漢口慰安所

元漢口兵站司令部・軍医大尉の長沢健一氏による軍医として接した慰安婦の実態や、慰安婦に関わる様々なことが描かれている。例えば、漢口の町に、慰安所を設置するために建物を接収するところから始まり、慰安婦を調達する女衒のこと、診察の方法、慰安婦のこと、客である兵隊のこと、看護婦のこと、そして引揚げまでのことを、ちょっと上から目線で最後まで書かれている(笑)。

読み物としてはかなり面白い。彼の書いていることが、全て真実であるのなら、やはり地域や、歴史的時間、出会う人によって、慰安婦の捉え方もいろいろ変化するものなんだと思う。長沢氏にとっては真実なのであろう。事実はひとつだが、真実は、立ち位置によって変化するものだから。

二千七百の夏と冬

「歴史をつくっているのは国家や政治や経済ではない。歴史は恋が作っているのだ」

2700年前の富士山麓でのお話を、納得させる荻原浩って、やっぱし並々ならぬ作家さんだ。自然に溶け込んで暮らしていた狩猟型縄文人の男と、王に支配されていた農耕型弥生人の女が恋に落ちる話。引き込まれた!

A級戦犯・広田弘毅

 東京裁判でA級戦犯として処刑された人たちの中に、一人だけ軍人ではない人がいた。広田弘毅第32代内閣総理大臣だ。
 彼は正真正銘の平民宰相である。本当は貴族の出身であるにも関わらず平民宰相と言われた原敬とはまったく違う。彼は石屋の息子で、石に名を刻ませるために習わせた習字が元で、人と人の繋がりの中で総理大臣へとなっていった人である。
 外務大臣時代は協和外交に心血を注ぎ、「在任中に戦争は起こさないと確信する」と議会で発言したほどである。その姿勢は諸外国からは評価され、軍部に対し、微に入り細に入り変幻自在に対応しながら、暴走に歯止めをかけてきた。
 そして二・二六事件で総辞職した岡田内閣のあとを受け、当初、近衛文麿が推薦されたが本人は拒んだために、広田が引き受けることになった。
 しかし、天皇から歴代総理に与えられる三か条の注意(憲法遵守、無用の摩擦なき外交、急激な変動なき財界)の他に「名門を崩すことのないように」が付け加えられた。この時、広田は自分が生まれたのは五〇年早かったと言ったそうだ。
 そして二・二六事件に対しては軍部に毅然とした処分を下し、また退役軍人の影響を排除するために、「軍部大臣現役武官制」を復活させた。これが逆に軍部の暴走をさらに堅固なものにさせてしまい、これが後の東京裁判で裁かれることになる。
 広田が総理の座から去った後のことを、「少しだけ、無理をして生きる」城山三郎著から抜粋する。
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 広田は、静子夫人が少し体が弱かったこともあって、鵠沼に小さな家を建てましたが、近くに小田急の線路があってうるさいので、ほかのところへ移ろうと土地を探していました。すると、「総理に買ってもらえるなら」と土地を安く提供してくる人たちが出てくる。広田は調べて、少しでも安いと、すぐに断ってしまう。金銭にきれいなんです。今の政治家は、逆のことをやって土地を買っていますけどね。広田は息子たちに「政治家が土地を買う時は、よほど注意しなくちゃいかん。安かったら絶対に買っちゃいかん。」と言っています。
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 その後も、探し当てた土地に水道がないと、今度は市長が水道を引くと言い出して、結局そこも諦め、どこにも引っ越しをしなかったそうだ。そんな清廉潔白な人だ。
 「自ら計らわず」を信条に生きてきた広田は、裁判にかけられた時も、自らが発言すると誰かが不利になるという思いで、一切反論もしなかったという。これは天皇を守り、戦後の日本の出発を一心に引き受けたということだ。裁判の審議がすべて終わった時、静子夫人は青酸カリを飲んで自殺をする。巣鴨にいる広田がその報を聞いても顔色も変えずに、ただ「うん」と言っただけ。しかし、その後、自宅へ書き送る手紙は、すべて静子夫人宛だったそうだ。
 こんな政治家がいたということを、あの人たちは知っているのだろうか?もう人としての「恥ずかしさ」も忘れてしまっているのだろうか?

零戦パイロットからの遺言

「戦争が憎い」と訴え続けた元零戦パイロット原田要さんのラストインタビュー。自ら海軍に志願し優秀な成績で零戦パイロットとなった原田さんは、数々の戦闘で多くの敵機を撃ち落としてきたが、三度も命を失いかけた。

真珠湾攻撃とミッドウェー海戦では、軍艦「蒼龍」から零戦を発着させていた。しかし、ミッドウェーで蒼龍が沈めらた時、帰る空母がないので「飛龍」に着艦したそうだ。原田さんが操縦していた零戦は使い物にならなくなっており、整備兵が海に落として、一機だけ残っていた零戦に再び搭乗して飛び立った瞬間に飛龍も着弾して火を吹いた。(もしかしたらこの時の整備兵は瀧本邦慶さんだった可能性はないだろうか。今度お会いした時に聞いてみよう。)

原田さんはその後、鹿児島の鹿屋で軟禁される。ミッドウェー海戦に大敗した事実が広まらないようにである。(そのあたりは呉の病院に軟禁された瀧本さんとまったく同じである。)そして原田さんは軍艦「飛鷹」に乗ってガダルカナルに行くが重傷を負って呉の海軍病院に運ばれる。(ここでも瀧本さんとニアミスしている。)

