リトルバーズ

リトルバーズ―戦火のバグダッドから
リトルバーズ―戦火のバグダッドから
綿井 健陽

ドキュメンタリー映画「Little Birds~イラク 戦火の家族たち」に入りきらなかったシーン、映像化できなかった人たちの証言で構成されているらしい。僕はまだ映画を観ていないので、是非観たいと思う。

内容は、イラク戦争開戦前からバグダッドに滞在し、日々迫ってくる米軍の空爆音、爆撃音を聞きながらも市内をレポートし、フセインの像が引き倒された場面に立会い、その後も一般市民の被害状況を調査した2003年3月から始まり、その後数カ月おきにイラクを訪れ、2004年6月までの状況をレポートしている。

日本のマスメディアが引き上げてしまうような場所にも留まり、その状況を伝えようとする使命感には脱帽する。
本書にも書かれていたが、直接の砲弾に晒される危険もさることながら、爆弾が炸裂したその無数の破片は数百メートルも飛び散るという。その小さな破片が身体のいたるところに突き刺さり、重症さもなくば死に到る。そんな被害にあった人たちを取材しているのだが、同じ危険に筆者も晒されていたはずだ。

自衛隊のサマワ派遣の時に「ようこそ自衛隊の皆様」という横断幕の件について、豊田さんの「戦争をとめたい」にも載っていたが、同じことが書かれていた。アラビア語では「ようこそ日本人の皆様」と書いているにも関わらず、日本人ジャーナリストのEさんが、勝手にそんなふうに下書きをして書かせたらしい。そしてその横断幕を撮影して日本のメディアに送ったとか。

自衛隊をイラクに送ったのだ誰なのか?

沖縄の基地から飛び立った爆撃機は、いったい何人のイラクの人たちを殺したのだろう。

光市の裁判への発言の所為か、綿井氏のHPなどの更新などもストップして活動もされているかどうかわからない状態であるが、それはさておき、自分の命を顧みず、「この戦争は見届けなければならない」と胸を熱くしながらなされたこのレポートは読む価値がある。

妻の貌

「妻の貌」を観てきた。

偉大なアマチュアドキュメンタリー映画だ。

50年も自分の妻そして家族を撮り続けて、それを一つの作品として完成させた映画だ。素人ゆえ音楽の使い方やや編集には居心地の悪さを感じないでもないが、逆にそこに誠実さを感じたりもする。

妻のキヨ子さんは19歳の時、女子挺身隊で工場勤務の時に監督である夫に出会い、そしてその時に被爆された。キヨ子さん自身は工場の中にいたので、放射線や爆風には直接当たっていないので火傷の痕などはないが、やがて甲状腺癌が発症する。

映画では、キヨ子さんを中心に静かに時間が流れていく。キヨ子さんの所作の一つ一つに品性を感じるのは、監督が持つ妻への愛情と敬意がフィルムの中に現れているからなんだろうと思う。キヨ子さん自身も原爆症で酸素吸入や輸血をするほど体の状態が良くないにも関わらず、寝たきりのお義母さんの世話を十数年もの間、懸命にされた。重労働だ。「寂しい。お義母さんは心の支えじゃたんよ。」とお義母さんが亡くなってからも呟くほど愛情を持って介護をしている姿は美しかった。

印象的なシーンがいくつもあった。キヨ子さんがベッドのお義母さんを覗き込みながら何か話をしている。その側でキヨ子さんの娘とその娘が何かをしている。一つのフレームの中に親子四代が静かな時間を過ごしているのだ。この映画はキヨ子さんを中心にした家族の物語でもある。でも、決して尊大ではなくいつも控えめに写っている。義母さんの納骨の場面でも、親戚が多く集まって墓の前で手を合わしているのに、キヨ子さんは少し後ろで肩を落としたように小さくなって手を合わしている。一番世話をしたのはキヨ子さんであるのにも関わらず。
カメラを通しての映像は時に冷たくも感じる。映像のこちら側には夫がいるにも関わらず、夫の姿が見えないからだ。そんな夫に向かって、時にはキヨ子さんも毒を吐く。

