そんなものはどんな理由があってもやってはいけない。

昨日、「広河隆一緊急報告会・祝島-上関原発建設を拒否する人々」に行ってきました。

恥ずかしながら僕は最近まで地名さえ知りませんでした。ましてやそんな場所に原発が建設されようとしていることも、そしてそれに対して28年間も闘ってきた人たちがいることも知りませんでした。その人たちが今、押し潰されそうになっています。

祝島の周辺には8つの漁業組合があるのですが、その内の7つの組合は中国電力からお金をもらって建設に賛成しています。ただ一つ、祝島の人たちだけが闘ってきたのでした。それは、島民の人たちは「お金に換えてはいけないものがある。」と海を守っているのです。

毎週月曜の朝には島民が集まりデモを行っています。それが先日1040回目を迎えたそうです。中国電力の人たちは、対岸から船でやってきて拡声器を使い島民たちに向かって説得を1時間置きにするそうですが、島のお母さんたちも負けじと拡声器を使って応答するそうです。電力会社の人たちは仕事としてそれを行っているわけですが、島民の人たちは反対運動のために、仕事をまともにすることも出来ず、生活は大変困っているそうです。また、島の行事、例えば冠婚葬祭さえもおちおち出来ず、くじけそうになることもあったそうです。

工事をさせないために、埋め立て用のブイを船で囲んで持ち出せないようにしているのですが、島の人たちが手薄になったことを知った中国電力は強行突破を図ろうとしました。それで県外から応援にやってきたシーカヤックの人たちが海に出たのですが、海上保安庁や推進派の漁船までやってきて、船で波を起こしカヤックを転覆させようとしたり、逮捕されそうになってしまいました。その報告を受けた祝島の人たちは急遽船を出し、カヤックの人たちを助け出すというような場面もあったそうです。広河さんがこのあたりの話をされた時は、感極まり何度も声がつまっていました。

しかし、このようなことを、大手マスコミはほとんど報じることもなく無視をしています。それは、そのために孤立無援状態にさせられているということです。この祝島の人たちが守ろうとしているのは、「私たち」であるというのを知らなければなりません。

この会に京都大学原子炉実験所・小出裕章助教も話を聞きに来られていました。広河さんに指名され檀上でいくつかお話をされました。 原子力の平和利用に夢を託して、その研究の道に入られたのですが、地方にしか建設されない原子力発電という事実に遭遇し、考えた結果、「原子力発電所は危険すぎて都会には建てられない。」という結論になったわけです。原子力発電所が日本にまだ三基しかない時から、「原子力発電所を廃絶したい。その為に私の知識を使おう。」と活動をされてこられました。

小出先生の話は明快です。「ひとつの原子力発電が一年動くたびに、広島原爆がばら撒いた死の灰の千発分を生んでいる。日本には原発が53基あるわけだから、それが一年動くと5万発を作り出していることになる。その死の灰は現在の科学では消すことは出来ず、閉じ込めることしか出来ない。その閉じ込めなければならない時間は百万年である。どうしていいかわからないし、未来に残していくしか仕方がない。だから、まず一番に必要なことは、どうしていいかわからないものを生む原子力を即刻やめるということだ。電気が足りるとか足らないとかいうことではなくて、そんなものはどんな理由があってもやってはいけない。」

遅ればせながらラプソディー

遅ればせながら「六ヶ所ラプソディー」を読み、そして「六ヶ所ラプソディー」を観た。恥ずかしながら原発問題に関しても、今まで、身近なこととして考えることが出来ず、色んな話を聞いてきただろうけど、僕の中を素通りしてきた。実際、そんなことをこれっぽちも考えずにいても、普通に楽しく暮らしていこうと思えばできてしまうし、飽き性の僕は、もしかしたら来年になれば、今思っていることも忘れてしまっているかもしれない。

