この電車はいったい何処に向かっているのだ?~桃の実公演~

天王寺11時発のちんちん電車で芝居を観てきた。あの狭いちんちん電車の中で、いったいどんなふうに芝居をするのだろうと思っていた。窓はすべてブライン ドを下ろし、天井に照明器具を取り付け、アンプやスピーカを設置し…などと思っていたが、すべて裏切られた。窓はそのまま、照明はなし、音響と言えば小さ なアコーデオンに、切符切りのハサミに、風鈴数個に、小さな鉄琴、そして歌声のみ。小道具も最小限にとどめられていた。

広島市内を走るちんちん電車で働く三人の女学生が主人公で、それに現代の若者と中年の乗客の五人でこの劇は演じられる。物語は大和川を越えたあたりから佳境に入り始めた。原爆が投下される場面だ。

8月6日の朝、それぞれの朝の状況を語りながら、黒い傘が順番に手渡されていく。そして傘が最後の人に手渡された瞬間、勢いよく傘を閉じ、大きな 黒い幕が車内を流れていく。黒い幕が大きくはためかれ、そして演者たちの体に巻きついていく。うめきながら、熱い熱いと叫びながら。やがて演者たちは床に倒れ、幕の裂け目から腕がつきだされ、上半身が飛びだされる。阿鼻叫喚の地獄絵図が目の前で演じられるのだ。しかも一切の照明や音響の効果を使われずに。

不思議な空間だった。車窓にはよく見慣れた大阪の街の景色が流れている。そこには現実があるはずなのだろうけれど、何故か非現実的にも感じてしま う。まるでちんちん電車が時の方舟になって、ちがう時間系列を走っているような感じがした。芝居に集中しているのだけれど、そんな電車に乗っている自分を 見ている自分が居て、「この電車はいったい何処に向かっているのだ?」という最期の台詞は、すでに僕の中にあるものを読み上げられたような気がした。

今年初めて、この芝居に出会ったのだが、ここ数年続けて公演されているらしい。この不思議な感覚をもう一度確かめたいので、きっと来年も観に行く ことだろうと思う。

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2010年『桃の実』公演
http://www.geocities.jp/mokeleoik/momonomi2010_02.html

いつまでも、いつまでもお元気で―特攻隊員たちが遺した最後の言葉


父は姿こそ見えざるも、いつでもお前たちを見ている。
よく母さんの言いつけを守ってお母さんに心配かけないようにしなさい。
そして大きくなったならば自分の好きな道に進み、立派な日本人になることです。
人のお父さんを羨んではいけませんよ。
マサノリ、キヨコのお父さんは神様になって二人をじっと見ています。
二人仲良く勉強をして、お母さんの仕事を手伝って下さい。
お父さんは、マサノリ、キヨコのお馬にはなれませんけれども二人仲良くしなさいよ。
お父さんは大きな銃爆に乗って、敵を全部やっつけた元気な人です。
お父さんに負けない人になって、お父さんのカタキをうって下さい。
父より
マサノリ
キヨコ    二人へ

これは、知覧から特攻で出撃した29歳の人が書いた遺書だ。たくさん遺書が掲載されていたが、子どもへの遺書はこれだけだったので、なんだか一番、ずしんと来た。おそらく知覧から沖縄戦に出撃したのだろう。

それから65年がたった。日本は戦争に負け、その後世界に類を見ないほどの復興を成し遂げた。一応、平和も保っている。でも、何かがおかしくはないか。何処か狂ってはいないか。カタキは誰にとるべきだったのだろう。カタキはどんなふうにするべきだったのだろう。

中村哲さん講演会

中村哲さんの講演会に行ってきた。開場前に到着したにも関わらず、会館の前にはたくさんの人たちが並んでいた。会場に入ったら、もう大半の席は埋まってい たが、一番前の端が空いていたので座ったら、幕が開くと、中村さんに一番近い席になっていてとてもラッキーだった。

ただ、今までにペシャワール会の報告で福元さんから聴いた話 や、書籍から知り得たことのような内容だったので、情報としては、僕にとっては新しいものは何もなかった。また、質疑応答の時間もなかったのは、少し残念だった。

聞いてみたいことがあった。ジャーナリストの西谷さんがおっしゃっていたのだが、今年の冬にアフガニスタンで中村さんにお会いした時に、雪がほとんど降っていないので、今年は例年にない大旱魃が来るだろうと中村さんはおっしゃったようなのだが、今日の講演では触れられていなかった。

また、池田香代子さんのBlogで、伊藤さん殺害事件のことについて書かれていた記事が昨年あった。今回の講演でも、伊藤さんの事件については公にできないことがあるとだけ、中村さんはおっしゃっていた。

しかししかし!目の前で生の中村さんからお話を聴けたのは、本 当に良かった。特に、内村鑑三の「後世に残す最大遺物」を読んだばかりだったので、それを実践している中村さんの言葉、そして全身から伝わってくるお人柄 が、とても心に染み込んだ。

