンが思い出される。

でも、子どもの頃を過ぎると、いつのまにか台風はやってこなくなった。いつも大阪の手前でどこかにコースがはずれてしまう。住んでいる家も、コンクリートの集合住宅になったので、ベランダを簡単に片付けるだけで、なんの準備もいらない。なにも協力しあう必要もない。サッシを閉めたら風の音もほとんど聞こえない。台風だからといって、家族も集まらない。

僕の周りには台風が来なくなったのではなく、見えなくなったのだろうか。

壊されていく憲法

強行採決されていくだろうなってことは、わからんでもない。今までの、たとえば秘密保護法やいわゆる戦争法なんかも強行採決されてきたけど、日本に暮らす一般人は、それらの法律に関して、今のところなんら影響を感じてないので、パープリンな人たちは、「ああ、またサヨクどもが反対してる、危険ばかり煽りやがって」ぐらいな程度にしか受け止めていないだろうなってことは容易に想像できる。

この日本人のパープリンさは、従順な日本人の気質やら、明治維新での西洋に対する抑えきれないほどの憧れから突き進んできた似非文化的社会の創造やら、敗戦後も本質は変えることが出来ずにきたこの社会やら、そのうえでの日本型教育方法の歪んだ成熟やらに起因するんやろうなって思う。

その教育に関することで端的に現れているのは、例えば大学の中学校化。遅刻も欠席もせず大変おりこう。入学式や卒業式に親が参列???就職活動だってみんな同じ黒のスーツ。入社式に親が参加する会社まで出てきた。中学校においても、数十年前よりは、生徒たちはどれだけ締め付けに慣らされていることか。反抗する生徒が減っている。きっと心のなかでは悲鳴をあげているんやろうけれど、みんなにとりあえず合わせていたら、これ以上悪くなることないって感じの諦めや我慢?そう、日本人は我慢強くって、それが美徳ってことが、遺伝子に刷り込まれているのかもな。なんか気持ち悪い近未来SF的なことが現実化されているみたい。

そんな社会なら、今の憲法も重要視されないのも当然かもな。この流れで憲法も壊されていくんかなぁ。

恩師

小学校の時の恩師が、酒の飲み過ぎでぶったおれてケアハウスに入所してしまったので、今日、訪問してきた。なんと、ぶっ倒れる前から2〜3年遡っての記憶が消えてしまったらしい。そして倒れてから5ヶ月半ほど意識を失っていたらしいので、どんなけ酒呑んでたんやという感じだ。さすが我が恩師。僕はそんな不完全な人が好きだ(笑)。でも、この先生には、ものの考え方を教えてもらったように思って感謝している。

「お前らが使ってる電気やけどな、その電気を作ってる発電所ではな、命を削りながら仕事してはるんやぞ。だから大事に電気を使え」と、あのゲバゲバ90分の全盛期、大阪万博の頃に教えてもらった。その意味が50歳を迎える頃に分かったのだから、教育のダイナミズムを実感させられた。

「お前らが履いてる靴下、穴開くやろ。でもな技術的に穴が開かないような靴下は作ることが可能やねん。なんでかわかるか。穴あかんかったら、靴下が売れへんからや」そんな話を昭和40年代に僕らは聞かされていた。

ある日、ゴミ箱に給食のコッペパンが捨てられているのを先生が気づいた。「どアホ!誰じゃ、たべモンを粗末したやつは!!!」と激怒し、捨てたやつがおもいっきりしばかれた。戦中戦後の食べ物がなかった時代に育った先生は、食べ物を粗末にすることが許せなかった。そんなことも、今の僕に染み込んでる。

先生が伝えたかった結晶が僕の身体の中に散りばめられているようだ。教育ってそんなもんやろなと思う。文科省が決めたことをやるだけでは、不完全だと思うし、文科省が決めたことを全部やらなくても教育は成り立つ。その時だけの点数なんて、ほんまに意味のないこと。

さべつ

誰に教わったのかよく分からないけれど「いじめ」とか「さべつ」があかんってことは、本能的な部分で感じ取っているような気がする。あ、でも、いじめやさべつを自分がしたことがないという意味ではない。多分にしてきたと思う。幼い頃は何も考えずに無邪気にしていたかもしれない。でも、心の何処かで、ひっかかるものがあるから、いまだに覚えているのだろう。本来「いじめ」とか「さべつ」はしている側も居心地が悪いものだと思う。それは人としてまっとうに生きてきたらの話。でも、無邪気な時期に、大人が堂々と「いじめ」や「さべつ」する側にたって教育したら、どんな人間ができていくのだろう。そんなことを考えると、血圧があがって、もう吐きそうだ。なんで、こんな世の中になってしまったんやろ。

ブラックか?

