「橋下の濁流はどこへ行く?
いま問いなおすファシズムの歴史と現在」②
~なぜ、いま、ナチズムの過去が想起されるのか?~
1933年1月30日、ヒトラーはドイツの首相に大統領によって任命された。そして1945年4月30日に彼が自殺をするまで首相であり続け、その間を第三帝国時代とも呼ばれる。もし私がその時代に生きていれば、確実にヒトラーを支持していただろう。それは、今の日本とは比べ物にならない程、その当時のドイツは悲惨な現実を抱かえていたにも関わらず、ヒトラーはそれを打破し、人々に希望を与え夢を与え、そしてその夢を部分的ではあるが実現させたからである。
第一次世界大戦後(1918年)のドイツ国家は、天文学的な多額の賠償金のために、経済的に悲惨な状況に陥れられ、そして何よりもドイツ人としての誇りを失ってしまっていた。そこに現れたのがヒトラーだった。
実は、第二次世界大戦後、西ドイツの地方自治体や政府が国民に対して繰り返し「ナチス時代をどう思っているか」という世論調査を行なっていた。ところがその結果は政府の思惑とまったく違ったものになったので公表されずにいたが、1970年代に情報公開法ができた時、その内容が明らかになった。「ヒトラーの時代は良かった」というのが過半数だったのである。それまでは、そんな結果であったということは知られていなかった。
ナチス時代が終わり、強制収容所、絶滅収容所などが明らかになった時点においてでも、「ナチスの時代は良かった」と思っていた国民が過半数だったのである。その良かった理由として一番目に、「ヒトラーは失業をなくした」ということがあげられる。ヒトラーが政権をとった1933年、完全失業率は44%であったが、1938年には1.9%にまで引き下げられた。その翌年に戦争が始まると、労働力が不足となりマイナスの失業率となったしまった。その労働力を補うために、オーストリア・チェコなどの占領地からまずは自由応募を行い、そして強制連行を行った。このことを、その当時の日本の御用学者たちが研究をして、政府に提言したのが、朝鮮や中国からの強制連行であった。
二つ目は「社会の秩序や治安の回復」、三つ目は「身分差別を無くしてやる気のあるものを重用」したという理由があげられている。ドイツには元々、ホワイトカラー(額の労働者)とブルーカラー(拳の労働者)との間に大きな差別が存在した。それを、ヒトラーは権力を持った最初のメーデーの日を「ドイツ的労働の日」と銘打って、花トラック(トラックの車体を花で飾った)を走らせ、その荷台の上にテーブルを設置して、ブルーカラーとホワイトカラーに一緒にビールを飲ませるというような、差別を無くすためのパフォーマンスを行ったりした。また、ヒトラーユーゲント(ヒトラー青年団)においても、親の職業や地位に関わらずヤル気さえあれば、ステイタスを意図的にあげていった。そして四番目の理由として、ドイツ人としての誇りを持てるようになったことがあげられている。
ナチスはこのようなことを、約束をして、そして政権を握っても着実に実現していった。約束の段階で、既成政党は違っていたので鰻登りに得票率はあがっていった。そして第1党となった時、直ちにヒトラー独裁のための措置をとっていき、わずか5ヶ月で独裁政権が完成した。
ヒトラーは合法的に政権を獲得したのは否定できないが、しかし、記憶に留めておくべきことは、ナチ党は最後まで、得票率では過半数を超えたことはなかったということである。過半数を獲らなくても第1党となって政権を握れば、人類史上最も民主的な憲法を持った国でさえ、それが出来たのである。ましてや既にボロボロとなってしまった日本国憲法を持つ日本において、例えばある政党、あるグループが政権を握った時、なんでも出来てしまうことは明らかである。しかも選挙棄権率が高いために、実質数割ほどの得票率で政権を握ることが出来てしまう、さらに情けないことに既成政党が為す術もなく、ハシモトに擦り寄っている現実に対して、私たちは甘く考えてはいけない。
ドイツ共産党とドイツ社会民主党は、ナチ党に最後まで反対した政党である。選挙に勝てないと判断した時に、共産党員の間に「まずヒトラーを干させろ、そのあとから我々がいく」というスローガンが流れた。どうせヒトラーなどはいずれ化けの皮が剥がれて、国民の信は落ちるはずだ、その時こそ我々の出番だと言う意味である。武装闘争をしてまで、ナチを食い止めるなどという積極的な活動は諦めてしまっていた。だから、どうせハシモトなど大したことはできないと放っておいてはいけない。マスコミでハシモトの支持率が少し下がってきたという報道があるが、ナチスも実は、政権をとる直前に支持率がさがったことがる。