鳥肌がたったエピソードのひとつを書く。原田さんが敵機を追い込み100mほど接近した時に、相手は振り向いて、もう追いかけるな、助けてくれというような素振りをしたそうだ。敵機はやがて田んぼに突っ込んだが、原田さんはとどめをさすのを諦めて帰還したのだが…2001年にその人とイギリスで再会を果たしている。「戦争で生き残ったものがいるなら互いに許し合うべきだ」という二人の思いが通じ合ったそうだ。

原田さんが零戦パイロットになった当初は、自分が敵機を撃ち落としたり、地上に爆弾を落とすことについてはなんのためらいもなかったそうだ。その先を想像していなかったからだ。敵機に乗っている人にも家族や友人や愛する人がいることや、落とされた爆弾の下にいるそんな人たちがもがき苦しむことを。ひとりでも多くの敵を殺すことが自分の使命だと思っていた。ところが、仲間の命を見捨ててでも作戦を遂行しようとする軍のやり方に次第に疑問を持つようになり、自分自身も何度も死線をさまようになって、その愚かさに気がついていった。

原田さんは、瀧本さんとまるっきり同じことを言っている。兵士が死んで行く時に「天皇陛下、万歳」などという台詞は聞いたことがないと。みんな「おっかさん」と言って死んでいくそうだ。知り合いの子どもに戦闘機に乗りたくて自衛隊に入隊した人がいる。そんな人たちに読ませたい本だ。この本は小中学生でも読めるように活字が大きくルビもふられているので、多くの子どもたちに読まれることを願う。原田さんは昨年の憲法記念日の日に99歳で鬼籍に入られている。

MW

去年、実家の本棚に置きっぱなしだった手塚漫画を持って返ってきた。20年ぐらい前に読んだきりだったので、すっかり中身は忘れていた。

冒頭の手塚治虫の言葉
「従来の手塚カラーを打ち破り、あっけにとられるようなピカレスクドラマを書いてみたいと思って、この物語の構想を立てた。ありとあらゆる社会悪ー暴力、裏切り、強姦、獣姦、付和雷同、無為無策……、とりわけ政治悪を最高の悪徳として描いてみたかった。が、今となって遺憾千万なのは、すべて描きたりないまま完結させてしまった、自らの悪筆に対してである……。」

むごたらしい猟奇殺人に淫靡な同性のセックスシーン。これが1978年の作品とはとても思えない。

作中にビアズリーの絵が模倣されていて、いかにも男色な快楽主義的でそそられる作品だ。10数年前に映画化されているが、男色なシーンは一切ないらしい。10数年前でさえ、世間は手塚作品に追いつていなかったということか。

英雄なき島

硫黄島戦での元海軍中尉の証言だ。

アメリカが行った戦闘で、唯一自国の死傷者が相手国よりも多かったのがこの戦いだ。では、硫黄島にいた陸軍海軍がそんなに猛者だったのか、ということではない。戦闘が始まる前に、すでに結果は出ていた。

水がほとんどなく、光を遮る樹木もなく、地熱も高く、至る所で二酸化硫黄が吹き出るような島で、兵士たちはまず壕を掘ることを強制された。掘ればガスが吹き出し、壕の中は50℃になるそうだ。ひとり最大10分ほどの作業しかできない。それを、島のあちらこちらに、地下30mまで掘っていったそうだ。風が通らないとガスや熱気で窒息するので、必ず両側から掘っていった。そんな作業で、ほとんどの兵士は病人になってしまい、老人のようにトボトボとしか歩けないようになっていた。

そして米軍が硫黄島に上陸した。ペリリュー島での戦い方を真似て、米軍がすべて上陸してから一斉攻撃をする作戦にでた。しかし、想像を絶する艦砲射撃で通信網は断線し、壕から壕へ行く道に迷ってしまうほど地形が変わってしまう。そんな中で、病人のような兵士にどんな戦いができたのだろう。

米軍側の死傷者が多かった謎については、証言者の推測で書かれている。米軍にとっては日本の新兵器だと思ったそうだが、記録には残っていないらしい。どんな新兵器なのかについての記述はやめておく。日本軍の生き残った数が多かったのは、壕にこもって戦わなかったからである。真っ裸で壕の中で息を潜めていたようだ。

話は変わるが、満蒙開拓団の引揚者の方から、話を聞いた時に思ったのだけれど、いつ日本に帰れるかも見通しがなく、乞食までしながら、生きようとしたのは何故なのか。本人に聞いても、「死ぬことは考えなかった。ただ生きていただけ」と返ってくるだけで、僕には理解できなかった。

しかし、この本の中で、壕の中で暮らすうちに、人間としての理性がなくなり、動物のようになってしまうと、水を求め、食べ物を求め、ただ本能で生きているだけで、自殺などは考えもしなくなっていたと書かれていた。やっと腑に落とすことができた。

人間の理性を奪うのが戦争だ。死ぬか生きるか。自分が生きるためには、友達であっても殺すことができるのが戦場。優しさや思いやりがあっては生き残れない。少しでも強靭な肉体があれば、ただそれだけでいい。しかし人間から理性がなくなったら動物などというのは動物に失礼だ。地獄を彷徨う餓鬼そのものだ。硫黄ガスが吹き出す島には相応しかったのかもしれない。