昨日、アーサー・ビナードさんの講演会の打ち上げで、つ●は●という店に行ったのだけれど、団体客がたくさんおって超満員で、店員を呼んでもなかなか現れないし、当然注文してもなかなかこない。

最初の乾杯さえも、少しずつ飲み物がくるので、始めることもできない。いらいらするのだけれど、よく見ると、高校生ぐらいの女の子が一人で3つの団体の60〜70人を相手に、奮闘している。なんか見ててかわいそうになるぐらい。

「大変やな。目まわりそうやな」と声をかけると「はい!ありがとうございます」と笑顔で返答してくれる。もうしゃ〜ないから、みんなの注文聞いたり、飲み物や料理を運ぶのを手伝ってあげた。どうせ大人数で騒がしく、隣の人の声ぐらいしか聞こえない状態だったし、お手伝いに専念した。おかげで、ビナードさんとは一言もしゃべれんかったわ(笑)。

宗教嫌い

人智で推し計ることが出来ないことは、この世にあると思う。だから神や仏は否定しないけれど、宗教は嫌いだ。宗教の所為で争いが絶えないのか、いや、争いの種に宗教が利用されているのだろうか?罪滅ぼしのための宗教か、だから人殺しができるのか?身勝手な贖罪ではないのか。

宗教などどうせ人が作り上げたもの、それぞれの個人の中で成就すればいい。政治などに口をはさむなど論外であり、そんなことは日本国憲法違反である。

日本のとある宗教を信心する人たちが血道をあげるとある政党。一部の信者の方たちは、その政党の間違いに気がついているようだが、宗教とは恐ろしいもの、その呪縛からなかなか逃れることができなく苦しんでいる人もいる。Def TechのMicroもその一人のようだ。最大与党の暴走を止めるためにその政党が存在するということを信じようとしている。だったら安保関連法に賛成するはずがないということを何故理解しようとしないのだろう。

彼がその宗教の信者と知ったのは最近だ。そのことはどうでもいいのだが、政党に対する理解がその程度だと分かってからは、彼らの音楽を聴いてもどこか心が解れなくなった。悲しい。

ならんやろ

おそらく年収はウン千万以上はありそうな自営業の友人(おそらく維新支持者)と、「このままじゃ戦争にまきこまれるで」というような話をしたら「ならんやろ」と言われたことがある。

そうなんかなぁ。そりゃ、戦争にならんにこしたことはないが、すでにズタボロの憲法に安倍がトドメを刺そうとしているのが、今度の選挙なんやろし、自民の憲法草案のようなものがまかり通ってしまうのなら、戦争もありうるやろ。大義名分のもとの殺し合いなんて、世界を見れば珍しくもないのだから。

この写真を見て、どう感じられるか。自分の子や孫がこんな状況に陥ることを想像できるのかどうか。本当に想像したら気が狂ってしまうから、ほんの少しだけ共感してみても胸が苦しくなってしまう。

なので、どうか自民公明維新に投票する人がひとりでも少なくなればと願うばかり。

「風が吹けば桶屋が儲かる」はかなりバタフライエフェクト的であるが、仮に「自公維に投票すれば棺桶屋が儲かる」と表現すれば、それはあまりにも明白すぎるではないか。

誰が飲ませた?

病院で待合室にいると、ひとりのおじいちゃんが入ってきた。
足取りもちょっと不安定な人だった。
僕はしんどかったので、壁に持たれながら目をつむっていたが
気配を感じたので、うっすら目をあけるとその人の手元が目に入った。
財布のチャックをしめるのに手間取っている。手先が震えている。
視線も感じたので、顔を見ると僕と一瞬目があった。
手助けを求めているのかと思っていると、視線がそれた。
よくみると、絶えず顔が動いていた。
正面を見たり、下を向いたたり、目をぎゅっと閉じたり開けたり、顎を突き出すように口を閉じたり、笑うように頬が引きつったり、舌がでたりひっこんだり、一連の動きがループして止まっていない。

看護婦さんに名前を呼ばれたら、かなり大きな声で、発作のように
「はい!はい!」と返事している。
中待合室に入ったけど、中から声が聞こえてくる。
「●●さん、ひさしぶりやね。今日はどないしはったん?」
「はい!はい!夜ねられへんから、薬ほしい」
「●●さん、長谷川さんとこ行ってはるやろ?そこでお薬出ないのん?」
「夜寝られへんから薬ほしい」
「どんな薬もろてるか、わかる?今日、薬の袋とか持ってはる?」
「もってへん」
このあとは、どうなったのか分からない。
長谷川という病院に問い合わせたんやろうか?

