杏仁豆腐のココロ

自分は想像力が豊かで感性が繊細なほうだと思っていた。書物でも映像でもすぐ影響を受けて感情が揺るがされるからだ。しかしだ、離婚そのものやそれに関しての感情の動きだけは想像できないのだ。いや想像したくないだけなのかもしれないが。

今日観た「杏仁豆腐のココロ」は離婚の手続きも終わり引っ越しの準備途中で散らかったままの部屋でクリスマスの夜に過ごす夫婦の物語だ。お互いこれからどんな所に住むのかとか仕事の話しなど、友人のようにさばさばと、いやどちらかと言えば余所余所しくもあり、とってつけたようでもあると思えるような会話をしている。感情のもつれなど感じなく、どうして離婚するまでのことになったのか想像がつかないが、世間はこのようなものなのかと思ったり、僕には理解できなかった。

しかし、半分を過ぎたあたりからセックスの話になり、女のほうがもっと触れ合いたかったとか、そうと思えば男がジャージをおろし女に襲いかかったと思ったら、女は急に泣き叫び全身で男を拒否する。そう、女はセックスができないトラウマを持っていたのだ。その原因は、二人の赤ちゃんの死産だった。

女は死産してしまった責任と、そして自分だけが痛い思いをしたことで苦しんでいた。しかし、実は苦しい思いをしたのは夫も同じであったことが、会話の中で明らかになっていく。前半の軽いテンポから一気に重いテーマに入り込んでいった。

なるほど、そんなことがあったのであれば離婚も選択肢の一つになってしまうかもしれないと思った。嫌いでもないのにも関わらず夫婦でいることが、悲しみを思い出させることになるのは辛い。悲しみを思い出さないために、核心に触れないために、二人は余所余所しい会話を続けてきたのだろうか。そしてそのことに疲れてしまったのだろう。

離婚の手続きが終わって初めてお互いの悲しみや辛さを分かち合う二人。それは亡きあかちゃんへの弔いとも言える。やり直したいという女。それは出来ないという男。クリスマスソングが終わるまで抱きしめてと女。抱き合う二人。イエスキリストの降誕の日に。

お召し列車

芸術作品というのは、どう感じるかは人それぞれで、どれが正しいとか間違っているとかはないと思う。そして僕自身もそんなに数多くの作品に触れたわけではないので、僕がこれから書くことは誰かが気にするほどのもでもなく、それなら書くなと言われれるかもしれないし、まあそうかなとも思ったりするが、素人の戯言として読み流してほしい。
嫁さんが観劇好きの友人からちらしをたっぷりもらってきた。お金もないので、そんなに見る気もなかったが、ぱらぱらとめくっているうちに目が止まったものがあった。それが「お召し列車」だった。その言葉には天皇が利用する列車と、ハンセン病患者が運ばれる列車という2つの意味があるらしい。それを東京オリンピックの海外観光客へのおもてなし企画の選定のために走らせた列車の中での出来事という設定であった。
幽霊が居て、アンドロイドが居て、福島原発事故訴訟団弁護人が居て、新幹線大爆破予告あり、ドローンが飛び、さまざまな政治的なセリフがあり、殺陣があり、今上天皇Xデイの話しがあり、もうこれでもええかというほど多くの要素が詰め込めれている芝居であった。当然、メインのハンセン病に関しての歴史的なことに関してや、隔離施設内でのことも、当事者として語られていく。
社会のさまざまな出来事は、それぞれ独立したものではなくすべて繋がっている。特に負の遺産に関しては今の社会を醸成している大きな要素であると思うから、この芝居において表現されている多くのことは当然であるべきなことなのはよく分かるし、自分も本を書くことがあれば、伝えたいこと訴えたいことをてんこ盛りにしたいと思うだろう。
でもだ。鑑賞者が考えたり感じたり、その上で調べたい知りたいという余白を残して欲しかったと思う。いや、まだまだ余白は残っているのだろうが、この社会に対する「怒り」をもっと「ハンセン病」にフォーカスした上で笑いと涙でぶちまけて欲しかった、説明はいらないからさ。
渡辺美佐子さんのお芝居は凛として可愛らしくてさっぱりしていて、女を感じた、人生を感じた、歳を感じなかった。最後に記憶に残る台詞を。
「幸せをどうやって測ればいいの?」