【追記】
この方は瀧本邦慶さんと同じ追浜航空隊を3年後に卒業しているそうだ。

沸点

何ヶ月か前に買っていた漫画をやっと読んだ。圧倒された。韓国ってすごい。今の韓国でのデモがなんであんなに盛り上がるのかを、やっと理解できた。

特に印象に残っている箇所が二つ。

「だけどな…オレは、そういう批判は、行動してる奴から聞きたい。誰かを助けようと海に飛び込んだ人を、岸辺で評論するような話は聞きたくない。オレは…海に飛び込んだお前の話が聞きたかった…」

「水は100℃になれば沸騰する。あとどのくらい火にかければ沸騰するのか、温度計で測れば分かることだ。しかし世の中の温度は計ることが出来ない。今が何度なのか、あとどれだけ火をくべる必要があるのか。そのうちに”もともと沸騰しないものなのかもしれない”と考え始める。だけどな…世の中も100℃になれば必ず沸騰する。そのことは歴史が証明している。」「それでもいつ沸騰するのか分からない不安は残るでしょう?先生はどうやって何十年も辛抱できたのですか?」「オレだって分からなくなる時があるよ。だけどそのたびにこう思うのさ。今が99℃だ。そう信じなきゃ。99℃であきらめてしまったら、もったいないじゃないか。」

日本はいま何度なんだろう…。

 

昭和史

江戸時代の終わりに日本は開国した。それから40年間、欧米列強の仲間に加わろうとして必死のパッチで頑張った。そして日本はロシアと戦争をして一応勝って、一等国になったと有頂天になった。

で、それからの40年。調子に乗りすぎて、満州に乗り込んだりドイツに仲良しになてもらってアメリカに喧嘩ふっかけたりして日本はボロボロの敗戦国となった。原爆まで落とされたやん。

でも、そこからまた頑張り始めた日本人はえらい。そして40年後、猫も杓子も金持ちになった(ほんまかい)。でもそこが頂点。

数年後にはバブルがはじけて日本は降下していった。今もどんどん降下中。このままいけば次の40年後は2025年。そこがどん底になるんやろうか。

今から9年後や。どんな9年後や?戦争に巻き込まれてまたボロボロか?それとも大地震でまた原発爆発してもうてるんやろか?あるいは今の政府が独裁政権となって暗黒時代か?どれもこれもミックスされてるかもな。あ〜あ、なんでこんなに悲観的やねん、ほんま

あ、この40年周期っていうのは、半藤一利さんが「昭和史」の中で書いたんどすえ。

教誨師

堀川さんの圧倒的な筆力に酔いしれながら「教誨師」を読み終えた。まるで上質な映画を観ているようであった。教誨師としての渡邉普相さんの人生が描かれている。

「死刑」は、同じ人間がするべきものではないだろう。制度として間違っていると思う。死刑囚の中には、拘置所で心から反省をし、人として成長する人もたくさんいるようだ。死刑に値しなくなった人もいることは確かで、この本にも登場する。

また、死刑を執行する側の苦しみが描かれている。死刑の判決を出すのは司法だが、それを執行するのは行政だ。いくら仕事とは言え、死刑に関わり、殺人をしてしまうのは、必ずや精神が破綻してしまうだろう。この本の主人公である教誨師もアルコール依存症になってしまった。しかし、そのことが結果的には死刑囚との垣根を取り除くことになり、死刑囚に励まされながら依存症を克服するという凄まじい展開である。

しかし、簡単に死刑に反対だとも言い切れない自分がいる。もし、身近にいる大切な人が理不尽なかたちで殺されてしまったら、僕は復讐をしたくなると思う。自分の手で殺せないのなら、制度として「死刑」を望むだろう。自分は弱い人間だから。

あえて言えば、素晴らしい教誨師に出会え、心のやすらぎを一瞬でも感じることが出来た死刑囚は幸せだったかもしれない。もしかしたら被害者の家族は、もっと悲惨な心の闇を彷徨っているかもしれないから。

もしも、詩があったら

〜「」アーサー・ビナード〜より引用

「死刑をありがたく思わなきゃ。だって、もし死刑がなかったら、復活祭の楽しい祝日ないはずだよ!」
なるほどイエス・キリストはまさに、磔という名の刑に処さられ、その三日後には「復活した!」弟子たちが言い張って宣伝活動を展開、そこからキリスト教が本格的に始まったわけだ。
(略)
もしイエスが十字架と冤罪に遭遇せずに長生きできたならば、復活祭のみならずキリスト教そのものも、存在しなかったかもしれない。
(略)
イエスの死刑がカギだと気づけば、キリスト教はトラウマがすみずみまにまで染みわたっている宗教に見えてくる。どうして常に罪の意識を信者たちに押しつけるか、それはイエスが無実の罪を着せられて殺されても、弟子たちはただ傍観して彼を守ることができす、その癒えることのない後ろめたさが、みんなの心に残ったからではないか。
イエス本人が骨までの非暴力主義だったというのに、キリスト教が組織的に戦争と大量虐殺に加担してきた矛盾も、少し理解できそうだ。もし教義を心的外傷の塊として読み解いてみれば。

