涙を流した人

この数日間で様々な人からたくさん話を聞いた。イラク、アフガニスタン、広島、岩国、祝島などへ赴いたジャーナリストや市民活動家の方たちからだ。それぞれ、思いが溢れる心のこもった話ばかりで、僕の方がパンクしそうになり、何かを書きたいのだけれど、なかなかまとまらず筆が進まない状態だ。

高遠菜穂子さんの話をひとつだけ書いてみよう。
左足を失くした青年がいた。彼は「義足をつけても俺の人生は戻ってこない。」と絶望感が強く、感情の起伏もなくなっていたそうだ。かなり強いトラウマをかかえていたのだ。
高遠さんが通訳を通じて話を聞いてみると、両親を早くに亡くし、一番上の兄はイランイラク戦争で戦死し、二番目の兄とずっと二人暮らししてきたのだが、武装勢力に襲われて、目の前で兄が切り殺されて惨殺されたという。本人も大きな刀で首や腕を切りつけられ、左足を銃撃されたそうだ。なんとか命はとりとめたものの、彼の心は破壊された。その話を聞いて、高遠さんは涙を流したのだった。

しかし、彼と二度目に会った時、義足をつけてみたいと彼が言ったそうだ。何故気持ちが変わったのかと後から聞いてみたら、「僕の話を聞いて、涙を流した人をはじめて見た。僕を心配してくれる人がいるのがわかって、もう一度トライしてみようと思ったんだ。」と。

高遠さんは、たぶん今までも同じような人にたくさん接してきたことだろうと思う。もっと悲惨な現場を見てきただろうし、彼女自身も命の危機にさらされたことある。そんな中でさえも、他人に共感し、涙を流してしまう高遠さんを、僕は尊敬する。

9/18 映像ジャーナリスト 玉本英子講演会
9/20 リブンインピース@カフェ 「岩国・祝島・広島ツアー」報告他
9/23 高遠菜穂子の“イラク戦争なんだったの!?”
9/25 「イラクの子どもを救う会」の総会&アフガン支援報告会

遠くの戦争~日本のお母さんへ~

久々に鉄人の街に行ってきた。その商店街の建物の一室で朗読劇があったのだ。客席は階段状に五段で、それぞれ八つのパイプ椅子が並べられていた。僕は一番前の上手側に座った。舞台は黒で統一されており、舞台の中央が二段高くなっていて椅子が一台ずつ置かれ、両脇にも椅子が数台、僕の目の前に三台置かれている。天井に設置されている照明は様々な方向を向いていて客席に向かっているのもある。そして真正面に廃墟のようなモノクロの写真と共に「遠くの戦争~日本の母へ~」とプロジェクターで映しだされていた。

時間になると代表の方が登場して、ゆるい話があった。朗読劇なので眠たくなるかもしれないが、そんな時は寝て下さいと。でも鼾はかかないでくださいとのことだった。実は僕自身もそれを心配していたが、しかし、とてもそんなレベルの芝居ではなかったのだった。

登場した役者の人たちは様々な年代の方が入り混じっていて、それだけで何かほっとするようなものを感じた。物語は、日本の里親である女性ととレバノンに住むパレスチナ難民の男の子との手紙のやりとりが基軸となって展開していく。母とその男の子だけは一人一役だが、総勢六〇数人の登場人物があり、多い人で一人六役ぐらいを兼ねていた。しかし、混乱させられることもなく、それぞれのキャラがしっかりたっていて、充分伝わってくるものがあった。

母は月々5000円をレバノンの里子に届けている。しかし、パートの勤めを二つこなしながらやっとの生活を日本で送っている。離れて暮らす本当の息子は、正社員を目指し派遣の仕事をしていたが、やがて首を切られる。5000円も里子に支払っている余裕なんてないだろうと母に詰め寄る。「貧困層にとって平和よりも戦争があるほうが、失うものが何もない貧困層にとって、チャンスになるんじゃないか」、と赤木智弘氏の言葉を織り交ぜながら物語は進んでいき、やがて息子は自衛隊に入隊することになるが…。