「戻して。私に人生を。バカ。」
「あんたはパーよ。私を素材にして、自分の仕事の肥やしにしようと私を連れとる。」

キヨ子さんは美しい。老いるほど皺は細かく刻まれていく。でもその皺が美しいのだ。

「元気になりたいの。何も考えずまっすぐ生きていきたい。一生懸命食べなきゃ。」

この映画の紹介では「ヒロシマ」の色を濃く表現しているが、例えその「ヒロシマ」と言う要素がなくても充分に成立した映画ではないかと思う。それぞれの家族にそれぞれの物語があるのだから。

壁に残された伝言

ヒロシマ―壁に残された伝言 (集英社新書)
ヒロシマ―壁に残された伝言 (集英社新書)
井上 恭介

amazonで1円で手に入れたら、またまた著者のサイン入り本だった。

著者はNHKのディレクターで井上恭介さん。2000年NHKスペシャル「オ願ヒ オ知ラセ下サイ~ヒロシマ・あの日の伝言~」、2001年ハイビジョンスペシャル「オ願ヒ オ知ラセ下サイ~ヒロシマ『被爆の伝言』」と言う番組を構成された方で、本書はその取材で知りえたことをまとめたものである。

1999年に広島の小学校の剥げ落ちた壁から、チョークで書かれた伝言が見つかった。その伝言に書かれた名前から本人を探し出していく過程で出会った様々人たちのことが書かれている。

その小学校は爆心地から460m離れた場所にあり、当時建てられたばかりのコンクリート校舎で地下室から水洗トイレまであったらしい。頑丈に作られていたので、このあたりでこのコンクリート校舎だけが残ったそうだ。被爆した人たちが雨露をしのぐためにこの校舎に集まり、病院代わりにもなっていたと言う。当然電話も何もないので、肉親を捜し求めてきた人たちは、散らばっていたチョークで壁に伝言を書き残した。それが20世紀の終わりに、剥がれ落ちた壁の下から出てきたのだ。

伝言を書かれた当事者や、そこに書かれている名前の方はもう鬼籍に入っている方がほとんどだったが、家族の方がその文字を見て、「出会えた」と言って涙する場面では、そんな文字にさえ家族の愛を感じる不憫さに胸がかきむしられる思いだ。

NHKで再放送があれば是非観たい番組だ。

しかし、平和式典に参加するやつは左翼ばかりで、被爆者はいないだとか、そんな発言する輩がいるが、こんなことに右翼だとか左翼だとか関係あるのだろうか・・・。

アフガンに命の水を

「アフガンに命の水を」と言うDVDを観た。

アフガニスタンに6年がかりで全長24Kmの用水路を、ペシャワール会の中村医師が中心になって作り上げたそのドキュメンタリーだ。大旱魃で渇ききった砂漠が緑の大地に変貌していく様を眼にして、中村先生ってなんて偉大な人だろうと思う。
「私は国際貢献をしているなんて思っていない。感覚的には地方貢献ですね。私は医者でもあるためか、目の前に困っている人がいたら助けざるをえないんです。」と言うようなことをおっしゃている。
このDVDには一切出てこないが、実はこの灌漑作業中に難病の子供さんを失くしたということを、何かの書物で読んだことがある。大事な作業中だったので、死に目には会えなかったらしい。自分の家族よりアフガニスタンの人・・・。何か壮絶なものを感じる。
中村先生は、今は「神学校」の建設に着手している。そんな映像の最後のほうにあった。「神学校」=「タリバン」というイメージがあるので、普通のNGOならそこまで関わらない。だが、現地の人が今本当に必要なものをと考えた時の中村先生の結論は「学校」だったのだろう。

ファルージャ 2004年4月

ファルージャ 2004年4月
ファルージャ 2004年4月
益岡 賢,いけだ よしこ

amazonの古本で購入した。
(したら、なんと高遠菜穂子さんの「命に国境はない イラク人に代わって 菜穂子」というサイン入りだった! ほんまもんかな・・・? 高遠菜穂子さんとは、ファルージャで虐殺が行われているとき、サラヤ・ムジャヒディーンと名乗るグループに拉致された日本人三人のうちの一人の方)

