冬の兵士in大阪

シルバーウィークの二日目、僕は「イラク・アフガニスタン帰還兵の証言集会~冬の兵士in大阪」に参加してきた。まずは「冬の兵士」を撮影された田保寿一さんの熱い挨拶から始まった。

「大阪でのウインターソルジャーは特別な意味を持っています。すでにリックさんとアダムさんは大きな影響を日本の社会に与えています。9月16 日、民主党の平岡英朗議員が、9月17には外交防衛委員会の理事、民主党近藤昭一議員、今野東議員、相原久美子議員が二人の証言をつぶさに聞きました。イラクでアフガニスタンでアメリカが何をしているのか、民主党の議員たちの中にその認識が生まれました。彼らは二人の話を聞いて、「その通りだ、なんとかイラク・アフガニスタン政策を変えなければいけない。」ということを述べていました。しかし民主党は一つではありません。さまざまな考えを持った人たちがいます。二人の証言を聞いて下さった議員たちは党内でどう理解してもらえるかこれから模索することになります。そのやり方次第では、日本がイラク・アフガニスタン政策を見直すことが実現するかもしれません。そういうことを、すでにこの二人は成し遂げています。

また18日にはBS-NHKで二人の証言が放送されました。私がこの「冬の兵士」をアメリカで取材を始めた頃から、テレビ朝日に企画を持ち込んでいました。しかし取り上げられませんでした。帰国をしてDVDを作成してからはNHKにこの企画を持ち込みました。しかしNHKではイエスと言いませんでした。ところがDVDを観た三人の記者が私に接触してきました。NHKも民主党と同じように一つではありません。彼らが放送するには、何か別の力が必要でした。それが、この二人の来日でした。それでついに、二日前に放送することになりました。昨日、もう一人のNHKの記者から電話がかかってきました。二人を取材してもう一度放送したいと言ってました。

私は2003年にテレビ朝日を辞めました。日本のテレビ局に正直、辟易していました。しかし、少なくとも四人の記者たちがウインターソルジャーに注目してくれ、一生懸命努力してついに実現したのです。それは、この二人の力です。

しかし、この「冬の兵士in Japan」が成立するまでには大変な苦労がありました。まずDVD「冬の兵士」を制作・頒布するために集まって下さった市民たちの組織「冬の兵士制作委員会」の中で二人を呼ぼうという話がもちあがりました。しかし資金の目処が立ちませんでした。普通の市民の集まりなのでバックなどはなく、実際に経済的な問題などをどう克服していくか、全くわかりませんでした。そこで私が一番最初に相談したのは、この「Live In Peace」事務局の西中さんです。私は大阪に来て、彼に相談しました。すると即座に彼は、「お金も出しましょう、協力しましょう。」と言ってくださいました。一瞬に判断してくださいました。それで私はこれで出来るんだと確信を持ちました。実際にこの企画が動き出しています。大きな資金的援助を「Live In Peace」から受けています。この大阪集会だけではありません。「冬の兵士inJapan」を成立させた大きな車輪の二つ、東京の冬の兵士制作委員会と大阪のLive In Peace、もこのう一つの大きな車輪の集会なんです。だからとても大事な集会が今から行われます。」

■アダム・コケッシュ氏の証言■

私は17歳の時に海兵隊に入隊しました。故郷であるニューメキシコの先住民進学準備校で学びました。私が海兵隊に入隊したのは自分の人生をしっかりとしたものにしたい、正しい方向に向けたい、そして自分が正しいと信じていることのために戦いたいと思ったからです。

最初、私は砲兵隊の大砲手という部署を志願しました。ハウザー砲というのは大型の大砲です。その砲弾の重さは約100ポンド、直径155mmです。私は予備役に志願しましたが、それは大学に進学したいと思っていたからです。と言うのは予備役の義務というのは限られていて、毎月週末を一回だけ訓練に使えばよい、そしてひと夏の間に二週間訓練を受ければよいということになっていたからです。私は大学に行くのを一年遅らせて予備役のブートキャンプに行き、大砲手としての訓練を受けました。2001年に南カリフォルニアの大学に行き、心理学を学びました。