この話を知人にすると、その症状は「ジスキネジア」ではないかという。
抗精神病薬の副作用であらわれる症状らしい。

なんか悲しくなった。
このお年寄りはどんな方なのかはまったく知らないけれど
長年生きてきて、晩年にこのようなことになっていても
病院に付き添う人がいない。
そのうえ、このような症状が出るまで
放ったらかしにしている医者も、なんや?
知識ある人がちょっと聞くだけで、副作用って推測できるほどの状態。
なんでこうなるまで、薬を飲ませたんや。
ほんまハラもたつ。

告別式

声明は橙色と金色にたちのぼりゆくこんな晴れた日に  門哉彗遥

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今日は伯父の告別式だった。
この半年間に父、伯母、従姉妹、伯父と4人も亡くなっている。もう1年さかのぼると義父も加わることになる。大方は昭和一桁代なので、もうそんな年齢だから仕方ないことではあるが、残されていく同世代の人たちはその度に老け込んでいく姿がしのびない。とは言っても「死」はいつ誰に訪れてもおかしくはなく、「死」は常に近づいてきている。

「これは凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。(略)現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか? 全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」
〜「何もかも憂鬱な夜に」(中村文則)〜より

伯父は16歳で父を亡くし、長男として僕の父をはじめその他の兄弟姉妹を養い、その役目を果たしてこられた。そして今、無事終えられ、その次の世代に譲られたということだ。お疲れ様でした。

小宮くん

昨日、卒業以来初めての高校の同窓会に出席した。
実は、卒業して以来、いつも心のどこかに残っている人物がいる。
小宮幸一くんだ。一年中のほとんどを黒いコートを羽織り、髪型は昔の井上陽水のようにアフロのような天然パーマ、そして無精髭。話す言葉は福岡弁。休み時間はたまに誰かと話をしていることもあったが、読書をしていることが多かったように思う。僕も彼からいくつか本をすすめられて読んだことがある。そして、自分なりの考えをもった人で、彼が納得できないであろうことは、誰に対してでも抗議をしていたので、学校の教師からも煙たがられていた。

そんな彼のエピソード。
体育の時間のこと。授業内容はサッカー。2クラス合同で授業を受けていたので、クラス対抗となった。それぞれのクラスで2チームができる。横2列で並んでいたので、前列は前列どうし、後列は後列どうしで対戦する旨を先生から伝えられた。その時にサッカー部のMくんが、前列と後列の一部を入れ替えようとした。戦力を片方の列に固めたかったからだ。サッカーが苦手なものはもしかしたらプライドを傷つけられていたかもしれない。少し頬を染めて困惑顔をしていたかもしれない。でも勝つためにはそのほうがいいのかもしれない、足をひっぱるよりはいいだろうと自分で自分を納得させていたかもしれない。声をかけられた者は列を入れ替わろうとしていたその時、「なんばしょっとねん!」と大きな声で抗議をした。その後は、一触即発状態になったか、殴り合いにまで発展したかどうかは記憶はない。でも、僕は心の中で拍手を送っていたのを覚えている。

ある昼休み時間のこと。渡り廊下のところで女の子たちのキャーキャーを叫ぶ声が聞こえた。近寄っていくと、Yくんが裏山から獲ってきた蛇を振り回している。その蛇を廊下に叩きつけたりもしている。それを周りでみんなが大道芸人を見るように見ていたのだ。そこへ彼が「なんばしょっとねん!」と駆け寄ってきた。そしてその蛇を奪い取り、泣きながら裏山へ消えていった。強烈に脳裏に焼き付いてるエピソードだ。でも、そんな彼に僕は声をかけることも出来なかった。

小宮くんは、3年の後半、学校に来なくなって、おそらく中退した。
小宮くん。君はいまどうしているのか。
会いたかった。

だいじょうぶかな

「おじいちゃん、おじちゃん、目開けて」と
お袋が親父の頬をたたく
うっすらと目をあける

ひ孫を連れて行った
2歳のひ孫は首を振って、怖そうに泣き始める
「いやー、いやー」と

お袋が親父の目ヤニを拭こうとしても
もう親父は怒らなくなった
ほんの少し嫌な顔をするだけ

点滴の針がなかなか入らなくなってきた
もう骨と皮だけになっているのか
「いつになったらご飯たべさせてくれるんやろう」
とお袋がいう

帰る頃には少し慣れたひ孫
「バイバイ」と親父に手を振る
親父もかすかに「バイバイ」という

もうすぐ台風が来る
台風が去れば梅雨があけるらしい
暑くなるんやろうな

だいじょうぶかな
親父

足下の宇宙

二人は泣いていた
とりあえず乾杯しようと
ビールのジョッキをあわせた
そして抱き合った
キスもした
こんなこと、初めてだなって思った

実家の通り庭に立っているはずなのに
二人の足元には、見てはならないような
深い深い闇なのか宇宙なのか
そんなものが広がっていた

母は一瞬だけ見て目をそらし
ああ、こわいと呟いた
僕は悲しいけれど嬉しかった
だって亡くなっても意識があるんだって
分かったから

そこで目が覚めた
上を向いて寝ていたせいか
目の上に涙が溜まっていた
朝かなと思ったらまだ一時半
なんだか吐きそうな気分
お腹もぐるぐるいってる

そういえば今日の仕事の帰り地下鉄で
エスカレーターに向かって歩いていると
人の流れとはあきらかに反対の方向から歩いてくる男と目があった
まさかエレベーターを逆方向に降りてきたのか
訝しながらすれ違ったことを
何故かいま思い出した