5つの戦争から読みとく日本近現代史

あとがきより

人が歴史を学ぶ意義の一つは、過去と現在と未来が『途切れずに連続している』という『感覚』を、思考の底流に形作ることだと思います。現在目の前にある様々な問題は、いきなり完成した形で出現したのではなく、ほとんどの場合、少しずつ視野の中で拡大しいぇきたはずですが、大抵は『はっきりわかるほど大きくなる』または『深刻化する』まで、その変化に気づかずに見過ごしてしまいます。

〜略〜

たとえ「間違った道」であっても、社会の変化がゆるやかであれば、日々の生活の延長として順応してしまい、不安や違和感を知覚しない

 

「証言 それぞれの記憶」

下記の文章は満州開拓団に行った方の手記の抜粋です。
戦前戦中の国策に翻弄された揚げ句、壮絶な人生を送られた方は、いった何万人、何十万人いたことでしょう。
現政権の政治家はそんな時代に郷愁をいだき、「日本をとりもどす」なんてことを言っているのです。

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とうもろこしの畑から引っぱり出されてな、現地の若者たち数人に。持っとるこん棒で思いっきり暴力振るわれて。結局団長も男だから引っぱり出されて暴力ふるわれたわけだ。それで虫の息になちゃった。もう年寄りだから体力がないし。「もう俺はダメだ。苦しい、早く楽にしてくれ。もうダメだ、ダメだ」って言い出して、それで幹部の奥さんたちが話し合って、仕方ない、結局団長の息の根をとめてやるっていうことで話がまとまって。首を絞めて。「団長さん、さよなら」っちゅうわけで。

(中略)

続けておばさんたちが我が子の首を絞めだしたんです。このまま逃げたってどこまで逃げられるか分からんで、満人におもちゃにされてその揚げ句に殺されるよりはもう死んでしまおうと。潔く逝きましょうという気持ちがみんな働いて。「久保田さん、何やってんの。早く手伝ってくれないとまた暴力ふるわれるし、夜が明けちゃうから」ってお叱りを受けて…。一生懸命、子どもを殺すお手伝いをしたわけよね。

みんなお互いに子どもの首を絞めるんだが、小さい子どもは間もなく息が止まっちゃうけど、大きくなるにしたがって抵抗しちゃうわけよね。「日本が負け、お父さんたちのところへ行くんだよ」「はい」って手を合わせても、苦しいから自然に抵抗しちゃうわけよな。この繰り返し。それじゃ、子どもが苦しんで可哀想だちゅうわけで、紐を結んじゃって、その間にとうもろこしの茎を二本はさんでそれをねじっていくと息ができんから、うなだれて死んでいっちゃうんだけどな。

(後略)

「証言 それぞれの記憶」
女たちの集団自決 久保田諌さん
〜満蒙開拓平和記念館〜

セーラー服の歌人 鳥居

やっと図書館で順番が回ってきた。持ち帰って一気に読んでしまった。

「セーラー服の」って枕詞みたいについているから、ミーハー的な色もんのようなイメージを受けるが、そうではない。彼女の願いがこもった服装なのだ。彼女は小学校3年生までしかまともに学校へ行っていないが、学び直すには、夜間中学校からしかやり直せない。それでも小学校で習う半分は学べなく、たとえば分数や割り算さえも基本的なことが分からなかったらしい。だから、自分のような学びたくても学べない人がひとりでも少なくなって欲しいという願いが、セーラー服に結びついているらしい。とても真摯な「セーラー服」なのだ。

しかし、歌集「キリンの子」を読んだ時に、壮絶な人生を送ってきたことはよく分かっていたのだが、今回、この本を読むことによって、さらに、彼女の悲惨な人生をはっきりと時系列を追って認識することができた。

もし彼女が実名で書き、入所していた施設とかも名前が特定されてしまえば、これは事件として世間を騒がすことになるくらい、ひどい扱いを受けてきている。そしていまも、解離性・複雑性PTSDと診断されていて、起き上がることさえもできない日が多くあるらしい。

彼女は短歌と出会って、生きる希望を見つけ出した。そして、世に蔓延と存在する自殺予備軍の人たちに、自分の言葉を届けて、共に生きていきたいと彼女は言う。だから、彼女のことば(短歌)には魂、言霊がこもっている。

言葉だけで、人を勇気づけるのはとてもむずかしいと思う。でも、それが、今も彼女が生きている理由なんだと思う。

http://amwbooks.asciimw.jp/trial/978-4-04-865632-0/?page=1

「もう一つの学校」

劇作家であり美学者でもある山崎正和が敗戦後の満州で受けた教育のことである。
外は零下二十度という極寒のなか、倉庫を改造した中学校舎は窓ガラスもなく、寄せ集めの机と椅子しかない。引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝説を読み聞かせたり、中国語の詩を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた手回し蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。
そこには「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分一人の権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった。

(「もう一つの学校」、山崎正和『文明の構図』所収)

戦争と罪責

買ってから4年ほど放置していた本を読んだ。野田正彰さんの「戦争と罪責」。中国で残虐行為を行った旧兵士たちからの聞き取りが書かれている。どれほど冷酷で残忍なことをしてきたか、筆舌に尽くしがたい。そしてそのことを隠し通したまま鬼籍に入った人も数知れずいるに違いなく、おそらくそんな人たちがこんな日本にしたんじゃないかなと思う。