この他にも様々な物語が織り込まれていく。過労死した息子を持つ母。トラックの運転手としてイラクに派遣され、被爆した貧困層のアメリカ人。虐殺された村を取材をした時に、戦車の上でビーチパラソルをひろげくつろいでいるイスラエル兵を見て、泣きながらその場を去った広河隆一。里親運動を展開する広河に対して、「子どもに菓子をやるな。甘やかせば銃を持たなくなる。」と暗殺命令を出す過激派。その過激派の事務所にデモをするパレスチナの母親たち。沈黙を破り、無差別にパレスチナ人を襲撃したと証言するイスラエル兵。それを取材した土井敏邦。その他にも雨宮処凛、堤未果、大江健三郎という役名の人物も登場し、著書が引用されていく。

貧困、労働、自殺、戦争、様々なことがLINKして、幸せってどういうことなんだろうと考えさせられる。2008年12月27日から翌年1月17 日までのガザへの攻撃で亡くなったパレスチナ人は約1400人。日本の1年間の自殺者は約3万人であるが、それをガザ攻撃の22日間へと換算すると約 1800人。戦争がないはずの日本のほうがガザよりも死者が多いこの現実に、あらためて打ちのめされる。諸外国との戦争はなくとも、それは引き籠りとして、ニートとして、そして自殺として、内なる戦争は起きているということだと、この芝居は伝える。

先日も玉本英子さんの講演会で、今のイラクの様子を聞いてきたが、その中で一般家庭を取材した映像があった。中流よりは少し上の家庭らしいが、少なくとも僕の生活よりも裕福であると感じられた。アメリカや多国籍軍にさんざん破壊されてきたあのイラクなのにだ。電気は一日数時間しか通電しなく、水は時々止まるような生活なのにだ。ひとつひとつの部屋は広く、電気製品もあふれ、突然訪問した玉本さんたちにケーキや飲み物を出す余裕まである。これが上流家庭となると、家は総大理石となって、日本の上流家庭などとは比べ物にならないらしい。

日本は外国と比べて見ても、本当は経済的に見ても裕福じゃないのだ。その上自殺者が年間三万人という心の貧困さまで加わっている。日本人は、あのマトリックスのように、何か虚像を見せられて生きているのではないかと思えてくる。目の前にあるものを疑わなくてはいけない。

里子に送る最後の手紙の中で母はこう綴る。
「日本にはたしかにパレスチナと同じように爆撃を受けた広島があるが、いまの日本は人の痛みを感じないイスラエルに近づいてきている。」と。

きっと多分、そこにいる。

宴劇会 なかツぎ 第1回公演!

 『きっと多分、そこにいる。』

作:はしぐちしん 演出:石本 伎市朗

公演会場:in→dependent theatre 1st

公演日時:2010年9月10日(金)       19:30
9月11日(土) 15:00/19:30
9月12日(日) 13:00/17:00

料金:¥2500-

■ ストーリー ■

とある南の離島のカフェ・・・・・・
いつものように、ゆったりと時は流れているかのようであっ
たが、一組のカップルと女の登場で人間模様は一変する。
さらには、島の伝説に関係のある赤毛の少年も加わり、事
態はあらぬ方向へ展開する!
作家はしぐちしんの渾身の喜劇!乞うご期待!!!

寮美千子朗読会@奈良『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』

 

空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集

初めは疑っていた、「詩の力」を。「うずみ火新聞」に掲載された受刑者たちの詩を読んでも、心を揺さぶられるほど感じることもなかった。だから、朗読会にはさほど期待はしていなかった。そのうえ「朗読会」などというものには参加したことがなく、想像するに眠たくなってしまうような類のものではないかと思っていた。それでも参加したのは、何故だろうか自分でもわからない。

クーラーのほとんど効いていないカフェで時間通りにそれは始まった。失礼かもしれないが寮美千子さんは敷居の低い人で、友人の集まりの中で話をされているような、肩の力を抜き自然体で話をされる人だった。声や話し方は室井佑月に似ていらっしゃった。とても想像した「朗読会」とはかけ離れたものだった。最初は「奈良少年刑務所」との出会いから始まり、そこで詩を教えるようになったこと、そこで行われている「社会性涵養プログラム」のこと、寮さんが行っている詩の授業の様子などを1時間ほど話された。そして、「奈良少年刑務所詩集」からの朗読が始まった。