この本には、米軍が行った虐殺の実態が有り体に書かれている。まさに自分の命を投げ打って活動をした四人の活動家の記録だ。
胸に大きな穴が空いている人、喉をナイフでかき切られている人、クラスター爆弾で全身大火傷を覆っている人、腕がちぎれて溢れるように血が流れている人、そして電気が止められていて、薬品もないそんな地獄のような街を、襲撃を受けながら車で奔走し、負傷者や遺体を収容するのだ。
弾が飛んでくる方向に向かって、拡声器で「怪我人を運ぶんだ、撃たないでくれ。」と言いながら、両手を挙げながら前に向かっていく。そんなこと、誰ができるというんだろう。

以前読んだ本に書かれていたことを思い出した。彼らには、きっとそんな使命を持って生まれてきた人で、特別な人たちなんだと思う。そしてそれが活字になった限り、それは伝えられていくべきものになったのだ。だから、それを眼にした人は、周りに伝えていかなかればならないと思う。

この書物のP199より引用する。
——————————————–
・・・とりあえず日本に暮らして最低限の収入を得ているならば、何ごとも起きていないかのように「日常」生活を送って、ひっそりと下を向いて、できるだけ世界を見ないようし、「都合の悪い」ことに耳を傾けないようにし、自分が生きているうちに自分の番にならないように心の中で祈るだけにしていたくなる。
けれども、こんな時だからこそ、キング牧師の次のような言葉を、改めて思い起こそう。「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」
——————————————–

フォトジャーナリスト13人の眼

フォトジャーナリスト13人の眼 (集英社新書)
フォトジャーナリスト13人の眼 (集英社新書)
日本ビジュアルジャーナリスト協会

日本を代表するフォトジャーナリスト13人がそれぞれ数編ずつエッセイを書いている。初っ端は大御所の広河隆一氏だ。1982年にレバノンのパレスチナ難民キャンプを訪れた時に、広河本人に気づかれないように護衛されていたことを後から知ったというエピソードから始まっている。他の書物でも読んだことがあったが、再度読んでも感動する話だ。事件を海外に伝えることが出来るように、銃を忍ばせて広河氏を護衛していたそうだ。

それぞれのフォトジャーナリストのエッセイは全て重い。
その中で、土井敏邦氏が2004年4月に米軍による虐殺があったイラクのファルージャの話を書いている。彼がファルージャに入ったのは包囲が解かれた5月で、悲惨が虐殺の痕が生々しく残っており、それをスクープとして日本のメディアに送り、ジャーナリストとしての本分をいくらか果たせたような気になっていたらしい。
ところが、「ファルージャ2004年4月」というルポが出版されて愕然とした。それは、まさに米軍の猛攻撃の中、ファルージャに身を置き、負傷者の救援や遺体の収容のために奔走した英国人平和活動家たちの記録である。
それを土井氏が読んで、「ジャーナリストの自分が何故、平和活動家の入れたその現場にいなかったのか。」と悔やみ、自分は失格であると恥じたことが書かれていた。

戦争を止めたい―フォトジャーナリストの見る世界

戦争を止めたい―フォトジャーナリストの見る世界 (岩波ジュニア新書)
戦争を止めたい―フォトジャーナリストの見る世界 (岩波ジュニア新書)
豊田 直巳

あまりにも直接的なタイトルなので二の足を踏んでしまいそうだが、豊田さんの戦争をとめたいという気持ちが溢れるほど込められており、ここにも使命感を持って生きている人がいると思い、感動した。

