国民の映画

「ユダヤ人問題の最終解決」について演説をした悪名高きナチス高官のヨーゼフ・ゲッベルスを主人公とした舞台「国民の映画」を観てきた。三谷幸喜作品なのでライトな喜劇かと思っていたが、必要最小限に抑えこまれた上質な笑いだけに絞りこまれ、シリアスな喜劇であった。

ゲッペルスは「プロパガンダの天才」と言われ、ラジオや映画を駆使してその辣腕を発揮した。ゲッペルスは無類の映画好きであり、映画人たちとの交流も盛んであった。また殺生与奪権を握られている映画人たちは取り入られるよう媚びながらゲッペルスの周りに集まるのである。

舞台は、ゲッペルス邸でホームパーティーが開かれるという設定。そこにはドイツ映画界の大物たちから愛人の新人女優、ゲッペルス婦人の元恋人の作家などが呼び集められ、そこに、警察長官のヒムラー、航空相ゲーリングまで現れ、さまざな人間関係が描かれていく。

そして、ひとつの終焉に向かって舞台は進んでいく。実在でもなく、モデルもない登場人物が二人登場する。一人はピアニスト。登場人物を装いながらの生演奏での音響担当である。そしてもう一人は、執事のフリッツだ。三谷幸喜が作り上げたこの物語のための人物だ。ユダヤ人絶滅計画を立てているナチス高官が、執事にはユダヤ人を雇っているという設定だ。ゲッペルスの映画の知識は全てフリッツから学んだもので、フリッツが居なければ映写機さえも操作することができない。フリッツがユダヤ人であることは、映画業界の中では、暗黙の秘密であった。

しかし、招待客の一人がつい口を滑らせてしまう。「やっぱり執事はユダヤ人に限るわね」と、ヒムラーの前で。そこから舞台は圧力が一気に増していく。それまで映画のことを熱く語っていたゲッペルスが、ユダヤ人の最終解決に関して語りだす。収容所でガス室が建設されるので、一気に多くのユダヤ人を消滅させることができると。

ホームパーティーも解散し、ゲッペルスと婦人のマグダが二人になった時のマグダの台詞。「明日から寂しくなるわねぇ。彼は親切だったのにねぇ、ユダヤ人のわりには」

この全てを引き裂くような台詞に鳥肌がたった。少なくともフリッツはマグダと一番心を通わせていた間柄だったからだ。またマグダは、女狂いのゲッペルスとは違い、そんな夫のことを諦めつつも、純真な乙女心を持ち合わせた人物として描かれていたからだ。

ほとんどが実在の人物ばかりで、台詞も史実に基づいたものばかりの中で、ただ一人架空の人物を入れることによって、物語を作り上げていくという手法は、三谷幸喜自身も少しずるいと書いてはいるが、なんだろうこの気持、いい舞台を観たあとは自分も何か創作してみたい気持ちがふつふつと湧いてくる感じ、かと言って今すぐ何かを創るのではないけど、何かいいものを頂いたというような気持ち。映画を観た後とは、また少し違う何か。だからやっぱり演劇はいいなぁ。