ああ眠れなくなった

そう、乾杯の前のシーンは
母が父の肩を片手で叩きながら
何か歌っている
二人は半透明だった
僕も一緒に歌っていたけど
どんな歌なのか思い出せない

 

濃い一日

午前中、MRIなどを撮影して、わが肺は正常であることが判明。
「癌やったら仕事やめて旅行に行こ!」って嫁さんに言っていたが、旅行はお預けになった。

午後は入院している親父のところへ。
オカンに散髪を依頼されたので、バリカンで親父の頭を散髪。
そんなに伸びてはいなかったけど、丸坊主にする。
「ああ、きれいになったわ」とオカン。
親父の今日の顔色はとても良い。
「どこの温泉来てるねん?」と親父が言う。
旅行に来ている気分になっているから、顔も穏やかなんやろか?
「帰る」と言い出して、パジャマのボタンをはずそうとする。
もう温泉から家に帰ると言っているんやろか。
「また来るからな」と言って病室を出る。
振り返ると、ゾウガメのような親父の顔が見えた。
帰り道、帰りたいと言っている親父が可愛そうだとこぼす。

夜、我が家に来ていた孫が、座椅子ごと転倒する。
そして顔を棚の角にぶつけて目の横が切れる。
娘である母親は、職場の食事会で今夜はいない。
「ママー!ママー!」と泣き叫ぶ中、いろいろ電話であたって
とある病院へ駆け込む。
処置室で、拘束帯にしばられて、2針縫った。
処置室から「ジージー!バーバー!ジュース!」と叫び声が聞こえる。
処置が終わって部屋から出るとき、先生たちにバイバイと手をふる孫。
「ありがとうは?」というと「ありがと」と言う。
他に待ってる患者さんやガードマンや事務の人、いろんな人に
手を振りながら病院から出て行く。

今日は他にもソーシャルワーカーの人とも話をしたし
とても濃い一日だった。
孫が処置室から出てきた時に最初にしたことは
大きなため息だったけど、
僕も今日はため息をして、一日を終わろうっと。

はぁ〜〜〜。

全国学力テストも内申点に!

中学校のランク付けが始まった。今回のテストの平均点がHPにそれぞれ掲載されるそうだ。学校選択制も始まっているので、これで来年は、1点も高い中学校に入学したい保護者が増えるだろうな。だって、学校の平均点で内申点の基準ができる(たとえば平均点が低い学校は、極端なことを言えば、内申で5をとっても、入試の成績としては4.5とかになるというような基準。)そうだから、平均点が低い学校に行けば、高得点者は不利になるというわけだ。こうして教育格差ができ、分断が始まる。点数が高い中学校はさらに高くなり、低い学校はさらに低くなる。そして高得点者は、足をひっぱる成績不振者に冷たい目をむける。そして平均点が高い学校には生徒がおしかけ、運動場が狭くなり、運動不足になる。平均点の低い学校には、馬鹿な為政者たちがはっぱをかけ、点数をあげなければ予算を削るなどと言い出すだろう。ますます教員たちは追い詰められ、心の病気で休む者が増えていく。そして終いには、教員の首切りが始まり、公教育が売り飛ばされることだろう。