イラク、パレスチナ、レバノン、アフガニスタンなどの紛争地をめぐり、そこに暮らす人々の日常を取材するなかで、豊田さんが体験したこと、感じたことを綴っている。

豊田さんは、以前は塾の講師とフォトジャーナリストの二足のわらじを履いていたのだけれど、パレスチナの難民キャンプで出会ったおばさんに

「ヒロシマ、ナガサキを経験したあなた方日本人なら、私たちのこの悲惨さを理解できるはずです。どうかこの現状を日本の人々にも伝えてほしいのです。」

と言う言葉に促されて、写真を撮るほうを選んだと書いている。

しかし、日本のマスコミでは思うように伝えられなくて苦い思いをしていることが書かれている。その代表的なものは、劣化ウラン弾だ。

劣化ウラン弾が打ち込まれた戦車などが放置されたままで、放射能はイラク全土を覆っている。そして子供の死亡率が異様に高くなり、癌、白血病に冒されたり奇形児がたくさん生まれている。人魚のような一本足、脳みそや内臓が飛び出ている、一つ目の赤ちゃんなど親に見せられないまま死んでいく赤ちゃんが増え続けていると。

豊田さんは癌に冒された少女にカメラを向けたら、付き添いの母親に次のように言われた。
「・・・何のためですか?私たちには何の役にもたちません。・・・(略)・・・私たちを助けてくれるんですか?どうやって?私たちは写真などいりません。欲しいのは薬なんです。」

それでも涙を流しながら撮影を続ける豊田さんに敬意を表する。

原作「夕凪の街 桜の国」

夕凪の街桜の国
夕凪の街桜の国
こうの 史代

先日の日記で、大阪女優の会のこの芝居を観たと書いたが、一度は拒絶した原作の漫画を読みたくなったので、梅田や難波の紀伊国屋や旭屋を回ったが在庫がなく、諦めながらも近所の本屋を覗くと、この本を発見することが出来た。

うすっぺらい本なので、逆にゆっくりとじっくりと読むことができた。
驚いたのは、あの芝居はこの原作を忠実に再現していたと言うこと。
漫画を見ながら再びあの芝居を味わっているようだった。
構成・演出をされたキタモトマサヤさんは本当に凄い人だとあらためて思った。
今年の芝居は昨年と違う演出だったそうだが、昨年のバージョンも観てみたいと思うし、来年、また違う演出のを再演してもらいたいと切に思う。

関係者のみなさま、是非よろしくお伝え下さいませ。

花と兵隊

と言う映画を観た。

http://www.hanatoheitai.jp/
敗戦をタイ・ビルマ国境付近で迎えた、日本に帰らなかった6人の元日本兵のドキュメンタリーだ。

「未帰還兵」と紹介に書いてあったので、小野田さんや横井さんのように、ジャングルで暮らしているような人たちの話かなと思っていたら、そんな時代も経ながらタイで現地に根付いて(中国人になりすました人もいる)しっかり生活してこられた方々の話だった。無知で恥ずかしい。

手に職を持った人たちはそれで生活の基盤を築き、会社を設立している人もおられた。またそれぞれ綺麗な奥さんをもらい、晩年まで支えてもらっている姿が微笑ましかった。

しかし、先日「南京 引き裂かれた記憶」を観た僕には何か違和感を覚えていたのだが、その内、「何故日本に帰らなかったのか」と言う質問を監督がする。一人の老人は、答えることができない。言えない事情があると、そして、一緒に戦って来た戦友が最後になって信頼できなくなったと言う。「人を食べたことがるって聞いたことがあるんですが、それはどうですか?」と聞くと、何も答えない。
場面が急に変わり、同じ質問を別の老人にした。すると・・・。

これ以上、ここでは書いてはいけないような気がするのでやめておく。

とある他のブログを検索したら、上映会での監督の言葉が載っていたので引用する。

「僕たちは、戦争を知らない世代って言われるけれど、それは違うと思う。戦争を知らないのではなくて、戦場を知らないだけ。戦争っていうのは政治の延長だから、自分たちのすぐ手元にある。政治に興味を持たなければ、戦争はなくならない。戦争を辞めたければ、政治に興味を持つしかない。酒を飲みながらでも、政治を語ることによって、戦争はなくなると思います。皆さん、よろしくお願いします」