 

隔離の記憶

いろんなことを知ろうとすればするほど知らないことが増えていく。この夏、やっと僕は「ハンセン病」にたどり着いた。それまではおぼろげに知っていたのだが、それは知ったつもりになっていただけのことであったのが分かった。ナチスのユダヤ人に対するホロコーストに匹敵するほどのことが、この日本で行われていたなんて。

講演で支援センターの方が「ハンセン病で隔離された方々のお話しは千差万別です。ひとりひとり聞き取っていってください」というようなことをおっしゃっていたが、実にそのとおりだ。この本にも多くの隔離された方々が証言されていて、さまざまな人生を送ってこられているのが分かる。

僕は「沢知恵」さんのCDを何枚か持っていた。その中で「かかわらなければ」という半分ほど朗読のCDがあった。塔和子さんの詩だったのだが、その方がハンセン病であったのを、この本で初めて知った。僕の中でつながったのだ。塔和子さんも沢知恵さんもこの本の中に出ていらっしゃる。

また、映画「あん」(ドリアン助川原作)の主人公のモデルになった方も、この本の最初に出てこられる。なんとご主人さんはハンセン病の誤診で隔離されたそうだ。上野さんと結婚したので、ご主人が断種したそうだ。奥さんに不妊手術をさせるのは忍びないので、奥さんに黙って断種の手術を受けたのだ。奥さんはふんどしが血で真っ赤になっているので、それで初めて気がついたとか。ふんどしが真っ赤になるほどの手術って、もしかして睾丸をまるごと切り取られたのだろうか。

著者の高木智子さんのお陰で、隔離されていた方の怒りや悲しみ、そして喜びまで少し身近に感じることができた。多くの方に読まれるべき本だなと思う。

消されたマッコリ。

「ほろよいブックス」シリーズの中の一冊なので食文化のウンチク本なのかなと思ったら大違い。戦前から戦中戦後にかけて日本に来ざるを得なかったコリアンの歴史と生活と戦いが描かれている。

舞台は大阪最南端の「多奈川」。そこで、コリアンたちの生活のための密造酒が作られる。当時は「多奈川一級酒」と呼ばれ、近畿一円に広まっていたらしい。今でもあるのなら飲んでみたいものだ。

そしてその摘発で、コリアンが一人射殺されている。「多奈川事件」と呼ばれているそうだ。新聞では、警察官3人で赴いたところ拳銃を奪われそうになったので、もみあっている最中に発砲したと報道されている。しかし、筆者は当時目撃した人を見つけ出し、警察の発表とかなり食い違っていることが、この本に書かれている。警官は一人だけで、拳銃を奪おうなどとしていなかったそうだ。その殺されたコリアンの娘さんは、老年になってから識字学級に通い、そこでその時の悔しさを作文にしている。「わたしが男だったら復讐していたのに」と。

永続敗戦論

なんかすごい本やった。
野村 浩也さんの「無意識の植民地主義」を読んだ時と同じくらいの衝撃を受けた。
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その定義上絶対的に変化を拒むものである国体に手を付けることなど、到底不可能に思われるかもしれない。しかしながら、それは真に永久不変のものなどではない。というのも、すでに見たように、「永遠に変えられないもの」の歴史的起源は明らかにされているからである。それはとどのつまり、伊藤博文らによる発明品(無論それは高度に精緻な機械である)であるにすぎない。三・一一以降のわれわれが、「各人が自らの命をかけて護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏付けられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的な怠惰を燃料としているのだから。(P185より抜粋)

ナオミとカナコ

読んだ。
読み終わったあとも、ドキドキが止まらない。
指先も心なしか震えてる。
「読者も共犯者」の意味もよくわかった。
ドキドキしすぎてしんどくなり、途中で読むのを止めたくなるほど面白かった。
奥田英朗、最高!!!

冷血

何の救いもなく、荒涼な心象風景が呼び起こされるようで暗澹たる気持ちに追いやられてしまう。この「冷血」には、たいした動機も理由もなく一家四人を惨殺し、あっけなく警察に捕まった後も、自分たちの凶行を省みることもなく、はたまた開き直るでもなく、まるでADHD的な非行を重ねる中学生のような犯人が描かれている。

被害者の一人である女子中学生や犯行直前までの犯人たち二人の内面が描かれているところは秀逸で、複雑で繊細な心の動きにまるで様々な角度からフラッシュを浴びせているようだ。

しかし、二人が捕まってからは、犯人たちの内面から描かれることはなく、合田刑事から見た二人が登場し、事情聴取が延々と繰り返されていく。そしてやがて合田と犯人たちとの書簡が少しずつ交わされていくのだが、そこに現れる犯人は、文学的な表現ができる思慮深い青年となっている。しかし犯行に対する反省や後悔はなく、人格的な変容が描かれているのではない。

そこにあるのは塞ぎようのないぽっかりと開いた大きな空洞だ。そこに吹きすさぶ風が血を凍らせていく。9.11で妻を亡くした合田にもその風は吹いている。ただその空洞を見ないようにして生きているだけだ。その為に合田は毎朝、畑に出てキャベツを育てる。金属バットで叩き割るのではなく。でも、育てるのも叩き割るのも、紙一重なんだ、たぶん。