少し思い出したことがある。もしかしたら小学校の時に担任の先生に聞いたのかもしれない。電気をみんなが少しでも節約すれば、原発で働く人が少なくなり放射能を浴びる可能性が少しでも低くなる。だから、電気を節約しましょうと。今までずっと忘れていたけれど、さっき思い出した。

本にも書いてあったが、この映画を観て心を動かされた人たちがたくさん現れて、あちらこちらで上映会が始まり、いろいろなムーブメントが起きていると。確かに、僕も心がざわついた。何かじっとしていられない気分だ。口で偉そうなことを言うだけであったり、このような日記にまことしやかに書いているだけでは、何もならないと。

でも、自分に何ができるんだろうと思う。例えばこのDVDに出てきた人のように、いきなり農業を始めるとか、サーフィンしながら全国をまわるだとか、そんなことはできない。せめて電子レンジを使う回数を減らすだとか、使っていない電気は消すだとか、節電するくらいだろうか。

ちょっと嬉しかったのは、このDVDを観ている時に美容院から帰ってきた妻が一緒に観だしたり、携帯をいじっていた娘もいつのまにか観ていたことだ。僕は家族にもいろんなことを説得できないでいたから、少しでもこんなことに関心を持ってもらえたのが嬉しかったのだ。

本を読んでいる時に、これはと思った箇所に付箋をつけて後でまとめようと思っていたが、そんなことよりも、この映画や本に触発され、何かを考え始めている今の心境を記しておこうと思った。原子力問題を考えるということは、これからの自分の生き方を考えることでもあると思ったのだ。

そんなキッカケを与えてくれる凄い本であり、凄い映画なのだ。

朽ちていった命

Actioの10月号に掲載されていた「JCO臨界事故」についての記事を読んで、もっと知りたくなり「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―」を読んだ。

バケツの中で溶かしたウラン溶液をろ過したものを、大型の容器に移し替える作業で、大内さんはロウトを支える役だった。バケツで7杯目の最後のウラン溶液を同僚が流し込んでいる時に、バシッと言う音と共に青い光をみた。臨界に達したときに放たれる「チェレンコフの光」だ。その瞬間に大内さんたち三人の作業員の体を中性子線が突きぬけ、被曝したのだった。大急ぎでその場から逃げたが、すぐに嘔吐し、意識を失った。

本書は、大内さんの治療に当たった前川和彦医師を中心に作られた医療チームを取材したもので、83日間の壮絶な治療現場が描かれている。Actioの記事には、現代医療により延命された結果、ヒロシマ・ナガサキでは見ることができなかった筆舌に尽くしがたいことがたくさんあったと、「これは我々しか分からない地獄」だったと書かれていた。

被曝直後の大内さんは、ロウトを持っていた右手が日焼けしたように赤くなっていた程度だったのが、日を追うにつれ焼け爛れたように変形していく。絆創膏をはがすだけで皮膚もはがれ、新しく皮膚が作られることもなく剥き出しになる。内臓の粘膜は溶けてなくなり、食事を摂る事もできなくなる。全身から一日数リットルの血や体液が流れ出る。爪ははがれ、瞼はなくなる。様々な治療を尽くした結果、被曝83日目についに亡くなる。

司法解剖の結果、心臓の筋肉だけが破壊されていなかった。それは医学的にも説明のつかないことだったらしい。司法解剖にあたった筑波大三澤教授は、「大内さんの痛々しい臓器の状態から、ああ、大内さんは一生懸命生きてきたんだな、本当にがんばってきたんだな、と感じました。そのなかで、一つ鮮やかに残っていた心臓からは「行きつづけたい」という大内さんのメッセージを聞いた気がしました。。心臓は、大内さんの「生きたい」という意志のおかげで、放射線による変化を受けずに動きつづけてこられたのではないかという気さえしました。」と書いている。

