遠い夏のゴッホ

土の中で将来、一緒に地上に出てセミになろうと誓いあったゴッホとベアトリーチェのふたり。ところが、ゴッホの計算違いで、1年早く、ベアトリーチェを残したまま、ゴッホはセミになってしまう。セミの命は長くて一ヶ月。でも、ベアトリーチェとの約束を守りたく、出来るだけ鳴かずに長生きしようと決意する。でも、そんなゴッホにさまざな試練が待ち受けていた…。

とても、美しい物語だった。
変わっていくものと変わらないもの。
ゴッホは、変わらないものを守り続け、やがて奇跡を起こす。

ナマの舞台で観たかったなぁ。

大当たりの相続人

「大当たりの相続人」という芝居を観て、思い出した言葉があった。酒豪S弁護士の105歳のおばあちゃんから聞いた、「お金とゴミは貯まるほど汚い」だ。汚くなるほど、溜まったことがないけど、なんとなく分かる(笑)。持っていないもののヒガミかもしれないが。

で、この芝居のテーマも「お金」で、小料理屋を舞台に物語が展開する。宝くじが当たっても、その3000万円よりも「友情」を壊したくなく当たりくじを燃やしてしまったり、大富豪に援助すると言われても、「お金」よりも「亡き夫との思い出」を大切にするために断ったり、でも、友達の夫の医療費捻出のためには「亡き夫との思い出」をも諦めようとする。そんな潔い女性(小料理屋の主人)が主人公のお芝居だった。その上、むっちゃ別嬪さんだった。俳優座の桂ゆめさんって方ですが。惚れた。

他の役者さんたちも、個性が際立っていて、自然な演技が素晴らしかった。韓国の役者さんも母国語しか話さないのに、違和感もなく(もちろん字幕つきだが)、舞台に引き込まれた。

 ああ、でも僕が宝くじ当たったら、絶対に燃やしたりしない。買ったこともないけど。

憲法BAR

毎月月末の金曜にあるうずみ火の憲法バーに参加した。世間はプレミアムフライデーだが、これもプレミアムな憲法学習会だ。なんせお酒を飲みながら、講師である酒豪の定岡弁護士のレクチャーを聞きながら受講生はその場で思ったことを好き勝手に話すことができるのだから。緩やかで温かい時間が流れる。まるで日本国憲法のような(ってほんまかい)。

昨日も、ビビッときた瞬間があった。それは…
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憲法のそれぞれの条文を読み解く時、心に留めておくことは「なぜこの憲法が作られたのか」だ。それは前文の中にある「政府の行為によって再び戦争の惨禍がおこならないように」の一行である。
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シンプルで骨太で大切なことだ。忘れんなよ、政治家たちよ。忘れんなよ、自分たち。

もう一つ、おおおっと思ったこと。条文の中にでてくる「国民」という単語。
この単語は、デリケートな言葉だ。特に、デモなんかで使われる時、嫌な気分になる人達がいる。「国民なめんな」とか。嫌な気分になる人たちがいるのなら、使うべきではないと思う。ヘイトスピーチじゃないんだから。

で、憲法の中にでてくる「国民」という単語は条文によって、解釈が変わってくるそうだ。例えば、人権に関する条文では、「国民」には日本にいるすべての人をさしているが、参政権に関する条文では日本国籍を有するものに限定されるとか。

なるほどと思った。しかし、これは日本国憲法の弱点でもあると思った。もし、僕達が憲法を変えるとしたらそのあたりも、解釈としてではなく、誰が読んでも解き違えないような表現にすべきだなと思った。

しかし、それでも、やっぱし日本国憲法って素敵だなって思える時間だ、この憲法バーは。

 

中橋公館

先の大戦で、中国大陸からの日本人の引揚げは、満州などからについては、多くの記録は残っているそうだ。しかし北京に在住していた日本人の引揚げについては、あまり記録にないので、そういった意味でも、この芝居は貴重だそうだ。