2001年の9.11事件では心をあまり煩わされることはありませんでした。それは遠く離れていたし、知人が被害にあったということもなく、また所属する予備役がアフガニスタンに動員されることも考えられなかったからです。アフガニスタンへの攻撃については私は強い意見を持ってはいませんでしたが、その当時説明されていたことは信じていましたし、短期で決着がつくだろうと思っていました。イラクの戦争に関しても、当時政府が説明していたことを信じていましたが、戦う価値のある戦争とは思えず、戦争には反対でした。

その当時の私はアメリカ政府が嘘をつくという伝統に染まっていることに気づいていませんでした。ある時、私は大学の仲間と抗議行動に出まして集会やデモやピースウォークをやったりしました。そしてみんなで手を繋いで平和の輪を作りました。そして世界中で戦争反対の声が巻き起こったわけですが、その侵略に反対する全ての声をブッシュ大統領は無視しました。

彼は戦争を推進する中枢、要、中心的な勢力という立場として、それを実行していきました。一緒に抗議をした仲間の中にはとても失望したものもいましたが、戦争を解決する手段としての戦争をやめさせるためには、単にデモをしたりスピーチしたりするだけでは足りなく、もっと用意周到に準備をして、じっくりと取り組むことが必要であると私は学びました。

今でもイラクやアフガニスタンでは戦争が続いていますが、イラク戦争は2003年5月に集結したと宣言されました。そしてそこから占領が始まりました。占領の使命というものは、イラクの人々を搾取し続けること、そしてこれに地上軍が任務を全うするために駆り出される、これが占領の内容でした。ですが、その当時の私はアメリカ政府の言う事をそのまま信じていました。だから、イラクを滅茶苦茶にしてしまったけれどこれからはそれを綺麗に後片付けをするんだ、そしてイラクの社会を復興するんだ、と思っていました。そして私はその任務につくことを誇りに思っていました。

自分が実際そこに行くまではそんなふうになっていないとは分かりませんでした。私は予備役の砲兵部隊から民事部隊へ籍を変えてもらうように志願し、民事部隊の三等軍曹としてファルージャに配備されました。そこで服務したのは2004年2月から9月まででした。私たちに言われていたことは、「民事部隊の仕事が最も大切なんだ、イラクの気候にはお前たちの仕事が欠かせないんだ。」というふうに言われていました。そのような重要な仕事の最先端にいるのが民事部隊なのだと聞かれていました。

しかしながら私たちの任務を実行するためには、自分たちの力だけでは足りなく、歩兵隊の司令官に懇願をしてその部隊の後について行かなければなりませんでした。自分の存在を正当化しなければならないほどの状態でした。そのことを一生懸命に努めるあまり「みなさんのお悩み、代行します。」というキャッチフレーズまで作りました。その当時は結構面白いキャッチフレーズで、良いと思っていましたが、よく考えてみると、イラクの様々な問題について、人々が心配しなくていいように、心を煩わせなくていいように、自分たちが心配をしてあげるというのは、非常に心がかき乱されるような事態でありました。

つまり私たちの仕事というものは、復興をやっていますという仕事でしたから、そのことによって、歩兵部隊、司令官、議会、大統領、ひいては米国民の全てがが、全てがうまくいっていると勘違いして、心配しなくて済んでいるという、そういう役割を自分たちがしていたということです。自分たちがイラクに派遣されている目的はただひとつ、占領を美化するためだけであったと思います。そして現実を誤魔化して、実際よりも良いことをしているというふうに虚偽の演出をしすぎると、最後にはみじめな思いをするだけです。

私の班は2004年4月にユーフラテス川に掛かっている橋のところで検問所を設けて、人々の通行をコントロールするという役目を担っていました。その時期はブラックウォーター社の四人の傭兵が殺されて焼かれて、この橋に吊るされていた事件の直後のことです。この民事部隊のチームは6人編成で、それが三つあり、つまり18人のメンバーが人口25万人のファールジャ町全体を担当していました。