最高の人生をつくる授業

平易なことばで書かれていますが、とても深いものを感じました。心揺さぶられました。読むだけでこんなに感動してしまうのですから、サティシュさんの授業を生で受けたら、ものすごく衝撃を受けていたことでしょう。勇気をもらえた本でした。

オリンピックの身代金

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 「この先はもっといいことがありそうな気がする。自分は二十四歳で、戦後日本は二十歳にも達していない。身の回りのすべてが青春なのだ」と登場人物の一人が語るこの言葉に胸が切なくなる。

 高度経済成長期の日本は、おそらくほとんどの人たちはそのような気持ちを抱いていたのではないかと想像する。明日の私は今日より少しはお金持ちだと。

 あまりにも急激に成長したために、いろんなものを日本人は見過ごしてきてしまった。戦争の総括、人権問題、環境問題…見て見ぬふりをしたのか、目にも入らなかったのか。もちろん気づいていた人たちもいたのだが、伝え方を間違ったようだった。

 多くの人たちは目先にぶらさげられた「お金」に操られてしまったのだ。そしてその恩恵は全ての人に与えられたのではなく、貧富の格差はうめられることなく多くの人柱の犠牲の上で、経済成長はなされてきた。

 だから作家奥田英朗が、東北の貧農に生まれた東大生・島崎国男を一人のテロリストとして昭和39年に送り込んだのだ。オリンピックの妨害を盾にして身代金をせしめようとした彼は、私たちの贖罪である。そして今、何の呪縛も解かれていないことに、私たちは気づかねばならない。

 国威発揚としてのオリンピック。選手にはなんの罪もない。しかし国家は選手たちのピュアな精神を利用しようとしているのではないか。政府はオリンピックよりもしなければならないことがあるだろ。原発事故の処理は何も終わっていないではないか。いまだ線量が高い日本に、海外の人たちを招いていいのだろうか。オリンピックは目の前にある問題から目をそらせるために使われている。

もっとゆっくり(Not So Fast)

もっとゆっくり(Not So Fast)
ドネラ・メドウズ

世界を危機から救わなければならない、と思っている人たちというのは解決策を売り込もうとみんな忙しく駆け回っていますね。私もそのひとり。環境危機、飽くことを知らない権力欲と物欲、倫理的荒廃、麻薬の蔓延、犯罪の増加、人種差別など、あげればきりのない危機と疾病の数々。それらに対して、炭素税、選挙制度改正(改悪?)、教育改革、税制改革、絶滅危惧種保護法。規制の強化、いや緩和。これまた長い、長い処方箋の数々。各自が担いだ錦の御旗で、私たちは互いの頭をボカボカとたたき合っているというわけ

でも、世界危機を救う方法として、ひとつ、我ら熱狂的な運動家や活動家がいまだに提案したことのなかったものがあるんです。

それは、スローイング・ダウン、つまり減速すること。

私が熱中している「世界を救え」運動は、環境運動。つまり、母なる地球に生きるものとしての、限度をわきまえた持続可能な生き方を求める闘い。他の運動はともかく、少なくともこの私たちの運動に関して言うなら、まさにスローイング・ダウンこそが問題解決のために最も有効な解決策だと言えそうです。

いつも私たちは急いでいる。いや、急いでいると、思い込んでいる。でも今、その思い込みを取り払ってみるとどうなるでしょう。すると、自動車で行くかわりに歩いて行けるかもしれないし、飛行機で行くかわりに帆船で行けるかもしれない。別に急いでいないならば、もっと時間をたっぷりかけて、自分の出したゴミを自分でかたづけることもできるでしょう。ブルドーザーで地形を永遠に変えてしまう前に、コミュニティの住民たちがじっくりと納得いくまで話し合うこともできるはず。残り少なくなった魚を、さらなる分捕り合戦で絶滅に追い込む前に、一体世界の海がどれだけの魚を再生産できるのかを学ぶことも出来るでしょう。

想像してみましょう。ゆっくりと歩く。すると道端の花の香りを嗅ぐことができる。生活のペースを落とす。すると、今まで忘れていた自分の体をまた感じ始めるでしょう。子どもと遊ぶこともできる。手帳にビッシリ書き込まれた予定表のことを考えずに、愛する人との時間を楽しむこともできる。ファースト・フードを大急ぎで呑み込むかわりに、スロー・フード、つまり自分たちで育てたり、料理したり、盛りつけした食物を心ゆくまで楽しむこともできる。毎日、静けさの中にじっと坐って時を過ごす自分を想像してみて。

もし、私たちがこんなゆったりとした生き方をしていたのなら、「世界を危機から救え」と私たちが言う、その「危機」なんてそもそも起こらずにすんでいたんじゃないかしら。
だって、ゆっくりやるということは、旧来の道具をフルに使いこなしながら、最新の技術に注ぎ込まれる大量のエネルギーや材料を消費せずにすませることを意味するはずでしょ。そして時間節約のためのさまざまな新製品を買わずにすませるということ。(それにしても、買い揃えたハイテク機器が節約しておいてくれたはずの時間は、みんなどこへ行ってしまったの?)物事をもっとスローに進めれば、私たちがこれまでのようにたくさんの失敗を重ねることもなくなるでしょう。相手の言うことにもっと耳を傾けるようになり、互いに傷つけ合うことも少なくなるでしょう。さらに、何かの問題の解決策として「これ以外ありえない」と思えるような時でさえ、もっと時間をかけてそれを吟味し、現実にどんな効果や副作用があるかを試験してみる心のゆとりができるかも知れない。