また、看護にあたった人にも様々な波紋を投げかけた。「いのち」についてさらに深く考えるようになり、さらに看護の仕事に使命を感じる人もいれば、中には、大きな心の傷を負った人もいる。治療が果たして大内さんのためになったのか、正しかったのかどうか、本人から聞くことができなかったので、後悔や罪悪感まで覚えてしまっているのだ。

Actioの記事によると、この事故の後、日本の被曝医療体制は世界に類を見ないぐらいに整備はされたと書かれていた。しかし、だからと言って、大内さんのような被曝レベルの人が、今の医学で治ることはないだろうと素人ながら思う。

この本は電車の中でほとんどを読んだのだが、失敗だった。最後のほうになると辛くて、特に家族との関わりの描写など、涙が止まらなくなるのだ。今日も福井の原発で放射性物質漏れがあったらしい。環境への影響はないと書かれてはいたが、本当だろうか。

アフガンに命の水を

アフガニスタンの女性は人前に肌を晒さない。だからブルカを着ている。男は連れ合いの女性が襲われないようにと、医者の診察にまで付き合うそうだ。しかし、医師が男性だったら、やはり肌を晒さない。だから中村先生は衣服の上から聴診器を当てる。それを見た福元さんは「先生、それでわかるんですか?」と聞いたら、先生は一言「わからん。」

 今日、ペシャワール会の講演会があった。事務局長の福元満司さんがお話をされた。福元さんは、図書出版石風社の社長さんでもあるが、中村先生に代わって講演活動も行っている。

いくつかの講演会や報告会に今まで参加してきたが、その時にたくさんのチラシをもらうことが多い。何処に行っても同じようなチラシが入ってるのだ。それはお互い宣伝のために協力しあっているということだろう。しかし、今日のペシャワール会の講演では、他団体のチラシは一切なかったし、他の講演会でペシャワール会のチラシをもらったこともなかった。

「ペシャワール会は、例えアメリカ政府や日本政府が援助をすると申し出てきても拒否をします。我々だけの力でやっていきます。」と福元さんは言っていた。また、「ペシャワール会の活動は、他のNGOが行くところへは行かない、誰も行かないところに行く。これは一言で言うとただの天邪鬼です。」とも語っていた。だから、他団体のチラシがないのも合点が行く。

兎に角、「渇き」と「飢え」だけは医師には治せないので、ハンセン病の治療と平行して井戸掘りから始まり、農業支援、用水路建設へと次第に活動の幅を広げていったそうだ。土木をまったくかじったこともない人がどうして、あんな広大な用水路を建設することができたのだろう。よほどその志が高いのだろうと思うのだが、福元さんは次のように言う。「志は高く持ってはいけない。高下駄を履いているのと同じで、高すぎるとこけてしまう。志は高くではなく低くても構わないが、深く持つべきだ。」と。

9.11の時にペシャワール会の人たちは一端アフガニスタンが引き上げなければならなくなった。その時に長老が中村先生に言った言葉を最後に書く。
「世界には二通りの人間がいる。一つは無欲に他人のことを思う人たち。もう一つは、自分の利益だけを図ることで心の曇った人たち。私たちは決して日本人と日本を忘れません。」

ホンマモンを僕は応援する。

本書は2000年当時に「アジアプレス」に所属していたVJ(ビデオジャーナリスト)たちが、VJになった動機、VJの魅力や楽しさ、難しさについて執筆したものと座談会の記録である。登場しているVJの中には、今はもうアジアプレスから消えている人もいるが、安定した暮らしよりも、VJを選んだ意気込みが感じられて、とても魅力的な内容だった。

当時23歳の森本麻衣子さんの文章が初々しい。アエタ族のマニラで物乞いをしながら生活をしている人を追っている時、彼女自身が疲れきった顔で取材をしていたため、「食べ物を買って病気を治してね」と物乞いで稼いだ中からお金をアエタの人からもらったそうだ。
「苦しんでいる人間と、その人々を前にして何も与えられない(与えようとしない)自分、という構図の中では、両者はいつも絶望的に隔たっていた。けれども、誰かの痛みに満ちた人生の中にも喜びや優しさといったものがあり、苦しんでいるはずの当人から逆に何かを与えられることがある」と、ビデオがあったからこそ分かったと彼女は綴っている。パキスタンVJのムハマド・ズベルさんも書いているが、それは「お互いを知ることと、尊重しあうことの大切さ。」を身を持って体験したからこそ、彼女自身が感じることができたんだと思う。