ユーフラテス川の西にクルド人の町がありましたが、米軍がそこにいるために、この犯罪的な包囲のため、町から隔離、分断されてしまったわけで、孤立していました。そして食糧が届かないという状態になっていました。そのケアをするのも自分たちの仕事でありました。確かに私たちは500人の人に食糧を調達しました。それは良いことであったが、それしか出来ませんでした残りの25万人の惨状に対しては何も出来ませんでした。

私の友人も砲兵隊にいましたが、彼らは同じ時、反対側からファルージャの町に爆弾を撃ち込んでいました。彼が撃ち込んでいた砲弾はハウザー砲と同じ大きさのものでした。しかしそれは一つの砲弾ではなく、空中で炸裂して、それがさらに炸裂するという構造でした。ひとつひとつから紫色の光が出るもので、不発になってしまう確率が高いものでした。

私の友人の部隊は、この不発弾を処理するために派遣されました。友人は、小さな少女が二人の兄弟とともに不発弾の一部を持って振り回して遊んでいる場面に出くわしました。爆弾は炸裂し、三人の子供たちは死んでしまいました。友人はそれを見ていなければなりませんでした。

ファルージャの包囲はある時点で、女と14歳未満の子供は外に出そうという決定をしました。まだ空爆が続いている最中でした。私たちは、この決定は気高いものだと、この時は思っていました。しかし、ファルージャの市民にはとても大変なことを強いていたことになります。家族全員で空襲を耐え忍ぶか、あるいは家族を分断して残るものと立ち去るものになるか、どちらかしか選択肢がないという状況に追い込んだからです。一箇所しかない橋の検問所から、女と 14歳未満の子供は出てよいというだけで、なんの安全の保証もなく、「あそこにモスクがあるから、そこに避難すれば。幸運を祈るよ。」としか言えませんでした。

海兵隊員ひとりひとりがファルージャにいる動機はもともと良いことをしよう、助けになることをしようということでした。ところが実際に私たちがしたことは、恐ろしいほどの数の難民を作り出したということでした。この占領や包囲の結果、人口2500万人の国の250万人が国外難民、さらに250万人が国内難民となりました。そして戦争の直接の暴力によって命を絶たれたのは100万人にのぼると言われています。

私たちは法律のもとで平和で平穏な日常を営んで、ごく当たり前の生活が保証されています。そんなごく当たり前の基本的な法律こそがイラクの市民が望んでいることであります。しかし、米国がイラクに押し付けているのは、そのような法律ではありません。軍事法の元では軍の気まぐれで日々の営みが簡単に影響を受けてしまいます。

昔、戦争に従事したある将軍が「戦争はぼろ儲けの手段」というようなタイトルの本を書いていまして、その中で戦争で儲けるのは一握りの非常に強大な力を持った連中だけであると書かれています。それは現在でも真実であります。米国の政府は、イランやアフガニスタンの人々を助けるために何かやっていると言っていますが、彼らが助けているのは、このような犯罪のみであります。そしてこのような国々における搾取に対して人々がやめさせるような活動をすることを阻止することであります。

現在のアメリカ政府がとっている対外政策は、明らかに帝国主義のそれであります。そしてそれは、日本が前の戦争にいたるまでにとっていた政策とまったく同じであり、侵略的な対外政策であります。ある意味、私たちはみなさんの経験から学んでいます。しかしながら学んだということは、道徳的に正しいことをする、しなければならないということではありません。何を学んで改善したかと言いますと、現在の米国の対外政策の推進者たちがしていることは、より邪悪で、虚偽に満ちていて、危険で、そしてより強力なプロパガンダを使っていると言う点で改善したということです。

私は日本国憲法第九条に大変大きな尊敬の念を抱いております。それは見事に表現された文章であり、そして多くの人々がこれを支持していることも知っています。それを理解し、擁護し、支持して下さっているみなさんにお礼を申し上げます。残念なことに、現在の日本政府のとっている政策の多くは日本国憲法第九条に実際には違反していると思われます。