愚痴

今週無茶苦茶忙しかった。なんかプールのそこをずっと潜水してたような感じ。同僚たちも「しんどいしんどい」と言いながらも頑張ってはるわ。早朝に家を出てから家にたどり着く夜までほとんど休憩なし。ゆっくり出来るのは電車の中だけ。朝が早いんで、途中からなんとか座れる。でも職場ではゆっくり茶を飲む暇もない。当然、昼ごはんもまともに食べられない状態。わしは元々昼は抜いてるけど。しかしほんまどうでもええ仕事が増えた。あれせよ、これせよと強制される。いろんな処理が紙ベースとコンピュータの2本立てになって、データ入力に追われる毎日。わしらの仕事って、そんなことに血眼にならんなあかんのか?そう言えばゴミ処理もせなあかん。ゴミ置き場に行って、ホコリかぶりながらしてる。なんでこんなことまでせなあかん?給食もなんか辛い時間帯や。あまり楽しそうにないで子どもたちは。なんでもトップダウン式になったから、わしらはナスがママきゅうりはパパ。全員がエプロン、バンダナして黙々と給食食べる姿ってなんか気持ち悪いで、ほんま。慣れの問題か。でも子どもには納得させなあかんから、わしらは本意ではないことでも仮面をかぶり言わなければならない。ってほんまにこんなんでええんかいな。で、職場の外に出れば、公益通報の対象になる。スマホいじって歩いているだけで、通報されたりした人もいたんやで。はぁ~。もう平日の夜の集会とか勉強会などには参加できまへんわ。土曜も今日は朝の6時位から夕方まで家でいろいろ仕事してた。それでもまだ積み残しあるしな。もう潰れたくないのでペースダウンせねばと思うけど受け身のままでは余計しんどくなるから前のめりにならんとしゃーないか。きっと他の同僚もそうなんやろな。えらいなぁみんな。だからわし、今んところ毎日通信出してる。ほんまにペンは剣よりも強いんやろうかと試そうかな。こんな日常やから教科書がどこの会社がどうのこうのって真剣に考えることもでけへんのんとちゃうかな。あ、そこまでは言い過ぎかな。

お前が生まれたとき

お母さんから「できたみたい」と聞いた時、なんとも言えん幸せな気持ちになったと思う。
随分昔のことだから記憶が曖昧で申し訳ないけど。

日々、お母さんのお腹が大きくなっていくのが嬉しかった。
大きなお腹の写真まで撮ったのを覚えてる。
そして、お腹に口をつけて
「お~い!お父さんやで~。元気に生まれてこいよ~」と何度も呼びかけた。
覚えてる?わけないか。

そうそう、出産間際になると、お前はお母さんのお腹の中でよう動いてた。
時々、お腹の一部がぽこっと、とんがる。
それはお前の手や足で、そーっとその部分を触れたりしていた。
覚えてる?
お母さんの皮膚越しの握手やで。

出産には絶対立ち会おうと思ってた。
ある日、お母さんの陣痛が始まった。
ウンウン言いながら病院に行くと、「まだ子宮が開いていない」と言われ、帰ってきた。
数日後、また陣痛が始まり、お母さんはお腹が痛くて歩ける状態ではなくなったんで、
おばあちゃんが、お母さんをリヤカーに乗せて病院まで連れて行った。

職場に電話がかかってきて、お父さんも病院にかけつけた。
とても苦しそうにしていたので、お腹をさすってあげた。
でも、なかなか子宮が開かへん。
お父さんは、出産に立ち会いたかったんで、ずっとそばにおった。
お前のことも心配やったけど、お母さんの身体のことも心配やった。

結局、二日間ほど陣痛で苦しんだあげく、お前が生まれてきたんやけれど、
お父さんは立ち会えなかってん。
ずっとそばにおったのに。

あまりにも眠たくなって、つい隣の空いているベッドで寝てしまってん。
気が付いたら、お母さんはベッドにおれへん。
病室に入ってきた看護婦さんに「こんなところで寝ないでください」と怒られた。

急いで新生児室に行くと、お前がおった。
初めて見た印象は「気持ち悪い」やった。
ごめん。
なんでかというと、お前のその時の顔が、
お父さんとお母さんをたして二で割ったような顔をしてたからや。
間違いのう二人の顔やった。

でも、その後はどんどん可愛くなり、いつも抱っこしていたような気がする。
抱っこばかりしてたんで、腰や首が座るのが遅なったかもしれへん。
1歳になっても、ぐにゃぐにゃで、座ることもでけへんかったように思う。

やがて年月は過ぎていって、お前が大きくなるにつれて、
お前と触れ合うことがでけへんようになってしもうた。
中学生や高校生の子供を抱きしめるやなんて、普通あんまりあれへんよな。

あんなに赤ちゃんの頃に抱っこしてたと思うのに、なんでもっと抱きしめておかなかったんやろうと、
お前が大きくなってからは、ずっとそう思ってた。

お前もこの秋に母親になる。
遠くで暮らしているんで、とても気になる。
心配や。
こっちで産めばいいのにと思うけど、お前が決めたことやから、仕方ない。
きっと大変なこともいっぱいあるかもしれへんけど、
お前の体も気を付けながらも、
お前の子供をいっぱいいっぱい抱きしめてあげや。

父より

唐揚げのレシピ

今日の葬儀、亡くなられたのは僕と同い年の女性だった。
残された旦那さんと大学生の一人息子が痛々しかった。
葬儀の最後に、日記が読み上げられた。
昨年の11月に、蓄膿症の疑いで病院へ行ったことでガンが分かったようだった。
何月何日に病院へ行ったことが簡単に記された日記だった。
セカンドオピニオンを求めて他の病院へ行っても、打つ手がないと言われたと書かれていた。
6月のある日を最後に筆が途絶えたあと、
日付がない日記に、息子の好きな唐揚げの作り方が事細かに書かれていたそうだ。
たった9ヶ月の闘病。
早すぎるよなぁ…