「活動家の狂おしいまでの情熱が、平和のための彼のせっかくの貢献を帳消しにしてしまう」とは宗教家で詩人のトーマス・マンのことば。確かに熱狂は変革者の心に性急さ、過労、不寛容、あせり、いらだちを生み、内面的な平和をかき乱す一種の暴力ともなりますよね。内面の平和を知らない人に果たして、人の世の平和がイメージできるものかしら

インドの友人が私に言うんです。西洋からの商業広告の大波がインドの文化に大打撃を与えてきたが、それは広告の内容のせいというより、そのペースのせいだ。特に高速スピードで感覚を激しく刺激し続けるテレビのコマーシャルは、インド文化に何千年と続いた瞑想という伝統を真っ向から否定するものだって。分かる気がします。私自身、インドでは物事のペースがあまりにものろいのでずいぶんイライラさせられたから。

「全くこの人たちったら、『時は金なり』っていうことさえ知らないの?」なんてね。
今思えば、『時は金なり』を知らなかった彼らが知っていたのは、『時は命なり』ということ。そして、大急ぎで生きることは命の無駄遣いなり、ということ。

スロー…、ダ・ウ・ン。とにかく、そこから始めよう。しかる後、静かに、慎重に、次の一歩を考える…。

これが世界を危機から救う第一歩。とは言ったたものの、そういう私が実はその一歩をなかなか歩み出せないでいるんだから困ります。頭ではわかっているつもりでも、すぐに世の中のペースに巻き込まれてなかなかスローイング・ダウンできないでいるんだから。私の知り合いの運動家や活動家のほとんどがそうであるように、私もまた、健康的な食生活を送ったり、静かにくつろいだり、休暇をとったりするにはあまりに忙しすぎる。あまりに忙しくて考えることすらできない火もるほどです。

そんな私のような環境活動家への皮肉を込めてでしょう、エドワード・アビー(米国の作家、環境思想家 1927~89)がこう言ったことがあります。
「大地を守るために闘うだけでは十分と言えない。それよりもっと大事なことがある。それは大地を楽しむこと」
いい忠告でしょ。でも残念、今は忙しくてそれどころじゃない。「私には救わなきゃいけない世界があるんだから」、なんてね。

(『スロー・イズ・ビューティフル』辻信一より)

自分を見つめる禅問答

己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。
哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。
その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。

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ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。

しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生きるべきだと決断した。自殺を禁じる理屈はない。本当に死にたい人間は、どう理屈を説かれようとそれで説得されることはない。しかし、ブッダは苦しくとも生きていけと言う。理屈抜きでそう決めたそのとき、命は初めて大切なものになる。

「自分が愛しい」という感覚を持った人間は、たとえ困難な中にあっても、そう簡単に自殺するはずがない。「命の大切さ」の認識の根底には「自分の愛しさ」があるはずなのだ

自分を愛しく感じることができるのは、自分の存在を大切にされ、肯定された確かな記憶があるかどうかによるだろう。自分の存在に根拠が欠けているにもかかわらず、自分を肯定し、愛しく思う気持ちがあるとすれば、それは他者からくる。

後に「親」となる存在との理由なき出会い、誰であるか、あらかじめ知ることのできない「非己=己でなはない存在」によって、無条件に受容され、慈しまれること。この事実のみ、自分の存在を肯定する感覚は由来するだろう。

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「最後に伝えたかったこと―故人に届けたい47のメッセージ」

Amazonのレビューでは評価が真っ二つに分かれている。一つ星が7人、5つ星が6人、それ以外はない。一つ星をつけている人たちは、フェイスブックで著者の瀧本さん自身が書いている「携帯に残された最後のメール」についての真偽を問いただし、批判している。また震災を食い物にするなとも。

「携帯に残されたメール」の真偽は僕にも分からないし、震災の被災者を食い物にするようなことはしてはいけないと思う。しかし、この本は、震災で亡くなった人たちのことは取り上げられているかどうかは定かではない。何年も前から瀧本さんが葬儀や法要で遺族から聞いたことを書き留めたものを本にしたと書いている。「携帯に残されたメール」の話も掲載されていない。

僕は素直に泣かされてしまった。短いストレートな表現に、いろんな思いが詰まっているのを感じた。しかし、伝えるべき相手が亡くなってからでは遅いのだ。「感謝は貯金はできない」という瀧本さんの言葉は得心させられる。感謝をしてそれを相手に伝えるということは、結局、自分のためであるのだと思った。

「感謝は人の為ならず」

 

橋下主義(ハシズム)を許すな!

『橋下主義(ハシズム)を許すな!』はとても素晴らしい本でした。特に内田樹さんの講演録は感動しました。橋下がどうのこうのではなくて、「学ぶ」とはどういうことなのかを教えられました。読む価値があります!