日本国政府も日本国民もいかなる理由があろうとも米国政府のこのような犯罪的な占領を支持しなければならない義務も理由もありません。犯罪にたいしては抵抗する義務のみがあります。この短い日本滞在期間だけでも、イラクとアフガニスタンの人々に支援の手を差し伸べたいという多くの日本人に会いました。これらの人々の支援の形、そして感情がいかなるケースにおいてもアメリカの政府、米軍、NATO軍、イラク政府、アフガニスタン政府の助けになるものでないことを願います。何故ならば、イラク政府とアフガニスタン政府は米国政府の道具に過ぎないからです。

それから幸いにもここにいる間に第二次世界大戦で戦争に従事した元日本兵たちにも会いました。彼らは自分たちの戦争体験を風化させないために、若い人に伝えるために活動を続けています。私たちの努力は、そのような人たち、私たち全てその努力はとひとつのものであると思います。近い将来私たちの手で紛争を解決する手段としての戦争を終らせることが出来るのを願います。

■リック・レイズ氏の証言■

私はいつも国のため、そして自由と正義のために戦いたいと願っていました。私は海兵隊に入隊することで愛国者としての夢が実現できると信じていました。しかし9.11以降に目撃、体験したことで、自分の夢が永遠に砕かれてしまいました。ですが、私の愛国心と名誉を重んじるという気持ちがなくなったことはありません。それだけに、ある時点では喜んで命をかけようと思っていたそのものに対して、異議申し立てをするということが、非常に難しいことになりました。

私は海兵隊の歩兵部隊としてアフガニスタンとイラクに配備されました。そこで発見したことは米国の対外政策は全く無力であるということでした。さらに分かったことは、この対外政策は米国民の利益になっていないし、国の安全保障にも貢献していないということです。そうではなくてこの対外政策は、私欲と利権にのみ奉仕することが分かりました。

9.11事件があった夜、私はオーストラリアに居ました。そして連絡が入り、アメリカが攻撃されていると伝えられました。その翌日、私たちの部隊はインド洋に派遣され、そこで一ヶ月留まりながら、米国政府が次の計画をたてるのを待っていました。私たちの部隊がパキスタンを経由してアフガニスタンに入る前夜から、米軍は攻撃を始めました。

アフガニスタンに配備されてからの私たちの任務は、タリバンやアルカイダと疑われるものを見つけて、拘束することでした。現在のやり方では、これを如何に実行しようがテロリストの容疑者と、一般の罪のない市民を区別することは不可能です。

私は、この二つの占領の有様の多くを、自分が服務した夜間パトロールと急襲家宅捜索を通じて目撃しました。私たちが得た情報というのは、米軍が雇った通訳を通じて手にしますが、通訳が情報を提供する理由は金銭のためでした。その情報は虚偽ばかりでした。

提供された情報に基づいてに私たちは急襲家宅捜索をせよとの命令を受けます。その方法は、ドアや窓やテーブルや椅子や、そういったもの全て破壊する、時には人の命まで奪う、そしてモノであれヒトであれ、とにかく自分たちの作業に邪魔なものは全て破壊する、そんな方法でした。

武装勢力を識別することは不可能でしたから、結局は誰も彼もがテロリストと疑うことになりました。このようなパトロールのあり方はすべて共通していました。良心にもとる形で暴力を振るい、それに付随して人々に害をなし、そして結局はイスラム教徒は全てテロリストなんだというパラノイアにいつもとり付かれている状態でした。これらの急襲家宅捜索の結果も全て同じでした。私の知る限り、犯罪者に出会ったことは一度もありません。

米国の対外政策がこのように無力であることを、現場でこの目で目撃したのです。今日、この同じやり方がPRT(地域復興チーム)によって行われています。PRTの活動もまた虚偽に満ちた情報に基づいて破壊の限りを尽くし、そして人やモノに対する危害が付随しています。

