年末の戯言

セラミックファンヒーターをこの部屋と隣の部屋で同時につけていたらこの二部屋はブレイカーが一緒だったので電源が落ちてしまったのだパソコンをしていたにも関わらず。貧乏くさいマンションであるまだローンはウン十年あるが。買ったばかりのパソコンが壊れないかと冷や冷やしたがなんともなかったようであるが、このような些細な傷がやがて慢性硬膜下血腫のように後からきてある日突然ハードディスクを交換せよとメッセージが出るのかもしれない。ま、済んでしまったことは仕方ない。

そういえばこのBlogは記事の更新を放置していても見に来てくださる方が結構いて、少ない時でも100前後あって、突然2000近くなっている時もある、何も更新していないのに。何故そんなにアクセス数があるのか理解できないし実感もない。だってコメントがほとんどないからだ。昔ホームページを作っていた時は掲示板に毎日のように書き込みがあった。(恥ずかしながらその当時は詩のHPであったが)

で、mixiにも日記を書いているが、mixiには書いてこちらには載せていない記事もいくつかある。一応職業に関わる内容はこちらでは載せないようにしているからだ。またmixiに書いたものを、内容を膨らませてこちらに書くこともある。mixiでは内容が重すぎて最後まで読んでもらえないかもと思うからだ。今回もそんな感じであるかもだ。

今年は自分なりにかなり多くの勉強会に参加して頑張ったような気がする。そんな無理をしたつもりはなく、乾いたスポンジに水がしみこむような感じであったんだろうか、ってよほど僕は空っぽな人間だったのだ、っていうか今も空っぽなままであるが。

この二年ほどで学んだことはこれからの生き方に少しは影響するような気がしないでもないような気がするかもしれない、って書き方、いらっとさせて申し訳ないが僕はそんな奴である。

ま、とにかく中国人が共産党、朝鮮人が金正日を批判しないように日本人が天皇制を批判しないのはとても気持ちが悪い。今の日本社会の歪みを元に戻せないのはどうもそんな土台が間違っているからだと思う。とても民主主義な社会だとは思えない差別の根源がそこにある。

つい先日学んだことは衝撃的であった。いや知っている人はよく知っていることなのでわざわざここに書くのは恥ずかしい話なのだが。4月29日は昭和天皇の誕生日で、1946年のこの日に 極東国際軍事裁判A級戦犯の東条英機たちが起訴され、12月23日は今上(平成)天皇の誕生日だが1948年のこの日にA級戦犯の7名が絞首刑にされた。これらの日付が物語るのは、ヒロヒトの身代わりであったということかもしれない。

ヒロヒトがどういう立場でどんな考えで戦前戦中戦後どんなことをやってきたのかを、我々はきちんと学ばないといけないと思う。にも関わらず一部の研究者や作家の本からしか学ぶことができなく、自ら学ぼうとしないものにとっては蚊帳の外状態である。ましてや義務教育の中で学ぶことなどできない。ヒロヒトについて学ぶことにより戦後の政治の流れや、戦後の多くの補償問題、安保や基地問題など様々なことがLINKされてくる。まさに「戦争と平和」の問題に迫ってくるものだと思う。

そういえば先日、とある○○新聞の人に天皇の戦争責任について話しかけたら、どの天皇ですかと問い返された。さすが○○新聞である。マスコミに勤めていると感性がおかしくなるのか元々そういう人だったのか。どの天皇ですかと聞き返す時点でもうNGだ。

日本人は反省するのがとても苦手な民族だ。反省しようとしたら自虐的だと怒られ歴史がすり替えられてしまうから反省のないところに成長はみられない。本田勝一の言葉のように「殺される側」にたった視点を常に持たないとあかんと思うのだがどうなんだろう。

こんなことを書くとお前は左だとか赤だとかいう人がおるかもしれんが、ま僕は右翼は嫌いだから自分はその反対の左翼だというつもりなんか毛頭なく、(右翼といっても右翼ってなんなのかよくわからん。右翼ってどうもアメリカの手先としか思えん)左や右や赤や白やというてる場合だろうかと思う。潔癖すぎる社会は住み辛くある程度の清濁あわさったバランスの良い社会がよいと思うのだが、今の社会はずるずると破滅に向かっているように思えて仕方がない。だからこんな僕でさえも目覚め(って大層な)てしまったのかもしれない。泥船から逃げ出すネズミのように。

ああ何を書きたかったんだろう。最近文章を書くとついこんな方向になってしまうのだ。しかし年末に向けて失速したように体調が悪くなり、なんだか無気力になっていたのだが、やっとこさ復活できそうだ。来年も同じような年になるかもしれないがぼちぼちと謙虚にやっていきたいものだ。お芝居や映画を観て、美術館などにも行き、本も読み音楽も聞き、そして「知らない」ことを知っていきたい。と、まじめにしめくくってしもた。

上村松園展

京都国立近代美術館に行ってきた。上村松園は、高校の時に年賀状の素材として画集を買ったことがあったが、上村松園が有名な画家であるという認識はなかったし、どんな画家であったのかと思いをはせることも、その当時はなかった。

しかし、ひょんなことから知りあった竹田朋子さんが「青眉の人」という舞台で「上村松園」を演じることになり、そのお芝居を拝見して「上村松園」の一生を知った。いや、心に刻みつけられたというほうが正しいかもしれない。

今まで屏風に描かれたような日本画で心を動かされたことはほとんどなかったが、今日はその美しさに圧倒された。まず女性の顔立ち、体のライン、しぐさ、どれもが美しい。また、どれひとつとして同じ柄の着物はなく、模様や色合いが絶妙で気品さえ感じる。

その中で特に気になったのが、下の作品である。本物はもっと色合いははっきりとしているので、申し訳ないが…。

一枚目は「吹雪美人図」。強い風に着物の下の方がはためいている。その着物や長襦袢のラインやら色合いがなまめかしくて美しく感じた。松園36歳の時の作品。

二枚目は「梅下佳人」。49歳の時の作品。これには一番しびれてしまい、しばらくこの前に佇んでいた。ものすごく色気と気品を感じるのだが…。

三枚目は「青眉」。59歳の時の作品。母親の幼い頃の姿を描いたものだ。顔の表情がとても可愛らしいのだ。それに緑色の傘の内側と着物の色の組み合わせが美しい。

もちろん、これ以外にも素晴らしいのはたくさんあって、別の日に行けばまた他の作品が好きになるかもしれない。とても贅沢な展覧会だったと思う。