嫁さんの友人の葬儀だったけど、涙が止まらなかった…。

「解釈改憲?ハァ!?なにその反則技。私たちは立憲主義も民主主義も手放すつもりはありませんよ声明」

本日、安倍政権は「憲法9条の下でも集団的自衛権の行使は容認される」という憲法解釈の変更を行い、従来からの「自衛権発動の3要件」に代わる新たな「新3要件」を閣議決定しました。
明日の自由を守る若手弁護士の会は、この解釈改憲に強く抗議します。

1.政府が憲法の読み方を変えた、なんてありえないっつーの!
集団的自衛権の行使は、イコール「他国間の戦争への参戦」。「戦争放棄」「戦力不保持」を宣言する憲法9条を、どう逆立ちして読んだところで、他国間の戦争に参加してもいい、なんて読めるわけがない。
読めないからこそ、9条を変えたいってずっと言っていたジミン党の長期政権の下で、「自衛隊は戦力ではない」「武力行使をしないからこそ自衛隊の海外派遣が許される」という解釈が強固なものとして積み重なってきたのです。
それなのに安倍政権は、別な読み方をすることにしたんだっ、と腕力でねじ伏せる感じで、解釈を変えたのです。

でも、今まで、集団的自衛権が使えなきゃ日本の未来オワタ、やっぱり戦争放棄はナシで、国家の都合で人を殺せる国になった方がいい、なんて国民的世論になったことがあったかなー??国民全体がそれを望む現実があるのなら、国会議員も代表者として真摯な議論を重ね、憲法96条の手続にのっとって憲法改正すればよいだけです。

そう、だってこの国は、民主主義国家だから!どんな国家へ歩むべきか、それを選ぶのは私たち主権者国民です。そして私たちは時の権力が決して暴走しないようコントロールするために、憲法を権力に突きつけ、縛っているのです。どんなに「信念を貫くオレ」に酔っていようが、どんなに「民意」をウザく思おうが、「縛られている」側の政権が独断で憲法の読み方を変えるなんてことが、許されるわ・け・が・な・い。
現政権は、まさに禁じ手を使って、この国の立憲主義を破壊し、民主主義を終わらせようとしています。

2.そこにあるのは情念だけ(民主主義が、お嫌いなのね)
現政権に、ナチスを真似ようって言ったり、抗議行動をテロと言ったり、「民意」への敵意(おそれ?)があるからこそ、物言う国民を逮捕して民意そのものを育たなくする特定秘密保護法を作って、さらに自分を縛っているはずの憲法をめちゃくちゃに読み替えちゃっているような気がします。
理論も科学もないから、笑っちゃうほど空想に近い非現実的な事例ばかり並べ、これに(集団的自衛権の行使で)対処できなければ日本は滅ぶ!かのような脅しを繰り返すしかなかった。つまり、民主主義も、理論的な議論も、誠実な対話も嫌い、情念だけで政治を動かす政治家が、国民投票で勝てないって分かってるから憲法改正手続を踏まずに勝手に読み方を変えた。情けないけれど、これが「真相」です。

3.早く立ち上がらなきゃ。まだ、閣議決定だけだから。
今、悔し涙を流している皆さん。決して、「これですべて終わった」なんて思わないで下さい。閣議決定されたって、まだ何も具体的に法律が変わったわけではなく、まだ全然、戦争できる国にはなっていません。
閣議決定に基づいた具体的な法律の作成をくい止めればいいのです。くい止めながら、来たる選挙できちんと意思表示すればいいのです☆彡 だから、ガッカリしているヒマはないし、ガッカリする必要もない。
そのガッカリが招く、「もう何をやってもムダ」という絶望と無関心こそが、何よりもこの国の、子ども達の未来を壊します。
そう、ほんとうに民主主義ってめんどくさいシステム!
日常的に政治を見張る余裕はないし、スキャンダルや一時のブームに踊らされることも日常茶飯事です。
それでも私たちは、一部の人達に政治を丸投げしてただ従う、なんてわけにはいかない。民主主義を諦めちゃいけない。この世に1人しかいない誇りある人間として生き続けたいからこそ、自分のことは自分で決める、自分達の社会のハンドルは自分達が握る。民主主義やーめたという現政権は、国民を誇りある存在として認めていないのです。それを屈辱だと、おかしいと感じるなら、怒って下さい、アクションを起こし続けて下さい。
めんどくさいヤツであり続けること、って、ほら、憲法にも書いてあるでしょう。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」(憲法第12条)