「食べ物にも不自由し、絶えず空爆の危機にさらされているアフガン人よりも、現地に赴いた若い日本人のワーカーたちの顔の方が暗い。アフガン人と 日本人とでは、いったいどちらが幸せなんだろうかと思う。金さえあればなんとかなるというその認識から自由になれるアフガニスタンにいるほうが、私は落ち 着く。」

「武器を持つものは武器によって倒される。人が最後の最後まで食べ物を失ってまでも守らなければならないものは何か?私たちはアフガニスタンのために汗を流しているのではなく、未来の為にも汗を流しているのです。私はアフガニスタンにいるほうが幸せです。」

ウリハッキョ

「ウリハッキョ(Our School)」という映画を観た。舞台は北海道にただ一つの「北海道朝鮮初中高級学校」で、2006年の作品だ。そこに通う子供たちや先生たちの姿が底 抜けに明るく生き生きと描かれている。彼らの目力は強く、脳裏に焼きつけられてしまうほどだ。

しかし、そのあまりにも濃い人間関係(生活においても、精神的絆においても)に、息苦しさを感じ、自分ならそんな学校には勤まらないだろうと感じ るぐらいであったが、映画を観終わった頃には、自分が失ってしまった、あるいは忘れてしまっている何かをそこに感じ、心を揺さぶられてしまった。

朝鮮民族にたいする差別意識はないかと聞かれたら、まったくないと言い切る自信はない。
子どもの頃から植えつけられた意識が心のどこかに巣食っているかもしれない。また、朝鮮民主主義人民共和国に対するネガティブキャンペーンに翻弄 されている自分がいる。確かに朝鮮民主主義人民共和国は、良い国だと思えないが、それはアメリカ合衆国だって同じだ。人類を殺している数で言えば、合衆国 のほうがずっとアクドイ国であるのは確かなはずなのに、客観的に判断できないのは、何故だろう。

「ウリハッキョ」をYOUTUBEで検索してみたのだが、そこに書かれているコメントの下劣さにうんざりした。反吐が出そうになった。国家の政策 とそこに住む民族を何故同一視するのだろう。日本人は白人から差別されている劣等感を、同じアジアの人にただぶつけているだけのようにしか思えない。

朝鮮学校の生徒は高校3年生で朝鮮に修学旅行に行くのだが、船のタラップから降りる時、手に持っている荷物を一旦降ろして、手で地面を触る場面が 印象的だ。初めて祖国に降り立つ時、足では失礼なような気がして、まず手から降りるのだと生徒が言っていた。祖国では温かく歓迎され、楽しい日々を過ご す。そして日本に帰って来た時、港で迎えていたのは、「拉致被害者を返せ。」「日本に来るな。」などのプラカードを抱えた人たち。チマチョゴリからジャー ジに着替え、沈んだ顔をする生徒たち。

何か腑に落ちないのだ。
この腑の落ちなさを抱えたまま、沈思黙考。

人は愛するに足り、真心は信ずるに足る


『あれも必要だ、これも必要だと言っていると、ほんとうに何もできない。しかしまあ、神というか、天というか、おそらく自分にはできないことまでは強制なさらないだろうというのが、私のささやかな確信で、「これだけやったから許してください」と言うしかないですね。それでいいんじゃないかと思いますね。』

これが、25年間もアフガニスタンの人々に寄り添った人の言葉だ。なんという謙虚さなんだろう。

アフガニスタンの山岳地帯で誰もしないからと、ハンセン病の治療に始まり、水がないからと井戸を掘り、食べ物がないからと畑を耕し、やがて重機を扱いながら二十数キロの水路を開き、砂漠化した大地を緑に変え、今や六十万人ものアフガン人がそこで暮らすようになっている。

テロとの戦いという名目で何万人もの兵隊を送り続け、無実の人々を殺戮し続けているオバマにノーベル平和賞が贈られるような世界を、子供たちに見せ続けていいのか。中村先生の偉業こそ、世の中にもっと知らしめるべきだと、僕は思う。

父ゲバラとともに、勝利の日まで


2年前、ゲバラの娘アレイダさんを日本に招聘した時の様子をまとめたものだ。2年前、そういえばゲバラの映画が2本連続上映され、僕も前篇だけ観に行ったが、その時にその娘さんが日本に来られていたとは知らなかった。恥ずかしい話だが、当時、ゲバラやキューバを始めとするラテンアメリカの知識など皆無に等ししかったし、今もそう変わらない。今回、この本を読むきっかけとなったのは、松元ヒロさんのライブの中で、この本の紹介があったからだ。

キューバは教育費と医療費は無料だ。住民168人に対して1人の医師がいて、その他に34000人の医師がベネズエラ、4000人の医師がボリビア、そして20000人の医師が世界各国に派遣されているらしい。キューバ今後も医師を増やしていこうとしている。日本とえらい違いだ。