実は朗読会が始まる直前に、うずみ火の矢野さんから「これ、いいですよ。」と詩集を見せてもらっていた。ぱらぱらと捲って目にとまったのは、

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「ゆめ」

ぼくのゆめは…

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たった、これだけの詩だった。驚いた。詩に驚いたのではなく、これを「詩」として認めた寮美千子さんという人の凄さに驚いたのだ。この詩のことも話しされた。この受刑者はかなり重い罪を犯し、長い服役になるそうだ。普段から言葉もほとんどない人だったので、この言葉が出てきただけでも、寮さんを初め教官の人たちも涙を流されたという。この「ぼくのゆめは…」の奥にある気持ちを汲み取れるぐらい関わっている人たちの情熱にさらに感動したのだ。この詩を本人が朗読した時、この「…」にあたる部分を語り始めたそうだ。

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「ごめんなさい」

あなたを裏切って 泣かせてしまったのに
あなたは 僕に謝った
アクリル板ごしに ごめんね と
悪いのは このぼくなのに

あの日の 泣き顔が忘れられない
ごめんなさい かあさん

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「クリスマス・プレゼント」

(略)

サンタさん お願い
ふとっちょで怒りん坊の
へんちくりんなママでいいから
ぼくにちょうだい
世界のどっかに きっとそんなママが
余っているでしょう
そのママを ぼくにちょうだい
そしたら ぼく うんと大事にするよ

ママがいたらきっと
笑ったあとに さみしくならないですむと思うんだ

(略)

サンタさん
僕は余った子どもなんだ
どこかに さみしいママがいたら
ぼくがプレゼントになるから 連れていってよ

これからはケンカもしない ウソもつかない
いい子にするからさぁ!

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生まれた時から犯罪者なんていない。その後の生育で、周りがその子を犯罪者に仕立てて行くのだ。突き詰めれば、どんな人に巡り合ってきたかというだけで人生は左右される。そしてその最初に巡り合う人は、母親だ。母親に対する思いが溢れる詩をたくさん朗読された。厳しくされ過ぎても、優しくされ過ぎても、放任されても捨てられても、母に対する深い慕情にも似た気持ちは変わらないのだと感じた。親として、自分はどうであったのかと反省を求められた気がした。

朗読会には、社会性涵養プログラムを中心になって進めている教育専門官の乾井さん、竹下さんも参加されていて、最後にお話をされた。

乾井さん曰く、受刑者たちの原石のような言葉が、その仲間によって発見され、そしてそれが線香花火のように煌めき初め、やがてドラゴン花火のように黙々と煙をあげながら、最後には打ち上げ花火のように炸裂していく瞬間を、目の当たりに見てきた、と。詩を通じて自分のことを語り、そしてそれを周囲が支えることがどんなに素晴らしいことかを実感できたと話された。

また竹下さんは次のように話し始めた。全ての人は「赤ちゃん」であった。赤ちゃんは誰からも教えられていないのに、泣いたり笑ったりすることができる。愛されているのを感じた時に笑い、放っておかれた時に泣く。幼い時に心のご飯をしっかり食べておかないと歪んでいくのだ。犯罪というのは、とんでもない我がまま、とんでもない幼稚さが結露したものだ。幼い時に、子どもらしさを充分に表現できる環境でなかった人たちが犯罪に陥ってしまう。だからもう一度、子どもらしさを取り戻していくことが大切で、そうすることによって、少しだけ大人になっていく。そして、いろいろな力をつけていく。子どもらしさを出せる場所や人がいる人は強い。自分の全てを受けいれてもらえる居場所は誰にも必要なのだ、と。

教育専門官の方たちは、24時間体制で彼らに寄り添っている。宗教的バックボーンはないだろうと想像するだけに、その純粋な使命感にただただ敬服するばかりだ。今まで刑務所など自分とはまったく関係のない場所だと関心もなかったが、この朗読会をきっかけに考えさせらることになり、とても素晴らしい体験をさせて頂いたと思っている。そして「奈良少年刑務所詩集」は受刑者たちの詩ではあるが、彼らのつぶやきを詩として心の底で感じとった寮美千子さんと教育専門官の方たちの作品であると確信する。