アジアプレス代表の野中さんは、「ジャーナリズムという仕事を通じて自己実現をしている。」と書いている。いくら自己実現だからと言っても、フリーランスで、この世界で充分な暮らしができるくらいの収入を得るのは、やはり難しいと思う。得られる収入よりも取材費のほうが高くつくそうだ。より高次な志がなければやっていけない職業だ。僕たちはそんな人たちを通じて多面的に物事を見ることができるようになり、より真実に近いことを知ることができる。とても有難い存在だ。だから僕はホンマモンのジャーナリストたちを応援していきたいと思う。

グローバリゼーションの反対?

「核」に頼らない生活を実現するには、生活様式を考え直すことから始めていかなあかんとは思う。まだ僕はなんも考えてはいないし、当然実践もしてへんが。でもロハスちゅうのも、なんか居心地が悪い。経済的に余裕のある人たちだけに通用するおしゃれの一種のようで。


http://www.actio.gr.jp/

Actio11月号は「ローカルがたのしい」と言う特集だ。「100万人のキャンドルナイト」の呼びかけ人代表の辻信一さん(文化人類学者・環境運動化)が巻頭で取り上げられている。「何を食べるかをしっかり理解し、食べ方を変え、食べ物を変えればまだまだ環境問題の解決は可能」だそうだ。「食の農のあり方は地球温暖化の原因の4割近くを占め」ているとも書かれている。具体的には何も書かれていなかったので、機会があれば彼の本も読んでみたいと思う。

また、「心の問題と地球温暖化は根っこのところは同じ」なんだそうだ。今、八人に一人が抑うつ傾向、毎年三万人以上の自殺者、これは新型インフルエンザどころではないと。だから、自分の家族、共同体、親族、友人関係などのローカルな関係にもう一度立ち戻ることが大切だと書かれている。

その一つの手段として「お寺」が上げられている。地域に根ざしたつながりを持てる場所として、最高の場所であると。お寺は日本の歴史の中で、カルチャーセンターであり、地域センターであり、学校であり、スピリチュアルセンターであり、駆け込み寺であり、世俗の権力が及ばないアジール(聖域)であったと。そう言う場所が今でも全国に七万以上あって、コンビニよりも多いのだから、お寺から、地域のローカルな文化を興していけば、日本は変ると書かれている。そう言えば、ペシャワール会の故・伊藤さんの写真展も應典院というお寺で行われる。應典院ではお芝居や勉強会なんかも開かれているそうだ。

まだ子どもたちが幼い頃は地域の役員などでレクレーションを主催したこともあったが、マンションに引越しをしてからは完全にそんなことから遠ざかっていて、辻さんが指摘していることは、僕にとっては痛い部分であり、僕に欠落している部分である。

この世の中にはお金に換えちゃいけないものがある。

自分は無知だなと最近よく思う。ほんとに恥ずかしい。いったい今まで何を考え何を思って生きてきたんだろうと思う。mixiを通じて知り合った方に、ある雑誌を頂いた。

Actio 10月号だ。

http://www.actio.gr.jp/

「核のない未来へ」という特集が組まれていた。僕はそれを読んで原発のことなど、何も知らなかったのに等しいことがあらためて良く分かった。いや、今までも聞いていたかもしれないが、脳を素通りしていたのだろう。もしかしたら世間ではよく知られていることかもしれないが、記事に書かれていたことを抜粋しながら、書いてみよう。