数十年、北京に住み着いてきた日本人が、敗戦により日本へ帰らなければならなくなった時の、その心境が、現在の私たちには、あまり想像できるものではない。どんな意識を持って植民地で暮らしてきたのか、それは多分人それぞれだろう。

この戯曲は、作家の体験を元に1946年に書かれたものであるから、生々しいものだったと思う。それ故、植民地支配をしてきた側であることが、あまり心的な負担になっているようにも感じられない。きっと、当たり前のように北京で暮らしてきたからだろう。日本人の奥ゆかしさを、中国人に話すエピソードなども鼻白んでしまう。


しかし、それとは対照的に、主人公の父の存在が素敵だ。医師として、アヘン中毒患者の治療で、中国全土を渡り歩いてるという設定だ。豪放磊落で、82歳にも関わらずで、ご飯を一度に7杯以上は食べていたのではないだろうか。最後はお櫃を独り占めるシーンは笑ってしまう。通州事件では、日本人でもあるにも関わらず馬賊に救い出され、その親分にご馳走になったというエピソードも語られる。


だが、最後には、主人公である息子に、父として家族を一度も顧みなかったことを批判され、落ち込んでしまう姿は哀れだった。


敗戦直後の芝居なので、長ゼリフや臭いセリフがあり、ちょっとしんどいところもあるが、現代でも十分に見応えのある芝居だと思う。と、偉そうに(笑)。

 

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1945年の日本敗戦時。北京に住む中橋一家の日本への引き揚げまでを描く。日本人におけるエゴイズムのあり方を掘り下げた作品。8月15日の正午。中橋家の居間。中橋勘助(かんすけ)と老母あや、妹らが集まり、玉音放送を聞き終えたところ。そこへ、勘助の父の徹人(てつと)が遠方から帰宅する。徹人はすでに82歳という高齢でありながら頑強な肉体を誇り、明治30年から、50年来継続してきた慈善的な医療奉仕に、今なお中国大陸を駆けまわっていた。長男の勘助は父と対照的に、幼少時から病身で繊細な性格だが、常に不在の父にかわり、嫁いだ妹たちとその家族も含めてこの地に暮らす中橋一族の支柱の役を担ってきた。勘助のひとり息子の良助(りょうすけ)は熱烈に予科錬(よかれん)を志願して、今、内地で終戦を迎えている。家族が不安と焦燥に駆られるなか、徹人だけは、日本軍の農兵隊化を説くなど、まったく現実離れした認識しかもたず、周囲をあきれさせる。晩秋になり、ようやく勘助の采配のもと、中橋家の人々の生き残りの道がみえてくる。一家は引揚船で帰国することにするが、高齢のあやはその旅に堪えられそうもなかった。徹人の誕生日の夜、家族が北京での最後の賑やかな夕餉に顔を揃える。勘助は以後の計画を家族に語り、父徹人には北京を離れずにあやを扶養することを強く求める。自らを「公人」と言い、かつて一度として家族を顧みることのなかった父を、人格ゼロの利己主義者と罵り、これまでの精算を求めるかのように激しい言葉をぶつけるのだった。しかし、それはまた妻と別れ、良助の教育を母や妹たちにすべて委ねてきた自分への、父と似た一面を持つ自らへの自戒にもつながっていた。初冬、引き揚げの前日、家族が荷造りをするなか、あやは勘助に自分は北京に残ることを述べる。徹人、勘助、良助へとつながる男たちの性質を知り尽くした彼女は、勘助にこの上なく慈愛に満ちた助言を与える。この日、徹人の曾孫にあたる男児がこの地で誕生する。勘助らが旅立ってから5日、急に静かになった中橋家の居間で徹人はようやく自分の一生が終わりに近づいたことを感じ、長い間嫌悪してきた日本人の血の絆というものにわれ知らず縋ろうとする。その姿をあやと恵子がじっと見守るのだった。