~ヒトラーとナチズムと「国民」との「絆」は?~
ドイツ国民は、一生懸命に生きなければならないが故に、ヒトラーを支持したらどういうことになるか目に見えなかったのが現実だろう。そこで唱えられていた改革なるものは、今の「維新の会」の改革と重なって見えることが多い。例えば「敵」とか「非国民」、つまり日本人(ドイツ人)らしからぬ人に対する攻撃、こういうものがナチスの売りであった。だから自分はドイツ人だと思っている人は、ドイツ人としての誇りを持てるようになったということだ。
ナチは「生きる価値のない存在」を作った。それは、同性愛者、身体障害者、精神障害者、アルコール中毒者そしてユダヤ人とジプシーたちだ。そして彼ら彼女らを絶滅させる法律まで作った。遺伝的な障害であると医師が決定すると、男女に不妊手術を施した。さらに、安楽死という措置、そして安楽死に至るまでに人的資源の活用として、人体実験のモルモットとして扱われた。これがナチによって極めて合理的にそして合法的に行われたのだ。このようなことはドイツ人は知っているはずだし、知らなければならない。にも関わらず、ドイツ人であることが誇りに思えただとか、生活が安定しただとか、ヤル気があれば出世する社会であっただとか、それは一生懸命に生きている時に見えていない典型的な例である。
私たちがハシモトを支持する風潮の中に見ることが出来るのは、とても悲しいことではあるが、これらナチス時代のドイツにとても近いのではないかと思う。ハシモト現象を考える時に、「在特会」の存在も見つめなければならない。在特会は仮想敵を作って、この社会の中で一番苦しい位置に追い込まれている人たちを人間ではないかのように扱っている。そしてそのことに、私たちの中にある種の共感を呼びおこしてしまう現在、私たちがそういう貧しい状況に押し込まれているということだ。そしてそれがハシモトを持ち上げている濁流の力である。
ナチは、「生きる価値のない存在」をスケープゴートにして、人々の安定感を生み出して行くとともに「自給自足」という政策を打ち出してきた。諸外国との関係を打ち切らなければ、大国の従属化におかれてしまう。だから戦争をしてでも自分たちの生存権を拡大しなければならないという目標をはっきりと持っていた。「自給自足」は今では考えられないことで、むしろその逆のことが行われている。「自給自足」は他者を認めないことが基本理念であって、それによって自立を確立することである。
ハシモトは「自立した国家、自立した地域を支える自立した個人を育てる」と唱えているが、関係の中で自分たちの生き方を考えるのではなく、「ヤル気があれば認められる」、「中国人や韓国人に馬鹿にされない日本人としての誇り」というものが、ナチと何処かで重なって見えてくる。例えば、決断、断定、強さといったものが、プラスのイメージで描かれているのが、そういうふうな意味での「自立」のスローガンとぴったり重なっているように思える。
維新八策には「ほんとうの弱者を大事にする」と書かれている。ほんとうの弱者は何かを考えることも大事ではあるが、社会の中で差別され、無念な思いをして生きてきた人たち、その思いが、自己を解放し、自分たちを踏みつけてきた人たちを変えていくことによって、自分たちの本当の意味での自立を闘いとっていく方向にではなくて、新しい被差別者を作りだすような自立としてしか実現されようとしていないことが、日本維新の会に関して残念なことである。
~最後に~
何かに反対や異論を唱えると、為政者たちは「対案を出せ」という。「お前たちを立案をする責任者として選んできたのだから、お前たちが方針を出せ」と今までは返してきたが、しかし、もう今はそれをしてはいけないのではないだろうか。個別の具体的な案をだすということではなく、「私たちがどんな生き方をしたいか」それを「誰とともにしたいのか」という関係を含めた私たちの生き方をはっきりと討論して、イメージを創りあげていかなければならない。これが、濁流に呑まれないための私たちの一つの仕事ではないだろうか。