トップの吉本多香美さんの記事が僕の心に突き刺さった。青森県六ヶ所村には原発から出る使用済み燃料の再処理工場がある。ウランを年間800トン、プルトニウムを年間8トンを作り出す施設で、通常の原発1年分の放射能がたった1日で海や空に放出されるという。このプルトニウム角砂糖1個分で何千万人が死亡し、5個あれば日本人全員が死ぬらしい。そんな場所に、吉本さんは「六ヶ所あしたの森」を作ろうとしている。

彼女は今までTVで、原発問題について発言することにより番組をおろされたり、「女優生命どころか命も危ない」と言われたこともあるそうだ。Wikipediaによると公安にも圧力をかけられたと書かれている。日本には報道の自由などなく、TVは単なる企業なんだと痛感したという。しかし、彼女は、命が剥き出しのアフリカを何度も訪れ、生命力溢れるマサイの人々との出会いによって「命を生き切るためにはどうしたらいいのか。」を考えるようになり、自分の生き方を通じてそれを実践し、少しでも多くの人に伝えていくことに思い至ったようだ。

次は、1999年に起きた東海村臨界事故についてフォトジャーナリストの樋口健二さんを取材した記事だ。臨界事故が発生した時、近隣の住民には避難勧告はあっても放射能がもれているという通達はいっさいなく、8時間以上もたってからTVのニュースで初めて知ったらしい。その日から体調を崩している住民の一人は「原子力関係会社はたくさんあっても、その専門の病院はない。診断書を書いてくれと医者に行っても、喉が赤いだけと言って書いてくれない。」と言っているそうで、それは原発の被爆労働者も同じだと書いている。指定された病院では被爆していないと書けばお金がもらえる仕組みになっているそうだ。

1970年から2008年まで原発と関わった労働者数は170万人強で、そのうち40万人が被爆していると思うと書かれている。人間でしか出来ない作業がたくさんあり、特に定期検査の時は一日1500~2000人の労働者が必要になるという。実際に現場で働く労働者は下請け、孫請け、ひ孫請けのさらにその下の下になり、放射線教育もまともにされていないのが実情であると。下のほうでは暴力団との関わりもあり、低年齢層化や、派遣切りにあった人たちが誘われる心配もあるだろうということだ。

actioはさらに「核のない未来へ」の記事は続く。東海村臨界事故に関わった医師の前川和彦さんの記事、祝島の人たちの映画を作っている纐纈あやさんの記事、六ヶ所村に暮らす人を描いた映画を撮った木村文洋さんの記事など続いていく。どの記事も一気に読ませるような内容だ。「この世の中にはお金に換えちゃいけないものがある。海は金で売っちゃいけん。」という祝島の漁師さんの言葉が心に響いた。

僕はもっと知らなければならないと痛切に思った。ただ漠然と知っているだけでは、何も心を動かすものはなくやがて日常に埋没して、忘れていくんだろうなと思う。美味しいもの食べたい、綺麗な服が欲しい、広い家に住みたい、いい車に乗りたい、快適な生活を送りたいって思うのは当然で、今の日本に育った限りそれなりのレベルで生活をしたい。しかし、世界基準で高所得者に入るのは年収が120万円以上(UNDP,Human Development Report2004)だそうだ。日本人のほとんどが高所得者に入ることになる。愕然とするデータだ。そういうことを念頭において、僕にとって「生き切る。」とはどういうことなのかを考えてみたい。

僕の日記など人が読めば、稚拙だとか、偏っているだとか、硬すぎるとか、暑苦しいだとか、そう思われるかもしれないけれど、でも、今の僕には書かずにおれないのだ。

「真実を聞いてくれ」デニス カイン

それぞれの章の裏のページに、溶けた兵隊の写真が挟み込まれている。砂漠の真ん中で胸から下が溶けて消えている兵士、右半身が溶けている兵士、道路の端に腕だけが残っている兵士、トラックの荷台やタイヤの周りに体のあちらこちらが溶けた数人の兵士たち。これらは全て劣化ウラン弾の被害によるもので、著者の元軍人のデニス・カインが撮影したものである。

