野火

唯一、主人公の田村が笑う場面がある。
彼を拒否していた野戦病院の軍医が目の前で機銃掃射に遭い、頭が吹っ飛ぶ。そして病院も燃えてしまう。燃え盛る病院の前に突っ立ったまま、彼は笑う。でも、映像的には背後の火事が明るすぎるので、田村の姿はほとんどシルエットだけなのだが、何故か白い歯を出して笑っているのが見える。この映画の「狂気」の始まりだった。

田村がひとりジャングルを彷徨い、対峙する自然はあまりにも荘厳で、もしかしたらこれも狂気なのかもしれない。肺を病んでいる田村は真っ赤な血を岩の上に吐く。灼熱の岩の上で、その血が沸騰する。赤黒い花が咲き乱れていくようだ。肺病の吐血までアートに描こうとする監督の狂気を感じる。

ハリウッド映画などで「これが戦争の実相だ」とか「強い絆で結ばれた男たちのドラマ」とかなんとか宣伝された戦争映画があるけれど、この映画と比べたら、笑止千万ものである。この映画に「匂い」がなくて本当に良かったと思う。もし匂いがあったら貧血で倒れているか、ゲロまみれになっていたことだろう。

そしてヒューマンなドラマなど一切ない。どうやって自分が生き残るか。食うか食われるかの駆け引きだけの「餓鬼」となってしまうのだ。太平洋戦争での戦死者230万人の6割にあたる140万人が、この「餓鬼」にさせられてしまった。これこそ、戦争の実相だ

消されたマッコリ。

「ほろよいブックス」シリーズの中の一冊なので食文化のウンチク本なのかなと思ったら大違い。戦前から戦中戦後にかけて日本に来ざるを得なかったコリアンの歴史と生活と戦いが描かれている。

舞台は大阪最南端の「多奈川」。そこで、コリアンたちの生活のための密造酒が作られる。当時は「多奈川一級酒」と呼ばれ、近畿一円に広まっていたらしい。今でもあるのなら飲んでみたいものだ。

そしてその摘発で、コリアンが一人射殺されている。「多奈川事件」と呼ばれているそうだ。新聞では、警察官3人で赴いたところ拳銃を奪われそうになったので、もみあっている最中に発砲したと報道されている。しかし、筆者は当時目撃した人を見つけ出し、警察の発表とかなり食い違っていることが、この本に書かれている。警官は一人だけで、拳銃を奪おうなどとしていなかったそうだ。その殺されたコリアンの娘さんは、老年になってから識字学級に通い、そこでその時の悔しさを作文にしている。「わたしが男だったら復讐していたのに」と。

あん

いつも思うけど、河瀬直美監督の映画って、なんであんなに役者さんたちが自然な演技になるんやろう。役者さんたちだけでなく、スクリーンの中にあるものがすべて自然で必然のように見える。車の音とか子どもたちの嬌声とか風の音とか犬の鳴き声とか、セリフと重なっているのに邪魔にならない。カメラワークも人の目のように優しい。なのでいつもきっちりフレームの中に入っているとは限らない。カメラが追いつけないシーンもあったりする。だからこそ、観客も違和感なく映画の中に入っていけるのだろうか。纐纈あやさんの映画と共通する。

そして樹木希林さんは樹木希林ではなく徳江さんなんだ。あずきを蒸している蓋の上に頬を寄せるシーンにふいに涙が出てきた。徳江の姿があまりにも美しすぎて。徳江の透明感がたまらない。

差別から徳江を守れなかった千太郎(永瀬正敏)が、徳江の作った餡を食べながら涙を流すシーンも、同じように涙がポロポロでてきた。

泣けるから良い映画だと言っているのではない。なんていうか心をとても揺さぶられるし、たぶん何度観ても、その度に新しい発見がありそうな映画だと思う。