台風前夜

立て髪が鼻をくすぐる七夕の半径三億光年の夜

君の背の匂いをさらう夜の風二の腕がこんなにも冷たい

あかときの微熱の我を撫でる風サンダル擦れの傷跡痒し

門哉彗遥

若狭湾原発大震災

6炉内中継装置(3・3トン)本体の撤去が行われたばかりで、もし空気に触れるような失敗などをしていたら、福島原発以上の災害になっていただろう。そんな危険性があったにも関わらず、世間は静かなものだった。そんな大変な作業が行われていたことも知らない人がたくさんいたことだろう。

今回の作業で17億5千万年かかったらしい。もんじゅは維持費だけでも1日5500万円だそうだ。どんなけ湯水のようにお金を使っているのだ。東北の被災地の方にはたった十数万円程度の義援金さえ届いていないというのに。

とにかく原発などいっさいいらない。若狭にも何処にも。なにひとつ良いことがない。嘘をつきながらの運転はやめよう。電気は原発がなくても足りる。原発の電気料金は高い。原発はCO2を排出する。ウランは石油よりも埋蔵量が少ない。原発はどんなに厳重に作っても安全は保証できない。そして原発が生み出す核廃棄物は何万年も地球に人類に悪影響を及ぼし続ける。なんでこんな簡単なことがわからないのだろう。

纐纈あやさんの決意

6月11日に神戸で講演会があり、「祝の島」の監督の纐纈あやさんと小出裕章先生がお話をされました。その時の最後に、纐纈さんが締めの言葉として話をされたのが、とても素晴らしく感動的でした。YOUTUBEではその部分がカットされているので、下に文章で残しておきます。

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小出先生のお話を聞いてその一言一言から全身全霊をかけてお仕事をされているということを感じました。震災の時は私は東京に居たのですが、本当に怖くて家の外に出たくない出られない、仕事もしたくないという気持ちでいっぱいでした。マスコミから聞こえてくるものも政府が発表する内容も、一番必要な言葉は何一つ語られませんでした。でもその時にある言葉を思い出しました。

本橋監督が「ナージャの村」という映画を撮るきっかけになった汚染地域にたった一人で住み続けているナボーキンさんというお爺さんが居るのですが、その彼にどうしてこんな所に住んでいるのかと聞きましたら、怪訝そうな顔をして「人間が汚した土地だろう、何処へ逃げろと言うのだ」と答えたそうです。それ聞いて本橋監督はハンマーで頭を殴られたような気持ちになって、映画を撮ることを決意したそうです。

そのナボーキンさんの言葉を私は思い出したのです。その瞬間に私は恐怖から解放されたような気がしました。私はまだ独身で、できることなら家庭を持ち、子どもが授かればいいなと思っていたので、自分の体のことも含めて、とっても恐怖があったのです。でも、彼の言葉を思い出したときに、自分の子どもを残すということよりも、今いる子どもたち、そしてこれから生まれてくる子どもたちのために、自分の命を惜しみなく使いたいと本当に素直に思いました。そして今日、小出先生の言葉を一言一言聞きながら、本当に勇気が湧いてきました。

私自身これから何ができるか、でも、それは私が死ぬまで一生追い続けていかなければいけない責任だと思っています。祝島の方たちの応援をずっとしていくのと同時に、福島の方たちとどういうふうに繋がっていくか、自分の命と隣の命を同じように大切にして、自分ができる精一杯のことをしていきたいと思っています。

革命日記

青年団第62回公演

『革命日記』

作・演出:平田オリザ

会場:ぽんプラザホール、ノトススタジオ、AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)

『革命日記』(2010) ©青木司

『革命日記』(2010) ©青木司

組織は腐敗する、革命は堕落する。いかなる組織も、いかなる革命も。

都市近郊の閑静な住宅街。ごく平凡な家庭が、二つのテロを企てる過激派集団のアジトになっている。
空港突入と大使館襲撃。日常を引きずりながら突き進む、彼らの革命はどこへ向かっているのだろうか。