彼は1991年の湾岸戦争で、三日間かけてバグダットに向かっていた時に、突然撤退命令が出て数時間で引き返したという。合衆国の兵士全員が撤退したのだ。それは、戦争に勝利したからではなく、放射能汚染のためだったと書いている。

帰還した兵士たちは次々と死んでいったが、それに対する説明はなく、停戦後なので戦死扱いにもならなかったらしい。また退役軍人局が治療を与えないまま家に帰らせたので、海兵隊員の中には自分の家の前で内臓を地面に流して倒れたり、また皮膚がはがれ続け、命を失ったり人がいたという。また、湾岸戦争帰りの夫を持つ妻は、セックスの後で女性器が焼けるように熱くなると訴えている。それは兵士の精液に入り込んだ劣化ウラン弾の化学物質の所為なのだ。湾岸戦争帰還後に軍人の家で生まれた子どもの67パーセントが重い障害を持っていたらしい。生まれつき脳がない、手や足がないなどの症状だ。

そのようなことが湾岸戦争で起こっていたにも関わらず、アメリカ政府は隠しとおして、兵士たちに伝えることもなくその後の戦争でも、劣化ウラン弾を使用してきた。アメリカだけではなく、核保有各国の政府は劣化ウラン弾に関わる情報の統制や被害事実の隠蔽をし、逆に無害であると言い続けたのだ。

今まで何度か書いてきたけど、日本の自衛隊の人たちは大丈夫なんだろうか。言いたくても何も言えないんだろうか。でも、もしそうなら、勇気を持って告発して欲しい。それが日本のため、世界のためだと思う。

イエローケーキ

ヒバクシャになったイラク帰還兵―劣化ウラン弾の被害を告発する

本書の前半は、イラクで被爆したアメリカ兵のレポートで、ジェラルド・マシュー氏の体験が綴られている。後半は、「劣化ウラン弾被害を告発する」というテーマで日本の弁護士や医師など四人がそれぞれ書いている。その中で田保寿一さんのレポートに触れておく。

バグダットの30kmほど南にツワイサという町がある。60年代に、ソ連から小型の研究用原子炉を購入し、ツワイサに設置した。放射性物質を使って植物の種の改良実験などの研究が行われた。

70年代にはフランスから最新鋭の原子炉を購入し、プルトニウムを生産して原子爆弾を作ろうとしていたらしいが、81年6月にイスラエルからの空爆で破壊された。

それで、80年代後半には残ったソ連製の原子炉で原子爆弾を作ろうとしたが、フル稼働の連続運転をしたため、工場全体が放射能に汚染され、結局、原子爆弾の製造には失敗をした。その時の工場の従業員たちに、手足に異常のある子どもが次々と生まれたらしい。

そして91年の湾岸戦争でソ連製の原子炉も破壊され、翌年には医療・工業用の工場になった。しかし、核の研究が中止されたツワイサには、濃縮ウランが無造作に放置されていたらしい。また破壊された原子炉から放射能が絶えず洩れていたという。当然、放射能の被害を受けた子どもたちがたくさんいたが、フセイン政権を恐れて、誰にも語ることがなかったらしい。

またイラク戦争直後には、住民たちが施設から廃棄物を運び出し、業者に売り飛ばしたり、家の建材として使用したらしい。さらに悲惨な事態が引き起こる。住民たちは水を入れる容器が欲しかったので、濃縮ウラン(イエローケーキ)が入っていたタンクをたくさん持ち出したのだ。中身はチグリス川に捨てたという。

そして戦争後、手のない子ども、足のない子ども、頭がふたつの子ども、頭のない子どもなど、奇形児が生まれる数が増えているらしい。ツワイサの下流のバスラでも同じような子どもが生まれているという。