4.めんどくさいヤツであり続ける決意
幾万人からなる怒りの輪が首相官邸を囲む様子を見れば分かるとおり、私たち国民は、そんなにアホじゃありません。でも、なぜ政権の暴走を止められなかったのか、悔やむ時間は、もうありません。あなたとあなたの大切な人、自分より大事な子ども達のために、「めんどくさいヤツ」であり続けて下さい。
私たち「明日の自由を守る若手弁護士の会」は、解釈改憲という禁じ手を絶対に許しません。声をあげ続ける、すべてのめんどくさい皆さんと共に、これからも「あすわか的“不断の努力”」を続けます。

2014年7月1日 「明日の自由を守る若手弁護士の会」

共同代表 神保 大地
共同代表 黒澤 いつき

外道!

武器やら弾薬やら戦車や戦闘機やら軍艦で儲けたいやつが、あちこちにおるちゅうことで、日本がどうのこうの、中国がどうにこうの、朝鮮がどうのこうのではなく、そんな奴らは世界の裏で全部繋がっていて、有事の緊張感を保たせるために、政治屋を動かしとるんですよ。国民の命を守りたいなどハナッカラ思ってもいなく、国民の命をわがの金に変えたい外道たちです、こいつらは。

大阪市の中学校給食

ハシモトの公約を実現するための形だけの給食。中身は、見ての通り、からっぽ。組合や現場の教師、そして管理職までが反対をしても、トップダウン方式で無理やり始まった給食。子どもたちへの配り方まで現場の声を聞き入れようとしない。

給食だけでなく、何から何までトップダウン方式で决められてゆく。いつのまにかこんなことになっていた。恐ろしい時代にすでに突入してしまったことを、気付かなくてはいけない。

学校に関しては、現場にいる教師に言っても、もう何も変えられなくなった。もしかしたら教育委員会に言っても無駄かもしれない。政治が教育に介入すると、こんなことになるのだ。

どうしたらいい?

知覧・特攻平和会館

先日、鹿児島へ行く機会があったので、少し足を伸ばして知覧へ行き、特攻平和会館を訪れた。鹿児島中央駅初の古びた路線バスに乗り、クッションの悪い軍用車両につめ込まれ知覧に向かった青年たちを想像しながら現地に向かった。

時間はあまりなかったので、ざっと一回りしてきただけだが、それでも小一時間ほどかかった。じっくり見学すれば半日以上かかりそうなほど展示資料が多い。

今まで特攻隊員の遺書などを、ネットや書物で読んだことはあったが、その時に一番に起こる感情は「悲しみ」であった。しかし、平和会館で、初めて実物を見た時に沸き起こってきたものは「腹立たしさ」と「気持ちの悪さ」であった。

それは、特攻隊員の筆で書かれた遺書のほとんどが、まるで様々な書体のお手本のように美しく、そして、格調の高い文章表現だったからだ。現代のどの世代にもそれほどの教養が備わっている人物を容易に探しだすことは出来ないだろう。そんな傑出した若者たちが、知覧だけで1036人、全体では14000人ほどが、命を落としている。もし彼らが死なずに生きていたなら、その後の日本はどんな歴史を刻んでいただろう。その口惜しさに、腹立たしい思いがしたのだ。

そして、気持ちの悪さは、天皇を奉るような文言の筆書きがあちらこちらに大きく展示されていたのと、迷彩服の自衛隊の見学者が多かったことによる。貧血で吐きそうになった。教養の高かった彼らは本当に心から洗脳されていたのだろうか。仕方なくそんな言葉を書いたのだろうか。それともアイロニーなのか。自衛隊の人たちは、そんな彼らのことをどう思って見学していたんだろうか。国家にだまされただけじゃないかとは、思わないのだろうか。

【マット・デイモン「市民的不服従」について語る】

Matt Damon on Civil Disobedience

世界のあらゆる国の人々に、国家への不服従の精神が求められている。それも抽象的なものではなく、力と豊かさにあふれる、形あるものが。

そして同じものを希求する世界中の国の人々が、「相互独立宣言」のようなものを行うことが、求められているのだと思う。

活動家ハワード・ジンの長き友人であった俳優のマット・デイモンが、1970年にハワ­ードが「市民的不服従」に関する討論で行った演説の一節を抜粋して読み上げています

<映像はこちらから>
http://www.youtube.com/watch?v=HUDpnZ8SNfw&feature=youtu.be

政党交付金

議員などはすべて名誉職にすべきだ。給与なんかもらうな。そして議員の数を増やせよ!ほんでからもういっちょ、立候補の時の供託金も廃止せよ!憲法違反だ!あ、政党助成金とは、ちょっとずれたか…。ま、よう似たもんや(笑)

かつてこれほど嫌われた政党があっただろうか?

