先日、毎日新聞で紹介があった「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」主催の「侵略戦争の実相を語る」に弁天町の学習センターに行ってきた。須子達也さん(90)の戦争加害体験がインタビュー形式で語られた。
中国人の命は豚と同じだと教えられ、戦闘場面では何の罪の意識もなしに中国人を殺していた。殺さなければ、次の日は逆に自分が殺されるかもしれないからだ。
ある村で逃げ遅れた中国人を捕まえて、運搬役に使った。しかし食べ物もろくに口にしていないその人はやがて動けなくなった。その中国人には用がなくなったので、その部隊の数人でよってたかって銃底で叩きのめした。溝の中に落ち込んだ中国人はその後どうなったかはわからないが、殺すことにためらいのない叩き方だったから死んでいるであろうと。
須子さんたちはやがてソ連に捕まり捕虜としてシベリアで5年間辛酸を嘗め、そして中国に送られた。そこが撫順戦犯管理所であった。しかし撫順ではシベリアと打ってかわり、食事はきちんと与えられ白米が出たりもした。暴力敵な管理も一切なく、ポケットにさえ手をつっこまれることはなかった。注文すればバレーボールのネットもすぐに用意してくれた。
ある日、肥溜めに飛び込んで自殺しようとした日本人を救おうとして、続いて肥溜めに飛び込み助けた看守がいた。声をつまらせながら須子さんはその話をされた。自分たち日本人は中国人にひどいことをしてきたにも関わらず、また自分たちは捕虜でありながら、そのような待遇を受けることに違和感を感じ、やがて次第に自分たちが犯してきた罪を認めるようになっていったそうだ。
僕は何も知らずにこの講演会に参加した。「撫順の奇跡」っていったい何なんだろうと思っていたが、須子さんのお話で次第に分かってきた。須子さんたちが日本に戻ってからは、中国共産党に洗脳されているということで仕事が見つからなかったり、警察につけられていたそうだ。
まだまだ知らないことが多すぎる。しかしそんな体験をしてきた人はもうこの世から消えつつある。歴史を歪められないように、ちゃんと勉強せねばと思った。