「悲しむ力」中下大樹


子供の時、感受性の強かった僕はそれを素直に受け止めることが出来なくて、できるだけ能面を装うようにしていたように記憶する。でも、心はいつもヒリヒリしていた。大人になってからもそんな一面は残っていて、感情を制御するためにいろいろなものを切り捨ててきたような気がする。

それは、悲しみであったり、寄り添う気持ちであったり、祈りであったり、抱きしめる行為であったり、お詫びする心であったり、感謝であったり喜びであったり、そのようなものではないだろうか。僕はそれらを伝えたり行動するのが下手くそだったのである。

著者はまだお若いお坊さんであるが、ホスピス勤務そして東北の大震災で多くの方の死を看取られ、悲しみや苦しみに寄り添ってこられた方である。決して強い人ではなく、ご自分の心を引き裂きながらも、悟りを開こうと努力されている方のように思える。

本書の様々なエピソードは、著者の中下大樹さんの心の弱さもさらけ出しながら、人に寄り添い繋がって生きていくことの大切さが謙虚に描かれている。そして、たとえ苦しみの中でも、その苦しみを受け入れ、苦しみと共にあるがままに生きることを説いている。そう、被災地の方には、遠くの安全な場所から「がんばれ」ではなく、一緒に悲しむことが大切だと。

ザ・シェルター

北村想さんの戯曲「ザ・シェルター」を読んだ。

シェルターのモニターとして一家四人(夫婦、子供、祖父)が庭に設置されたそれに数日間入ることになる。しかし、何故かコンピュータの故障で、電気系統が作動しないまま閉じ込められてしまい、貯水タンクも壊れ、水が無くなってしまう。家族は暗闇の中で、昔の台風の思い出を語り始める。

「あのね。もし、もしですよ、ひょっとして核戦争があったとして、人々が今の私たちのようにシェルターに入って、核戦争の終わるのを待つとするでしょ。そうしたら、家族はいったいどんな話をするんでしょうね。やっぱり台風の話でしょうか。」

やがて電気がつき、シェルターの扉が開けられる。うす紅色の光が差し込む。外は夕焼けだ。おじいちゃんと孫は赤とんぼを捕りに外に出て行く。

「実験はお前たちだけでやればいいだろう。私はもういい。ミサイルが飛んで来れば、できるだけ当たらぬように気をつけるさ。」

夕焼けがますます赤くなり、無数の赤とんぼが飛び始める。戯曲には書かれていないが、シェルターの中にいる間に、本当に核戦争が起きてしまった設定だと誰かから聞いたことがある。最後の夕日は核爆発の色なんだろうか。

しかし、コンピュータが壊れてから、ラジオのニュースで台風情報が流れる場面がある。そこでは核戦争には一切触れられていないから、核戦争が勃発したという設定は無理があるような気がする。戯曲に書かれている最後の場面—

サトコ あなた…
センタ ああ、夕焼けだ。
センタとサトコ、ちらっとそれぞれの表情を覗くが、苦笑して、出て行く。

と書かれているが、もしこれが核爆発の夕日を見ているのなら、苦笑などせず呆然と眺めているはずである。かなり好意的に解釈しなかれば、核戦争の「暗示」にもなっていないような気がする。しかし、この作品のミソはそこではなく、暗闇のなかで交わす台風の思い出なんだろうと思う。いつか舞台があれば観たいものである。

歌わせたい男たち

この脚本を一気に読んでしまった。コメディなのに、息が詰まって苦しい感じがした。そして悲しい。

このお芝居は「君が代」を歌わせようとする都立高校の校長と若い教師二名と、それに反対する一教師、そしてその間に臨時の音楽教師(シャンソン歌手崩れ)を挟んでの、卒業式開式前の物語をコメディとして描かれている。
この本のあとがきに書かれていたが、この芝居はロンドンのある劇場と提携して公演される予定だったとか。しかし、内容がロンドン市民に理解させることは不可能だと、もし学校でこんなことがあったら、全国の先生たちがストライキをおこして国中が大騒ぎになるはずだという理由で、却下されたということだ。
そう、確かに変だ。憲法で保障されている内心の自由を侵害されているからだ。そしてこれは空想の物語ではなく、現実だからだ。教育の現場は戦前に戻りつつある…。

 

 

神聖喜劇


神聖喜劇 (第1巻)
で、今読んでいる漫画がある。この本の解説によると、

「大西巨人の小説『神聖喜劇』は、日本の戦後文学を代表する傑作のひとつです。(略)ふつうの小説の基準を土足で踏みにじるような、どこか空恐ろしいものを感じさせる傑作なのです。内容は、ひとりの兵隊のわずか三か月の軍隊生活を描くものですが…(略)」

と書かれている。そんな小説を漫画化したものだ。全六巻中まだ三巻までしか読んでいないが、おいおい家に配達されたら読み終えてしまおうと思っている。

しかし、軍隊というのは馬鹿馬鹿しいものだ。そういう風に描かれている。軍紀として「被服手入保存法」の中で「睾丸ハ左方に容ルルヲ可トス」とあるらしい。要するにタマタマは左側に寄せておけという規則だ。そんなことについても、この「神聖喜劇」の中で真面目に論議されているのだ。

また、上官から質問された時に「知りません」と答えては駄目で、その場合は「忘れました」と答えなければならないそうだ。これは

「“忘れました”は、ひとえに下級者の非、下級者の責任であって、そこには下級者に対する上級者の責任は出てこないのである。それは…上級者は下級者の責任をほしいままに追及することができる…しかし下級者は上級者の責任を微塵も問うことができないというような思想であろう」

と書かれている。これは見事にヒロヒトが戦争責任を追及されなかった(できなかった)ことを表していると僕は思った。