ブラックか?

昨日、アーサー・ビナードさんの講演会の打ち上げで、つ●は●という店に行ったのだけれど、団体客がたくさんおって超満員で、店員を呼んでもなかなか現れないし、当然注文してもなかなかこない。

最初の乾杯さえも、少しずつ飲み物がくるので、始めることもできない。いらいらするのだけれど、よく見ると、高校生ぐらいの女の子が一人で3つの団体の60〜70人を相手に、奮闘している。なんか見ててかわいそうになるぐらい。

「大変やな。目まわりそうやな」と声をかけると「はい!ありがとうございます」と笑顔で返答してくれる。もうしゃ〜ないから、みんなの注文聞いたり、飲み物や料理を運ぶのを手伝ってあげた。どうせ大人数で騒がしく、隣の人の声ぐらいしか聞こえない状態だったし、お手伝いに専念した。おかげで、ビナードさんとは一言もしゃべれんかったわ(笑)。

露の新治さん「柳田格之進」

当たり前のことですが、世の中には僕を待ち受けている「感動」がまだまだたくさんあると思います。

映画に於いてもそれを確信する作品があるのですが、まだ観ておりません。でもそのことが「好きなおかずを最後に食べる」ような感じで、僕を幸せにしています。

そして昨日、大きな「感動」に出会うことが出来ました。それは落語に於いてです。数年前、志の輔さんの「中村仲蔵」を聴いた時にも感動したのですが、今回は露の新治さんの「」です。「人権高座」でも思わず込み上げてくるものがあったのですが、その後の「柳田格之進」で表面張力を破ってしまいました。まるで映画を観ているようでした。季節の移ろいまでが映像として脳裏に焼き付いています。いまだに余韻に浸っています。

露の新治さんについても以前からお知り合いの方にずっと薦められてきていました。この度その方がこの場を作って下さったのです。感謝です。

戦前の平均寿命が50歳をきっていったことを思うと今の僕はまるで「余生」ですが、でも新治さん曰く、余った人生とはなにごとか、余生などという言葉は自分を貶めるものである、余ったのではなく与えられた「与生」なんだと。

なんのために「与えられた」のか。おいおい考えていきましょう(笑)。とりあえずは「感動」を求めて彷徨います。

零戦パイロットからの遺言

「戦争が憎い」と訴え続けた元零戦パイロット原田要さんのラストインタビュー。自ら海軍に志願し優秀な成績で零戦パイロットとなった原田さんは、数々の戦闘で多くの敵機を撃ち落としてきたが、三度も命を失いかけた。

真珠湾攻撃とミッドウェー海戦では、軍艦「蒼龍」から零戦を発着させていた。しかし、ミッドウェーで蒼龍が沈めらた時、帰る空母がないので「飛龍」に着艦したそうだ。原田さんが操縦していた零戦は使い物にならなくなっており、整備兵が海に落として、一機だけ残っていた零戦に再び搭乗して飛び立った瞬間に飛龍も着弾して火を吹いた。(もしかしたらこの時の整備兵は瀧本邦慶さんだった可能性はないだろうか。今度お会いした時に聞いてみよう。)

原田さんはその後、鹿児島の鹿屋で軟禁される。ミッドウェー海戦に大敗した事実が広まらないようにである。(そのあたりは呉の病院に軟禁された瀧本さんとまったく同じである。)そして原田さんは軍艦「飛鷹」に乗ってガダルカナルに行くが重傷を負って呉の海軍病院に運ばれる。(ここでも瀧本さんとニアミスしている。)

鳥肌がたったエピソードのひとつを書く。原田さんが敵機を追い込み100mほど接近した時に、相手は振り向いて、もう追いかけるな、助けてくれというような素振りをしたそうだ。敵機はやがて田んぼに突っ込んだが、原田さんはとどめをさすのを諦めて帰還したのだが…2001年にその人とイギリスで再会を果たしている。「戦争で生き残ったものがいるなら互いに許し合うべきだ」という二人の思いが通じ合ったそうだ。

原田さんが零戦パイロットになった当初は、自分が敵機を撃ち落としたり、地上に爆弾を落とすことについてはなんのためらいもなかったそうだ。その先を想像していなかったからだ。敵機に乗っている人にも家族や友人や愛する人がいることや、落とされた爆弾の下にいるそんな人たちがもがき苦しむことを。ひとりでも多くの敵を殺すことが自分の使命だと思っていた。ところが、仲間の命を見捨ててでも作戦を遂行しようとする軍のやり方に次第に疑問を持つようになり、自分自身も何度も死線をさまようになって、その愚かさに気がついていった。

