輪郭の薄くなった入道雲が背丈も低く向こうの空に在る。日差しはまだ肌に差し込むような勢いはあるが、光の束が細く感じる。笑い事では済まされないほどの暑さになった夏もやっと終わりの始まりを告げようとしているのだろうか。
そんな暑さに完全に体調のリズムを壊されてしまった八月の終わりに、熱い芝居を観た。「広島に原爆を落とす日」先日亡くなられたつかこうへいの作品だ。愛する女性の為に政府に指令を受けた在日朝鮮人が広島に原爆を落とすという、わけのわからない物語だ。
つかこうへい作品には、昔、映画や小説で触れたことはあったが、舞台は初めてだった。どの役者も最初からかなりのハイテンションのまま、半ば絶叫のような台詞で物語は進んでいく。まるで全力疾走だ。だから聞きとれない台詞もあり、最後まで我慢できるだろうか、吐き気を催したらどうしようかという不安が頭をかすめた。
しかし、いつのまにか洗脳されるがごとく、その世界に馴染んできている自分が居た。物語はハチャメチャだが、筧利夫が放つ熱気とその台詞に体が縛られていき、息苦しさと快感を感じてしまうのだ。ベクトルの角度は一定だが、方向が瞬時に入れ替わり、その太さと長さが心の子宮を突っつくのだ。メッセージの伝え方がカッコいい。靖国神社の協賛を受けた「歸國」とは比べ物にならない。
恐らくそこまで感じなかった人には、姦しいだけで終わった芝居かもしれない。万人に愛されるものでないような気がする。実際、僕の並びに座っていた人は途中退席したまま帰って来なかった。
初舞台の仲間リサは良かった。乳を揉まれるのはつか芝居の恒例らしいが、彼女の左胸が気になって仕方なかった。しかし、リア・ディゾンは唯一足を引っ張っていたように思う。マイクが口の横についているのにも関わらず声が小さく、オーラも何も感じない役者だ。
カーテンコールが何度かあった。最後は会場の明かりもついたので、もう終わりだと思って立ち上がろうとした時に、何度目かの幕が開いた。筧利夫がゼスチャーで立つように促したので、観客は立ち上がりスタンディングオベイションとなった。頭上で何かが炸裂した。たくさんの金銀のテープが舞い降りてきたのだ。最後の最後までテンションの高い舞台だった。お陰で、体調が元に戻ったみたいだ。癖になりそうだ、まったく。