このように、イラクは劣化ウラン弾以外の原因によっても広範囲に放射能汚染が引き起こされている可能性が大きい。

前半の内容に戻るが、本書で取り上げられているもう一人の兵士はサワマに駐留していた。だから、自衛隊の人たちも被爆している可能性が高いと思われる。たぶん緘口令が布かれているのだろう。そんなニュースは全然流れてこないが、それも時間の問題だろうか。いや、民主党は原発を推進しているので、必死になって隠すのだろうか・・・。

冬の兵士~本物のテロリストは私だった~

「私たちはテロリストと戦っていると教えられました。ところが本物のテロリストは私だった。そして本当のテロリズムはこの占領だ。」 マイケル・プライズナーの証言(p135)より

冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実

この本は、イラク・アフガニスタンに関わった兵士やその親、そしてイラクの民間人などが戦場の実態を告発した証言をまとめたものだ。兵士たちは自分たちが行った残虐な行為を具体的に証言し、イラクやアフガンニスタンの人たちへの謝罪とともに、アメリカ政府を、戦争を、告発している。

軍事史家S.L.A.マーシャル陸軍准将が、第二次世界大戦の帰還兵を調査したところ、戦場で実際に発砲した兵士は15~20パーセントだったということがわかり、そこで訓練方法が見直された。そして人を殺すことにためらいがなくなるような非人間化の教育がなされた結果、ベトナム戦争では90パーセントの兵士が発砲するようになったという調査結果がある。

非人間化された心は、人格を崩壊させ、短絡的で差別的な人間となっていく。そして、軍隊内部の人種差別主義は、他国の破壊と占領を正当化するための重要な手段として利用されてきたという。本書では、軍隊内での強姦行為も告発されている。上層部に訴えてもそれが取り上げられることもなく、逆にそれが表沙汰にならぬよう、色んな部署をたらいまわしにされ、やがては逆に監獄に送られそうになる結末を迎えるという、なんとも低俗で悪意に満ちたな組織構造なんだろう。

米軍では毎日18人の帰還兵が自殺をし、毎月1000人が自殺を試みているらしい。戦闘で戦死する兵士よりも自殺する帰還兵のほうが多いのだ。退役軍人医療制度がありPTSDの治療もあるのだが、予約さえなかなかとれない状態で、やっと診察にありつけても15分ほどで終わり、薬を処方されるだけのようである。米国政府には退役軍人にまで回すお金がないのが実態だろう。

いや、戦場でも兵器さえ配給がないこともあったと証言されている。隣の部隊に弾薬を借りにいったり、車にも装甲がなされていなく、古いトラックに鉄板を貼ったら、それが重過ぎて時速20~30kmしか出なかったとか。笑い話にもならない。もうアメリカも末期ではないか。だから新たに兵士が集まることもなく人手不足で、PTSDのまま戦場に呼び戻されたり、あるいは帰還を契約無視で延期されたりするので、さらに兵士たちは疲れきっていく。

志願兵となる人たちは、愛国心というのが一番の大義名分だろうが、実際には、支給されるお金に惹かれてのことだろう。大学への学費が免除になるらしい。だから、志願兵たちは、貧困な環境で育った人が多いようである。しかし、怪我やPTSDで除籍されてしまった人たちには支給されないことがあるらしく、またそんな状態では仕事にも就くことができないため、ホームレスとなったり、やがて自殺してしまうのだという。

この本を読んで、アメリカ政府は様々な面で末期を迎えているような印象を持った。だからこそ、この「冬の兵士」たちは立ち上がったんだと思う。

今朝(10/3)の読売TV「ウェークアップ!ぷらす」で森本敏が「中国が軍事費を増額しているので日本も増額すべきだ。」のようなことを言っていたが、いざ戦争をしてしまえば、世界一の軍事費を誇るアメリカでさえこのような結末になるのであるから、軍事にお金をつっこむことはいかに無駄であるかと、僕は思うのだが。