天保十二年のシェイクスピア

 

「天保十二年のシェイクスピア」を観てきた。原作は井上ひさしで、シェイクスピア全戯曲37作品の要素を様々な手法で盛り込んだ3時間20分もの大作だ。何度か上演されたことがあって本来は4時間を超えるらしい。確かに長くて後半は腰が痛くなってしまったが、とても面白い芝居だった。

芝居の流れも台詞もテンポが良く、言葉が洪水のように溢れかえっているが聞き取りにくいことはなく、すうっと耳の中に流れてくる。言葉に隙間がないのだ。アドリブなど入る余地のない完璧な井上ひさしの世界が構築されている感じだ。またポルノチックな言葉も平易に使われているけれど何故か下品には聞こえないのが不思議だ。

僕はシェイクスピアなどほとんど知らないに等しいのだけれど、それでも充分に楽しめた。でもシェイクスピアを知っていればもっと楽しめただろうにとちょっと悔しい。今後機会があればシェイクスピアの劇を知っていきたい。

とにかく、華やかでテンポが良くエロチックでコミカルで、役者さんたちのイキイキとした演技やパワーに圧倒されるお芝居だった。観て良かった!

国土防衛の戦士

一週間前、泉北で「大阪大空襲訴訟をしていますか?」という講演会があった。うずみ火新聞の矢野さんがメインで話されるということで、他の予定を取りやめて参加した。

その中で特に印象に残っていることだけ書いておこう。
それは「時局防衛必携」だ。

昭和16年に防衛総司令部から各家庭に配布されたものらしい。中身は今から読むと失笑ものばかりであるが、「第三章 民防空」の「其の一 防空精神」には背筋が凍る思いがする。

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如何に物の準備があっても魂がしっかりしていないと役には立たない。特に防空の為には、老人も、子供も、男も、女も、一切の国民が次の心構え(防空精神)を持たねばならない。

1 全国民が「国土防衛の戦士である」との責任と名誉とを充分自覚すること。

2 お互いに助け合い、力を合わせ、命を投げ出して御国を守ること。

3 必勝の信念を以て各持ち場を守ること。

此の防空精神は即ち日本精神である。

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この必携に先立って昭和12年に「防空法」というのが制定されていたらしい。そこでは、空襲があっても家から逃げずに消火活動をしなさいとか、消火活動をしやすいために自宅の中に防空壕を作りなさいというような文面があったようだ。その為に死ななくてよかった命がいくつあったことか…。

七時やで七時!はよおきんかい!

 

ウィングフィールドで空晴「いつもの朝ごはん」という芝居を観てきた。

日常茶飯事の家族の営みは、その最中にある時は何も感じない当たり前の出来事で時には煩わしかったりするが、そこから巣立ちまだ志半ばの時には、それがとても懐かしくその情景の中に戻りたくなることがある。

「いつもの朝ごはん」はそんなモチーフの芝居だったように思う。

「七時やで、七時!早よ起きんかいな。いつまで寝てるねん。早よ朝ごはん食べ。うるさいな。もう遅いからいらん。何言うてんねん。食べていき。いらんっていうてるやろ。はい、お茶碗取んにおいで。はい、味噌汁。いっぺんに二つも持てるかいな。」

そんな会話が冒頭にあり、最後にも再び演じられる。こんな普通の会話なのに、最後の場面では何故かジーンとくるあたり、いいツボを押さえられてしまった感じだ。

八月のシャハラザード

劇団大地の牙の「八月のシャハラザード」というお芝居を観てきた。

—貧乏劇団の貧乏役者(天宮亮太)が海で死んだ。水死体役の練習をしている時に波にさらわれたのだ。水着で浮輪を携えた姿の亮太は夕凪という案内人に連れられ、あの世へと向かうシャハラザードという船に乗せられそうになるが、恋人(ひとみ)に一目会わなければ死ぬに死にきれないと、逃亡する。その頃、強盗犯(川本五郎)が、仲間に裏切られ瀕死の状態。そんな二人が偶然出会い…。亮太の恋人への想いと、川本の裏切られた仲間への復讐心が重なり、劇団員を巻き込んだ騒動へと展開していく。—

とても有名な芝居であったようだ。ネットで検索するといろいろなところで再演されている。キャラクターがはっきりしているので、やりやすいからだろうか。高校や大学の演劇部なんかがやってみたいと思うようなストーリーだ。

演出にもよると思うが、少しアニメチックに感じた。ファンタジーだから仕方ないとは思うが。でも、「死」に対するレスペクトが感じられなかった。葬儀の後で、いくら友人だったとしても亡くなった人の悪口を言うだろうか。恋人が亡くなったことがいくら信じられないとしても、現実感がないとしても、あっけらかんと笑ったり、一緒になって悪口を言うだろうか。このあたり観ていてしらけてしまった。いくらファンタジーでも超えてはいけないリアリティの喪失だ。

お芝居というのは、このあたりは演出でどうにでもなるのだろうか。それともこれは脚本の問題なのだろうか。現場を知らない僕はわからない。

そうそう、強盗犯川本五郎役の西村昌広さんは、なかなかカッコ良かった。昭和のギャングって感じで、ドキドキした(笑)。それとその仲間の梶谷役の南田明宏さんも、小心者の感じが良く出ていて、味があって良かった。