原田さんは、瀧本さんとまるっきり同じことを言っている。兵士が死んで行く時に「天皇陛下、万歳」などという台詞は聞いたことがないと。みんな「おっかさん」と言って死んでいくそうだ。知り合いの子どもに戦闘機に乗りたくて自衛隊に入隊した人がいる。そんな人たちに読ませたい本だ。この本は小中学生でも読めるように活字が大きくルビもふられているので、多くの子どもたちに読まれることを願う。原田さんは昨年の憲法記念日の日に99歳で鬼籍に入られている。

MW

去年、実家の本棚に置きっぱなしだった手塚漫画を持って返ってきた。20年ぐらい前に読んだきりだったので、すっかり中身は忘れていた。

冒頭の手塚治虫の言葉
「従来の手塚カラーを打ち破り、あっけにとられるようなピカレスクドラマを書いてみたいと思って、この物語の構想を立てた。ありとあらゆる社会悪ー暴力、裏切り、強姦、獣姦、付和雷同、無為無策……、とりわけ政治悪を最高の悪徳として描いてみたかった。が、今となって遺憾千万なのは、すべて描きたりないまま完結させてしまった、自らの悪筆に対してである……。」

むごたらしい猟奇殺人に淫靡な同性のセックスシーン。これが1978年の作品とはとても思えない。

作中にビアズリーの絵が模倣されていて、いかにも男色な快楽主義的でそそられる作品だ。10数年前に映画化されているが、男色なシーンは一切ないらしい。10数年前でさえ、世間は手塚作品に追いつていなかったということか。

英雄なき島

硫黄島戦での元海軍中尉の証言だ。

アメリカが行った戦闘で、唯一自国の死傷者が相手国よりも多かったのがこの戦いだ。では、硫黄島にいた陸軍海軍がそんなに猛者だったのか、ということではない。戦闘が始まる前に、すでに結果は出ていた。

水がほとんどなく、光を遮る樹木もなく、地熱も高く、至る所で二酸化硫黄が吹き出るような島で、兵士たちはまず壕を掘ることを強制された。掘ればガスが吹き出し、壕の中は50℃になるそうだ。ひとり最大10分ほどの作業しかできない。それを、島のあちらこちらに、地下30mまで掘っていったそうだ。風が通らないとガスや熱気で窒息するので、必ず両側から掘っていった。そんな作業で、ほとんどの兵士は病人になってしまい、老人のようにトボトボとしか歩けないようになっていた。

そして米軍が硫黄島に上陸した。ペリリュー島での戦い方を真似て、米軍がすべて上陸してから一斉攻撃をする作戦にでた。しかし、想像を絶する艦砲射撃で通信網は断線し、壕から壕へ行く道に迷ってしまうほど地形が変わってしまう。そんな中で、病人のような兵士にどんな戦いができたのだろう。

米軍側の死傷者が多かった謎については、証言者の推測で書かれている。米軍にとっては日本の新兵器だと思ったそうだが、記録には残っていないらしい。どんな新兵器なのかについての記述はやめておく。日本軍の生き残った数が多かったのは、壕にこもって戦わなかったからである。真っ裸で壕の中で息を潜めていたようだ。

話は変わるが、満蒙開拓団の引揚者の方から、話を聞いた時に思ったのだけれど、いつ日本に帰れるかも見通しがなく、乞食までしながら、生きようとしたのは何故なのか。本人に聞いても、「死ぬことは考えなかった。ただ生きていただけ」と返ってくるだけで、僕には理解できなかった。

しかし、この本の中で、壕の中で暮らすうちに、人間としての理性がなくなり、動物のようになってしまうと、水を求め、食べ物を求め、ただ本能で生きているだけで、自殺などは考えもしなくなっていたと書かれていた。やっと腑に落とすことができた。

人間の理性を奪うのが戦争だ。死ぬか生きるか。自分が生きるためには、友達であっても殺すことができるのが戦場。優しさや思いやりがあっては生き残れない。少しでも強靭な肉体があれば、ただそれだけでいい。しかし人間から理性がなくなったら動物などというのは動物に失礼だ。地獄を彷徨う餓鬼そのものだ。硫黄ガスが吹き出す島には相応しかったのかもしれない。

【追記】
この方は瀧本邦慶さんと同じ追浜航空隊を3年後に卒業しているそうだ。