『トイレはこちら』『この道はいつか来た道』

http://blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/e/8514943db63f1dc97c903a11ec4576fc

第三十五回大阪春の演劇まつりの第二弾であります。別役実の、共に男一人、女一人。道具も、照明もそう凝ったことをしなくてもできる芝居。しかしその分、演出と役者には高い表現力が求められます。

『トイレはこちら』は、首つり自殺をしようとする女と、トイレの場所を道行く人に教えることで百円もらう仕事を始めようとする男との、かみ合わない会話と、なぜか部分で見ると、変に理屈が通っている不条理劇です。同じ別役の芝居で男女二人の『受付』という芝居があります。人によっては『受付』を高く評価し、この二本の芝居を低く評価するものもありますが、この劇団きづがわさんの芝居を観て、そうでもないな……いや、『受付』のように変な批評性が無く、人間への温かい視線に的を絞って、上演されたことによって、わたしの中での別役作品のランク付けが変わってしまいました。人生に生きる目的を失った女が、トイレの場所を教えることで稼ぎにしようとする男に「そんなことで、稼げるわけがない」と、論争することに生き甲斐を見いだし、そのうち男は自分自身がトイレに行きたくなり、実は、その近辺にトイレがないことが発覚。笑わせてくれる。しかし、その掛け合いの中で人間への愛おしさを感じてしまうのは、新発見でした。別役=不条理=よう分からん。という図式だったのが後述の『この道……』とあわせて、分かりやすい芝居に見せてもらえたのは、演出と、達者な役者さんの演技であったと思います。

別役さんの芝居は不条理でありますが、演技そのものには、とてもリアルな演技をする力が求められます。わたしは、演出するときのクセで、役者が台詞を喋ると、喋っていない役者に目がいきます。きちんと聞いて、反応できていないと、どんなに自分の台詞を上手に喋っても、芝居そのものは痩せたリキミだけの芝居になりますが、役者、特に「女」を演った、橋野さんはきちんと舞台で生活できていて、生きた演技になっており観客のみなさんの反応もよかったように思いました。

『この道はいつか来た道』は、ホスピタルを抜け出した男女が、電柱とポリバケツのある、ある場所で出会い(度々会っていることは、芝居の後半で分かります)会話が始まり、男が「結婚しませんか」というあたりから、いっそう話が面白くなり、飛躍と思わせる展開も、ホスピタルの話が出てくるあたりから、なるほどと納得させられます。 役者さんはお二人とも、お達者で、安心して見ていられました。ポリバケツをあたかも人格のあるもののように扱ったり、互いに半端な道具を出し合い、お茶にするところなど、笑いながらもほのぼのとさせられます。ただ中盤以降、なぜか芝居が、緩みというか、ややリアリティーを失います。失うといってもけして破綻はしません。役者さん二人は自然な呼吸の中で芝居を続けられました。下手な役者だと力みかえったり、どうかするとアドリブに走ってしまうのですが、そういうことはいっさいありません。ラストの雪が舞い散る中、二人の死を暗示させる、ほのぼのした幕の下ろし方は大したものであります。

ただ、前回の息吹さんと同様に、観客の人たちの年齢の高さには、少し驚きました。これは劇団自身長続きしてきたことの証明でもあると思うのですが、若い人たちにも観てもらいたいな、と思いました。前回の息吹さんも含め、今の高校演劇が失ってしまったもの、ドラマの原点がありました。大阪府高等学校演劇連盟の先生や生徒諸君にも観てもらいたい作品でありました。

最後に、小屋の狭さはいかんともしがたいものがあります。膝つきあわせての観劇もいいし、赤テント、黒テントになじんだ世代でもあるので「ま、いいか」とも思うのですが、もう一回り大きな額縁で観られたらなと感じました。ま、これは、そういう施設を無くしてきた行政の問題であり、各劇団は、その中で懸命にやっていらっしゃることは、よくわかっております。

どうです。若い人たちもこういうお芝居を観にいきませんか。きっと得るものがあると思います。

劇作家  大橋むつお