その根本には「人間にとって重要なことは社会に役立つ人間であるということ。」という考えがキューバの人たちにしみ込んでいるからだ。また、国の富をささえるのは労働者たちだと。その労働者を大切にするために医療を充実させているのだと。

キューバは社会主義の国で独裁者がいて怖い国だというイメージはアメリカ合衆国(アメリカとアメリカ合衆国は違うので一緒にしないでください、私たちキューバ人もアメリカに住んでいますとアレイダさんはいう)、が植えつけたもので、合衆国は、資本主義ではない国が発展することに脅威を感じて、イメージの操作をしたり、経済封鎖をしているのだとアレイダさんは言う。

日本も資本主義というより、拝金主義、数字がすべてだという価値観をはやく払拭していかないと、さらに格差は広がり続けて、国の崩壊にも繋がりかねないと思う。理想がある国は美しい。その理想が国民に浸透しているキューバって素晴らしい。日本にも理想はあるけれども、国民に浸透していないばかりか、それを捨てて現実に合わせようとしている。目先の利益だけのために。

こんな話もあった。キューバのGNPは低いけれども、GNHは高いと。そのHとは、「Happiness」。

「音楽と笑い。このふたつがあってこその人生なのです。そして私たちキューバ人には、他に何はなくとも、歌い、踊り、笑い、愛する時間はあるのです。」byアレイダ・ゲバラ

Hasta La Victoria Siempre!

何も変わらない


5年前に発刊されたブックレットだ。
日刊ベリタ編集長の永井浩氏と宜野湾市長の伊波洋一氏が共著で書かれている。
沖縄国際大学へ米軍ヘリが墜落した事故を中心に、今こそ普天間の返還をと、書かれている。

多くの人たちが、命を削るように闘って きても、今も何も変わっていない現実。
5年前の伊波さんの言葉が虚しく見えるのは僕だけか?
これじゃビルマも日本も同じだ。
形だけの民主主義なんて軍事政権の国よりたちが悪い。
そういえばチェ・ゲバラの娘のアレイダ・ゲバラが来日した時、
「王政の日本で政治について自由に話せるの?」などと皮肉られたらしい。
そっかぁ、実は王政だったんだ、この国は。

「松元ヒロ&西谷文和 同時多発コラボ」

昨夜、「松元ヒロ&西谷文和 同時多発コラボ」というライブに行ってきた。
本命は、西谷さんの制作途中のDVDを見たかったからで、
松元ヒロさんってどんな人か全く知らなかったので、松元ヒロさんのほうは
僕の中では付け足しであったのであるが…。

しかし、しかし、しかし!
もう無茶苦茶おもろかったのだ。
笑いまくった。
ここ最近の疲れがふっとんでしまったような気もする。
不思議なのが、面白いんやけども、感動してしまうのだ。
途中、何度も涙が出そうになった。
最後の「憲法君」というネタも、
さすが井上ひさしがヒロさんの楽屋まで絶賛しに訪れただけあって、僕も感動した。
日本国憲法の前文をただ述べているだけにも関わらず
胸に迫ってくるものがあり、日本国憲法の前文ってなんて美しいんだろうって
感じてしまうのだ。
体が熱くなった。
やはり、理想は崇高でなければならず、そこに向かおうとする気持ちが大事なんだと
再認識、いや初認識をしたような感じだ。
お笑いを見て、そこまで思わせる人って!
松元ヒロさんってすごい。
僕も憲法前文を暗記しようかな…。

http://www.winterdesign.net/hiropon/

閉ざされた国ビルマ


17年間、ビルマを追い続け、ビルマ全土を歩きつくして書き上げた渾身のルポタージュである。何故ここまで体を張って命をかけて遣り通せるのか、まるで修 行僧のようで、凡人の僕には到底考えが及びつかないのである。

宇田さんが本書の中で書かれているが、ビルマが軍事独裁政権でありながらも観光客を受け入れるなどの開放政策をとっているのは、その政権が揺るがない自信 を持っているからで、朝鮮民主主義人民共和国よりもずっと軍事体制的に強固であるからだと。

そんな怖い国で取材して、公安に目をつけられたり、兵隊に山狩りをされたりしながらも、宇田さんは一度も拘束されたり追放されたりしたことがない。細心の 注意を払いながら取材をするのは、心が安らぐ暇もなく神経をずいぶんすり減らしたことだろうと思う。そんな緊張感が伝わってくるので、読んでいるときはい つも心臓がドキドキするのである。

しかし、ビルマと言えば、「ビルマの竪琴」ぐらいしか知らず、アウンサンスーチーもきれいな人だなぁってぐらいの認識だったので、恥ずかしい限りである。 これで少しはビルマのことがわかったが、本書を読む限り、ビルマは絶望的な感じがする。民衆ももう諦めているような感じだ。

いろんなことを知っていくにつれて、絶望感は増すばかりではないか…。

http://www.uzo.net/indextop.htm