オリンピックの身代金

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 「この先はもっといいことがありそうな気がする。自分は二十四歳で、戦後日本は二十歳にも達していない。身の回りのすべてが青春なのだ」と登場人物の一人が語るこの言葉に胸が切なくなる。

 高度経済成長期の日本は、おそらくほとんどの人たちはそのような気持ちを抱いていたのではないかと想像する。明日の私は今日より少しはお金持ちだと。

 あまりにも急激に成長したために、いろんなものを日本人は見過ごしてきてしまった。戦争の総括、人権問題、環境問題…見て見ぬふりをしたのか、目にも入らなかったのか。もちろん気づいていた人たちもいたのだが、伝え方を間違ったようだった。

 多くの人たちは目先にぶらさげられた「お金」に操られてしまったのだ。そしてその恩恵は全ての人に与えられたのではなく、貧富の格差はうめられることなく多くの人柱の犠牲の上で、経済成長はなされてきた。

 だから作家奥田英朗が、東北の貧農に生まれた東大生・島崎国男を一人のテロリストとして昭和39年に送り込んだのだ。オリンピックの妨害を盾にして身代金をせしめようとした彼は、私たちの贖罪である。そして今、何の呪縛も解かれていないことに、私たちは気づかねばならない。

 国威発揚としてのオリンピック。選手にはなんの罪もない。しかし国家は選手たちのピュアな精神を利用しようとしているのではないか。政府はオリンピックよりもしなければならないことがあるだろ。原発事故の処理は何も終わっていないではないか。いまだ線量が高い日本に、海外の人たちを招いていいのだろうか。オリンピックは目の前にある問題から目をそらせるために使われている。

子どもの頃、僕は夢を操作することができた。
自分の見たい夢を見ることができたのだ。
それは高いところから、飛び降りる夢。

「どうか、崖の上に立ってる夢をみますように…」
強く念じながら眠ると、気がつけば崖淵に立っていた。
「ああ、これは夢なんだ。」
見下ろせば、遥か下で、岩に波が砕け散っているのが見える。

「さあ、飛び降りるのだ。でも、もしこれが現実だったら…」
僕は迷って恐くなり、足が震えた。
多分、飛び降りることが出来なかった夜もあったように記憶する。

でも、その時は飛んだ。
宙に舞った。
つま先から股間そして胸の奥まで風が通り抜ける。
そして、落ちて行った。
「わぁ!」

目が覚めた瞬間、まだほんの少し失落感を感じた。
でも、意外に早くに目が覚めすぎて、あっけなかった。

いつの頃からかそんな夢を見なくなった。
いや、見ようとしなくなったのか。
そう、そんな努力もしなくなったのだ。

近頃、夢など見た記憶もあまりないが
見たとしても現実とそんなに違いないか
随分違っていたとしても、すぐ忘れてしまうのかもしれない。
子どもの頃に見た夢は、鮮明に覚えている癖に。