弱冠30歳の骨太の監督だ。

朗読劇「夕凪の街 桜の国」

子どもの頃は漫画が好きで、小遣いはほとんど漫画雑誌やコミックで消えていた。でも大人になるに従い漫画から遠ざかり、特に最近の漫画はほとんど受け付けない。絵を見ただけで拒否反応を起こしてしまう漫画がほとんどだ。

数年前、「夕凪の街 桜の国」と言う漫画が話題になった時も読みたいと思ったのだが、書店で絵を見た途端、読む気を失っていた。

だから、大阪女優の会の「夕凪の街 桜の国」の朗読劇は、どんな物語なのか全く知らないまま、何の予備知識もなく、今日観てきたのだった。でも、漫画の印象があったので、先入観としては、あまり良いものを持っていなかったから、そんなに期待はしていなかった。漫画が朗読劇になると言うこと自体が、いったいどんなものになるのか、イメージが浮かばなかったのだ。

劇が始まり、作者の生い立ちの紹介から朗読が始まり、ト書きのようなところも朗読していることに、最初は少し戸惑いを感じたが、観ているうちにその違和感もなくなり、次第に物語りに引き込まれていった。朗読者の立ち位置の移動や、顔の表情や体の抑制された動きなどはあったが、基本は朗読を聴くことなので、喚起される自分のイメージと舞台の上がほどよく交じり合い、今までに味わったことのない感性を刺激されたのだ。もちろん物語にも感銘を受けたが、朗読劇でこれほどイマジネーションに刺激を受けたことに感動した。来年もまた是非、観にいきたい。

トランクの中の日本

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録
トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録
Joe O’Donnell

米従軍カメラマン”ジョー・オダネル氏”の1945年9月から翌年3月までの佐世保、長崎、広島から神戸までを撮影した非公式記録だ。1995年に出版されてから絶版になっていたが、昨年復刊された。オダネル氏は2007年8月9日に亡くなったそうだ。

フィルムの保存状態が良かったのか、写真は古さを感じさせない60数枚ほどの写真が収められている。先日の日記にも書いたが、焼き場に立つ少年の写真は有名だ。

この写真集は写真だけでなく、オダネル氏の文章にも心を惹かれるものがあった。
侵略軍としてではなく、占領軍として日本に上陸することになった時の安堵感から始まる。そして、焼夷弾で焼けつくされた町、ハエがたかるリンゴにも食いつく子供たち、七五三で華やかな色彩の着物を着た子供たち、母国で爆弾の惨状を語り継いで欲しいと告げる老人、ヒロシマ・ナガサキの何もかも吹き飛ばされた焦土、「殺して」と囁いてきた体にウジが湧いている人など、様々な出会いで感じた時の心の揺れが文章として表現されている。

運動会の写真があった。かなり広い運動場の真ん中に梯子が二つ横に置かれている。一つは、まさにブルマを履いた女の子たちがその中をくぐっているところだ。おそらく障害物競走だろう。三角座りをした子供たちが周りを囲み、質素な服装をした大人たちもたくさん見学している。

終戦のその年に運動会をしていたなんて、今まで想像することなどなかった。想像もできないほど大変な暮らしをしていただろうそんな時に、よく運動会をしようと言う気持ちになったと驚いた。

運動会は学校だけの行事ではなく、地域の人や保護者を巻き込んでする大きな行事だ。たぶん、敗戦で沈んだ気持ちを吹き飛ばすためにも、無理やり取り組まれたんだろうと思われる。そんな気持ちを奮い立たせて先生も生徒も頑張ったんだと思うと頭がさがる。そして感動した。

アメリカには運動会はないのか、オダネル氏には軍事訓練だろうかと思われたようだが、僕には、この一枚の写真でさまざまなドラマと感情が頭の中で湧き起こり渦巻いたのだった。

永遠の0

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)
百田 尚樹

特攻隊で亡くなった祖父を孫が戦友を通じて取材していくという話だ。mixiのレビューではかなり評価が高い。ほとんど満点ではないか。内容としては、反戦ものとして、また史実の勉強として素晴らしいものだと思う。しかし、小説としてはどうなんだろうか。