私は民間人としてアフガニスタンを再訪しました。カブールで政策立案者や国連機関の職員、世界銀行の職員、人権団体、カルザイ大統領の甥が運営している団体、政府機関の復興担当の高官、戦争と平和の研究所にいるジャーナリストなどの人たちに会いました。そこで確認できたことは、アメリカの対外政策は以前と同じで、今でも間違っているということでした。そして、アフガニスタンの人々の真の敵は誰であるかということがわかりました。それはタリバンではなく、アフガニスタン政府と米国を中心とする連合軍であります。

私は常に愛国者であるということは、いかなる状況に置いても国のために戦うことだと思っていました。しかしながら政府の方針が国民の利益に奉仕しない時、真の愛国者というのは政府のために戦うのではなく、国民のために戦うものであるとわかりました。

■質疑応答■

▲オバマ大統領について▲

「オバマ大統領は確かにこれまでの大統領の中では、ましな人かもしれません。その意味は彼がこれまでなかったほどの強大なプロパガンダマシーンを持っていると言う意味です。ですからこのプロパガンダマシーンを使って自分が良い大統領だということを演出しますので、これまでになく危険な大統領だと私は思います。世界の人々を欺いています。人々は変化を求めてオバマを選出しました。しかしながら選出にいたるプロセス、選出されるために必要だった方策、手段、そうしたものは変化しておりません。ですからブッシュ大統領の時に背後で蠢いていた人たちは、今オバマの背後で蠢いています。オバマ大統領は彼らを代表しています。」

▲メディアについて▲

「メディアの中には選択的に情報を流しているメディアと、そうではないものがあります。選択的に情報を流しているのは、マスメディアです。アフガニスタンでも確認しましたが、マスメディアは真実を抑圧するように働いています。メディアの奉仕する範囲からアフガニスタンの2500万人は排除されています。今、「戦争と平和研究所」に集まっているジャーナリストたちは、地下活動をしなければなりません。アフガニスタン政府の実態を暴露しようとするたびに、投獄と暗殺の脅迫を受けています。

勇敢で優れた指導者ということで知られているアフガニスタンの女性議員マラライ・ジョイヤ氏に会いました。彼女がアフガニスタン政府の実態を暴露しようとした時に、議会から追放されました。その後、五回暗殺の脅迫を受けています。彼女は今、国外に逃亡し身を隠しています。他の優れた指導者たちも同じ運命を辿っています。

メディアというのは道具に過ぎません。強力な道具ではあります。それを政府は自分の道具として活用しています。政府の説明をそのまま流す機関となっています。できる時には私たちも自分たちのメッセージを広める道具として使いたいと思います。メディアが直接的間接的に企業の利益に奉仕するものとして堕落していることは、忘れてはならないと思います。私たちも自分たち自身のメディアを立ち上げて対抗するべきです。私の考えを形成する上で様々な情報源にアクセスします。大手メディアもそのひとつとして見ますが信用はしません。その他の様々なものから事実を探すようにしています。冬の兵士作製委員会のみなさまのお力により、先日BS-NHKで二人のことがフィーチャーされまして放映されました。これは私たちがメディアを利用している良い例で、その内容は大変優れたものでした。でもこれは非常に稀なことなので、自分たち自身の独立したメディアを育てていくことが大切です。

メディアに登場しない物語として紹介します。アフガニスタンを再訪した時に700人ぐらいの人が暮らしているにある難民キャンプを訪問しました。そこは、一年前にケムリン省で爆撃を受けた人たちが難民としてカブールのほうに流れてきて難民キャンプを形成したのです。そこにいる間、アフガニスタン政府からもアメリカからも国連からも援助はありません。彼らが受け取った支援というのは100人対して4ポンドの米が一日一回配給されるだけです。それが支援の全てです。そこの世話役の一人に会いました。その人は米軍の空爆により、家族を五人失っています。娘が一人居ますが、腕をもぎ取られています。彼が見せてくれた中に、政府が五人の命に対して補償するという書類がありましたが、一年半たった今でも何も行われていません。この話は一切メディアには洩れていません。真実を抑圧するためにいかに強いシステムが働いていることを物語っていると思います。」

冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実
冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実
Aaron Glantz,TUP