もしかしたら、どこかの政党が頭をよぎった人がいるかもしれないが
嫌悪感の深さはこんなレベルではないだろう。

H府政、H市政は本当にいろんな人を傷つけてきた。
とある学校の生徒たちのプライドをずたずたに引き裂いたり
喫茶店でお茶を飲んだだけで処分したり
煙草一本で人生のコースを狂わせたり
そして、自死者。
チキンなハートは自分が傷つくことを恐れ
それゆえ、周りを容赦なく傷つけてゆく。

もう、こんな奴はいらない。
同じ空気を吸いたくない。
駆除すべし!

ビッグイシュー

僕がよく買うビッグイシューのおっちゃんがいなっかったんで発売当初には買えなかったんやけど、先日やっと手に入れました。その中でこの記事は永久保存したくなるほど良かったです。松岡理絵さんの記事です!

軍隊のない国はいくつあるか?
日本はその中に入っているでしょうか?
憲法に戦争放棄が入っている国はけっこう多いそうです。
もはや世界の趨勢だとか。
ほんまに価値ある記事です、これは!

幣原喜重郎

9条は、アメリカから押し付けられたのではなく、幣原喜重郎が、象徴天皇制とセットで考えて、マッカーサーを説得したという資料だそうです。
幣原喜重郎って、こんなにすごい人だったんだ!

——————一部抜粋——————————–
【問】よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。もっとも草案は勧告という形で日本に本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

【答】そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階であった。
幸いマッカーサーは天皇制を維持する気持ちをもっていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。所がアメリカにとって厄介な問題があった。それは豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備したら大変である。戦争中の日本軍の行動はあまりにも彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。日本人は天皇のためなら平気で死んでいく。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の評決ではアメリカは孤立する恐れがあった。この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

豪州その他の国々は日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である豪州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることができる。

この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。もっとも天皇制存即と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、またなかったからこそ続いていたのだ。もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。

この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。

そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打ち明けることのできないことである。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一年の一月二四日である。その日僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

松元ヒロさん、最高!

松元ヒロさん、心底面白かったです。完全に観客と一体になっていました。そして感動しました。やはり「憲法くん」は最高でした!コントなのに、ヒロさんが前文を語るシーンは、まるで神々しく、憲法の精神が乗り移っているようでした。涙がちょちょぎれたぞ~

【産経抄】2013年4月6日

この記事の最後に…
「東京都町田市では、教育委員会が朝鮮学校生徒への防犯ブザー配布をやめたが、当たり前の話である。かの地出身の同胞は「差別はけしからん」と騒ぐ前に、胸に手を当ててよく考えてほしい。子供に罪はないが、悪夢の発生源をいまだに崇拝している親たちの責任は重大である。」

例えば、海外のどこかの国で日本人の子どもたちが差別されたとしよう。そしてその国の新聞で「かの地出身の同胞は「差別はけしからん」と騒ぐ前に、胸に手を当ててよく考えてほしい。子供に罪はないが、悪夢の発生源をいまだに崇拝している親たちの責任は重大である。」と書かれたとするかもしれない。何故なら、「悪夢の発生源」=「原発」と言えるからだ。その場合、日本人は全員が原発を推進しようとしているわけではないから、とてもお門違いな話である。

至極当然の話だが国民と国家の政策は必ずしも一致しないし、ましてや独裁国家の長と国外に住んでいる3世4世を混同する教育委員会やマスコミ、レベルが低すぎて話にもならない。

子どもの頃、僕は夢を操作することができた。
自分の見たい夢を見ることができたのだ。
それは高いところから、飛び降りる夢。

「どうか、崖の上に立ってる夢をみますように…」
強く念じながら眠ると、気がつけば崖淵に立っていた。
「ああ、これは夢なんだ。」
見下ろせば、遥か下で、岩に波が砕け散っているのが見える。

「さあ、飛び降りるのだ。でも、もしこれが現実だったら…」
僕は迷って恐くなり、足が震えた。
多分、飛び降りることが出来なかった夜もあったように記憶する。

でも、その時は飛んだ。
宙に舞った。
つま先から股間そして胸の奥まで風が通り抜ける。
そして、落ちて行った。
「わぁ!」

目が覚めた瞬間、まだほんの少し失落感を感じた。
でも、意外に早くに目が覚めすぎて、あっけなかった。

いつの頃からかそんな夢を見なくなった。
いや、見ようとしなくなったのか。
そう、そんな努力もしなくなったのだ。

近頃、夢など見た記憶もあまりないが
見たとしても現実とそんなに違いないか
随分違っていたとしても、すぐ忘れてしまうのかもしれない。
子どもの頃に見た夢は、鮮明に覚えている癖に。