戦友たちの証言がくどい。「くどいようだが・・・」と言う台詞も何度も出てくるくらいだ。戦友たちの性格付けは出来ているが、どの戦友もほとんど同じ口調で書かれていて、見分けがつきにくかった。また戦況の表現も単調で、少し眠たくなった部分もあった。

そして、一番肝心の「何故、祖父が特攻隊に志願したのか」と言う理由が、少し曖昧な表現で終っているのが惜しい。戦友たちの話などでそれがわかるのだが、もっとその部分は書き込んで欲しかった。祖父の苦悩をもっと表現して欲しかったのだ。

偉そうに文句ばかり書いたが、それでも泣かされた。電車の中では読めない小説だ。でも、泣ける小説が良い小説だとは限らない。同じ特攻隊が主題の「僕たちの戦争/荻原浩」「出口のない海/横山秀夫」のほうがやはり小説として、ずっと面白かったように思う。

でも、読んでみる価値はあるので、お薦め。

南京 引き裂かれた記憶

「南京 引き裂かれた記憶」を観てきた。

http://nanjinghikisakaretakioku.osakazine.net/

中国人7人、元日本兵6人のインタビューで構成されている。
証言内容は頭がクラクラするくらい悲惨なものだった。

中国人は今も心の傷が癒えず(8歳で強姦された女性はその後遺症でずっとオムツをしていると言う証言もあった。体の傷も癒えていない人ももちろんいる。)泣きながら証言するのに対して、日本人は他人事のように機関銃で殺したことや強姦したことを昔話として話している。「楽しいこともありました。」と笑顔になった瞬間に中国人の証言に切り替える場面はちょっとあざとくは感じたが、でも、戦争の狂気を照射されたようで、ぞっとした。

南京大虐殺に関しては昔、本多勝一氏の本を読んだことがあったが、もう内容はほとんど忘れてしまっている。その頃から「否定派」の声も大きかったが、今も平行線のままなんだろう。ネットで検索してみると、この映画でインタビューしている松岡環さんに対しての中傷がいくつもヒットした。単なる揚げ足取りでヒステリックなものが多かったように思う。

戦争の狂気ってこんなものなんだと言うことを知るためにも、この映画は観る価値があると思う。

人権で世界を変える30の方法

人権で世界を変える30の方法
人権で世界を変える30の方法
ヒューマンライツナウ

とても素晴らしい本だと思った。
もし機会があれば、手にとってもらえれば、何故か僕も嬉しい。

——————————————————————
以下本書P135より引用

実は、NGOの中で、人権侵害の現場で調査活動をする人はほんの一握りです。現場で被害者に接する彼らの活動はかけがえのないものですが、その声は被害者同様、圧倒的に小さいのです。その声を大きくしてくれるのは、普通に暮らしている市民一人ひとりの力です。
現場から発信された情報をもとに、一度もあったことのない人々、自分が足を踏み入れたことのない場所でおきた人権侵害について、想像力を働かせて、自分のことのように怒り、周囲に語ってくれる人たちがいなければ、人権侵害が世界の人々の話題にのぼることはありません。

——————————————————————

細々ながらも、僕も少しは応援できたらと思う。
まずは、「知る」ことから。

夏の雲は忘れない

 

「夏の雲は忘れない」1945・ヒロシマ ナガサキ

「夏の雲は忘れない」とはどんな作品ですか
ヒロシマ ナガサキに落とされた原爆によって父母を亡くした子供、子供を亡くした両親の書き残した手記を女優たちが朗読いたします。
特別な大道具、小道具はありませんが背景には映像が映し出され、音楽、効果音、照明によって構成されています。

