ハンナ・アーレント

ナチス政権によるホロコーストに関与し、数百万のユダヤ人を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったアドルフ・アイヒマンを、ハンナ・アーレントは「凡庸な悪」と名付けた。また、ユダヤ人の中にもナチスへの協力者がいたことも暴露した。それらのことにより彼女はユダヤ人社会のみならず多くの人々からバッシングを受けることとなり、親しい旧友さえも無くすこととなった。

ハンナ・アーレントは、アイヒマンの行為を“人類への犯罪”としたのだ。それは病床に伏したクルトとの会話にも表現されている。

「同胞に愛はないのか?もう君とは笑えない」

と言ったシオニストのクルトに対して

「一つの民族を愛したことはないわ。ユダヤ人を愛せと?私が愛するのは友人、それが唯一の愛情よ。Ich liebe dich.」

と彼女は答えるが、もう彼が振り向くことはなかった。

ラストの教室での講義が圧巻であった。聴いていて身体が熱くなり涙が溢れそうになった

「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考が出来なくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです」

「“思考の嵐”がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなるとです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」

凡庸な悪ゆえ、“アイヒマン”は至る所に存在し、いっぱい見てきた気がする。誰も責任をとろうとしない日本人の官僚的気質はまるで、そのものだ。そして自分自身もなり得る可能性は十分にある。いや、すでにいろんな場面で加担してきたかもしれない。

色んな意味で大変な年になるかもしれない年明けにこのような映画を観たのは、何か示唆的でもあり、力をもらったような気もして、幸運であった。

かぞくのくに

静かな映画だった。その静けさの中に、さまざまな感情が塗り込められていたように感じる。しかしその感情の振幅に振り回されるほど、僕はその背景や歴史をきちんと把握できてはいない。

だから中途半端にしか勉強してこなかった僕にとっては、もやもやとしたものが残っている。もっと知らなければと、そういう思いが先に立つ。

彼の国の批判はいくらでも出来るが、「地上の楽園」を目指さざるを得なかった日本の社会というものが、どうであったのか。映画ではまったく語られていないだけに、逆に胸が塞がる思いだ。

彼の国へ急に帰国せざるを得なくなった時に妹を慰める言葉に、「思考停止は楽なんだ」と言いながらも妹には「お前はいっぱいいっぱい考えて、いろんな所に行くんだ」という台詞があった。

私たち日本人の大半は、今や自発的に思考停止してしまっている状態だ。とりあえず今の生活さえオモシロ楽しく生きていけりゃいいと。そう、此処こそがまるで地上の楽園であるかのように。

そんな様々なことを考えさせられてしまう良質の映画だったと思う。