大人は、かく戦えり


大竹しのぶ主演「大人は、かく戦えり」という芝居を観てきた。

舞台には、二組の夫婦が登場する。子供の喧嘩の後始末に折り合いをつけようと、大竹しのぶと段田安則が演じる被害者側の家に、加害者側の高橋克実(レッドカーペットの人)と秋山菜津子が訪れているという設定だ。二組とも地位も教養もあるので、冷静かつ友好的な大人な態度で話し合っているが、次第に化けの皮が剥がれていき、罵倒合戦へと展開していく。さらに夫婦ケンカが始まったり、三人で一人を攻めたり、男対女になったりと敵味方の人間関係がシフトしていく。そしてやってられないと四人は酒を飲みだし、ゲロを吐いたりと、さらに泥沼と化していく。

切符を購入したのが遅かったので、一番後ろの25列目になってしまった。役者の顔はあまり見えなかったけれど、観客席はよく見渡せる位置だった。観客の反応はやはり前の席のほうが良く、始まってすぐの頃は前のほうから笑い声がよく聞こえてきていた。しかし、中盤頃には会場全体に「笑い」が浸透していき、僕の後ろに立っていた会場案内係の女性まで大きな声で笑っていた。(ちょっと耳障りだった。)

「笑い」の波に乗せられてしまうと、なんでもないことまで自然に笑ってしまっている自分がいる。凝り固まっていた脳と心をほぐされていく感じだ。とても幸福な時間の過ごし方だった。

ちょっとうれしい

ドシロウトなりに正直に書こう。
つまらなかった。

なぜ観客がそこまで笑うのかわからなかった。昔からのファンが集まった同窓会だったんだろうか。 演者と同じくらいの年齢層の方が多かったように思う。

オムニバスの中に即興芝居を取り入れたものだったらしいとパンフを見てわかった。即興などはファンには面白いだろうが、イチゲンサンにはあまり魅力的なものでもない。役者の個性や劇団のことなどを知っているのと知らないのとでは、面白みが全然違うだろうし、それらを知らなかった僕にとっては、即興のようには思えなかった。おそらくベテラン女優ばかりだったので、どんなシチュエーションでさえやりつくしているだろうかあら、逆に即興的な感じを出すほうに苦心したのではないかと、勝手に思ったりする。

おそらく脚本があったと思われる「母の骨」は、芝居をあまり観たことがない僕にとっても、ステレオタイプな展開で、この劇団があえて演じる意味が伝わらなかった。悪い意味での既視感であったように思う。

「音楽選定委員」は、面白かった。森本さんの微妙な間で笑わせてもらったが、家族が小さな卓袱台を囲んでおでんをつっつく「茶の間」は、あまりにも古典的な笑いで、ため息がもれてしまった。「お父さんの卵があったんだよ」って、なんかサブイボが出てしまった。でも、大半の観客は笑っていた…。

パンフには“世の中を変えていくのは「笑い」と「人の役に立ちたい」という思い”と書いてある。確かにそうであるが、この程度で世の中は変わらんやろうと思った。 一生懸命さは伝わったが、心は何も動かされなかった。単なる「笑い」だけではなく、そこから垣間見るものが何かないと虚しいような気もする。

大阪マクベス!!!

「大阪マクベス」観てきました。案の定、橋下批判のお芝居でした。いや、「橋桁ノボル」っていうひとが主人公でしたけど。

10年後の大阪でのお話です。三期務めた橋桁は、いよいよ大阪市をつぶして関西州大阪都を作ることに成功します。その大阪市には「下田三助(島田紳助?)」が市長としてヨシモトから送られていたのでした。

そして州知事には「高井屋十一(堺屋太一?)」が収まる予定でしたが、下町で出会った魔女の三人にそそのかされ、州知事になろうとします。そして橋桁は…。

様々な人物が登場します。「宅間勝代(勝間和代?)」「小鼠偏一郎(小泉純一郎?)」「西河(西川きよし?)」「横山ノック」「桟敷さかびん(やしきたかじん?)」などなど。

お芝居としてはハチャメチャで整合性がないような気もしますが、橋下嫌いには、やんややんやの拍手喝采もんです。彼のファシズムなところがよく表現されていると思います。府民の怒りをよくぞ芝居でやってくれたって感じです。(ほんまに橋下は支持率が70%以上もあるのでしょうか。とても信じられないです。)

橋下にも観てほしいですが、彼がこれを観ると「法的手段をとるぞ」と脅しそうですね。芝居の中にも、この劇をやったばっかしに劇団つぶされてホームレスになったという台詞がありました(笑)

まだ「山の声」から離れられない

良い芝居を観た後は、いつまでたってもホカホカと心を温めてくれるような気がする。くじら企画の「山の声」は未だに僕の心の一部を占めている。その原案となった「孤高の人」を読み終えて、「山の声」の脚本も読んだ。加藤文太郎の「単独行」という本も手元に今日届いた。

「孤高の人」では加藤文太郎の孤独について多くの描写があった。孤独を追い求めながら孤独から逃げようとする冬山でのロンドのような戦い。無性に誰かと語りたくなるがそこには誰もいない。生き物が一切存在しないのだ。しかし生身の人間が観ることができないほどの荘厳な景色がそこに繰り広げられる。

孤独って何なんだろう。身近なほんの数人が居なくなるだけで、もう僕は孤独だ。孤独に向きあえば向き合うほど、孤独であることが鮮明に浮き上がってくる。どうすれば孤独であることを忘れられるのかということを考え始めた時から孤独が始まる。

愛妻家であり子煩悩であった加藤の人柄やその人生をもっと知りたくなった。これから「単独行」を読んでみようと思う。

さて、明日は「大阪マクベス」を観に行く。ポスターの図柄はどう見ても大阪の知事のように見える。そう、あのなんでもお金でしか物事を考えることができない独裁者がマクベスってことなんでしょう。かなり楽しみだ。