戦争をテーマにした物は暗くて怖いというイメージがあるのですが・・・・
「夏の雲は忘れない」は戦争の怖さを声高にいう作品ではありません。
父母、子供たちの手記や記録は被爆者たちの悲惨な体験だけではなく人と人との絆、愛情の深さを伝え明日への希望に溢れています。
わたしたちの理解を超える残酷な事件、人と人との争いが報道される今日。世界のどこかで犠牲になっている人たちが今現在も生まれています。
父母子兄弟姉妹夫妻、それぞれがかけがいのない唯一人。犠牲になっていい人間なんて一人もいないのです。

朗読劇「この子たちの夏」は2007年秋、演劇制作体「地人会」の解散に伴い、1985年から23年間767回の全国を巡る公演活動が中止されました。
この公演に出演してきた18人の女優が集まり2008年3月、新しく「夏の会」を立ち上げ、女優たちによる朗読「夏の雲は忘れない」1945・ヒロシマ ナガサキの
公演活動をスタートしました。
突然肉親を奪われた怒りや悲しみ、親子の絆、愛の深さを多くの若い人たちが自分のこととして考えていただきたく、小さな小さな灯ですが点火いたしました。

「夏の雲は忘れない」1945・ヒロシマ ナガサキは主催者と実行委員、そして女優たちの共同作業で成立する公演です。

今後の公演についてもご支援宜しくお願いいたします。

 2009年夏の会「夏の雲は忘れない」公演予定 

チケットのお申し込み・開演時間などは()内の各地主催者にお問い合わせください。 

2009年7月

1日 東京 跡見学園 小講堂(貸切)
2日 東京 跡見学園  小講堂
7日 東京 桐蔭学園貸切公演
8日 東京 鴎友学園貸切公演
10日 広島 廿日市市  はつか市文化ホール (はつか市文化ホール 0829-20-0111)
11日 広島 神辺町  神辺文化会館 (神辺文化会館 084-963-7300)
12日 岡山 岡山市  三木記念ホール (「夏の会」とともに歩む会 086-275-5011)
13日 石川 金沢市  石川県文教会館
(「夏の雲は忘れない」金沢上演実行委員会 076-263-5057)
14日 岐阜 多治見市  多治見市笠原中央公民館 (多治見で芝居を観る会 0572-22-9210)
18日 千葉 野田市  欅のホール 小ホール (NPO法人野田文化研究所 047-124-0760)
20日 長野 上伊那郡  中川村文化センター (伊南子ども劇場 0265-83-4130)
21日 愛知 稲沢市  稲沢市民会館 小ホール
22日 愛知 豊田市  飯盛座(足助交流館)
23日 愛知 名古屋市  名古屋市芸術創造センター
(朗読「夏の雲は忘れない」上演する会・名古屋 052-832-6266)
24日 愛知 名古屋市  名古屋市芸術創造センター (金城学園みどり野会)
25日 愛知 新城市  新城文化会館 小ホール (しんしろ夏の会 0536-23-1564)
26日 愛知 田原市  渥美文化会館 (田原市仏教会 0531-32-0460 潮音寺)
28日 岩手 盛岡市  盛岡劇場
29日 岩手 久慈市  久慈市文化会館 大ホール
30日 岩手 北上市  北上文化交流センター さくら文化ホール
(「夏の雲は忘れない」北上公演実行委員会 0197-77-2107)

2009年8月

1日 東京 府中市  府中の森芸術劇場 ふるさとホール
(東京労音府中センター 042-334-8471)
3日 東京 世田谷区  世田谷区民会館 (世田谷地区労 03-3428-1234)
5日 埼玉 川越市  川越市民会館 やまぶき会館中ホール
(朗読劇「夏の雲は忘れない」1945・ヒロシマナガサキ川越公演の会 049-224-9687)
6日 東京 豊島区  豊島公会堂 (東京第一友の会 03-3971-9602)
8日 千葉 香取市  星の森野外ステージ (音の道実行委員会 080-1259-7177)
9日 埼玉 桶川市  桶川市民ホール ((財)けやき文化財団 048-789-1113)
11日 千葉 船橋市  船橋市勤労市民センター
(「夏の雲は忘れない」船橋公演実行委員会 047-422-6434)