漢口慰安所

元漢口兵站司令部・軍医大尉の長沢健一氏による軍医として接した慰安婦の実態や、慰安婦に関わる様々なことが描かれている。例えば、漢口の町に、慰安所を設置するために建物を接収するところから始まり、慰安婦を調達する女衒のこと、診察の方法、慰安婦のこと、客である兵隊のこと、看護婦のこと、そして引揚げまでのことを、ちょっと上から目線で最後まで書かれている(笑)。

読み物としてはかなり面白い。彼の書いていることが、全て真実であるのなら、やはり地域や、歴史的時間、出会う人によって、慰安婦の捉え方もいろいろ変化するものなんだと思う。長沢氏にとっては真実なのであろう。事実はひとつだが、真実は、立ち位置によって変化するものだから。

乾いた蜃気楼

女は椅子に座ったまま、ハーハーと肩で息をしてる。
男はポリタンクを運んできて、ハーハーと言ってる。
芝居が始まってから5分過ぎても、まだ3行ほどの台詞しか言ってない。
そんな感じで始まる。
何かイラッとする。
クーラー聞いた小屋なのに、暑く感じる。
喉も渇く。
男女で、扇風機をとりあっている。
このクソアツイのに、なんかエアロビみたいなこと始めてるし。
部屋散らかったままやのに。
男は、仕事、クビになったとか。
退職金もあまりもらってないよう。
ひなびた町なので、仕事もないとか。
せやのに、アメリカいかへんかと、女にいうとる。
クーラーもない部屋に住んでるくせに。
自転車もいましがたパクられたとか。
水道も止まってるし。
あ、それは滞納とかではなく、水道局の問題らしいが。
で、昔ツレやったやつが、NHKの集金人として登場してくる。
しかも、そいつは、元いじめっこやったみたいで、
交通事故で死んだという噂があったにもかかわらず
生きとったんかい。
で、またエキセントリックなやつで、勝手にしゃべって勝ってにきれるし

ま、そんな感じ。
ざらざらして、ひりひりした感情が
あとあとまで残る芝居やった。

Thanksgiving25

ある人は目を輝かせ、ある人は体を揺らし、ある人は手を空にかざし、時に奇声をあげ、時に数万人のほとんどが同じ行動をとる。まるで信者の集まりのようだ。

僕は時折、周りを見回し、向かいのスタンドや眼下に見えるアリーナを眺め、どこか入り込めない自分を感じていた。そんな自分が可愛そうでもあったりする。

アリーナにうごめく人たちは、まるで蟻だ。でも数万通りの生活そして人生を歩んでいる人間であって、そんな人たちが一同に介していて、たった一人のアーチストに心を揺らされている。僕はすごい場面に遭遇していると思った。

 もし、ここでそのアーチストが「安倍政府をみんなで倒そう」なんて言ってくれればなぁと、無粋なことを考えてしまう。もっと気楽に自由に政治のことを言えるようにならないのかな。どこかの社会主義の国ではないんだから。いやいや、資本主義のほうが恐ろしいのかもな。

今回のドームのライブは1回の公演で入場料の収益は、入場者が5万人とすれば約4億円になる。グッズの収益や交通機関などその他の経済効果なんか憶測すれば、全国の全公演で100億を軽く超えるお金が動くんだろうな。そのお金が、人を縛ってしまうんだろうか。口を縫ってしまうんだろうか。

「正義論」を観た

【あらすじ】
SNSの普及による人権侵害は、刑事事件における捜査協力者にまで及び、「特務情報保護下協力調査法」が成立、浸透してきた世界。ある大学で起きた殺人事件。この事件の担当になった「正義」に憧れる新米刑事は、特務調査員の心療内科医とともに事件解明に努めるのだが…。

【感想】
役者さんたちは頑張ってはったと思うのだが…。
罪人として収監されている心療内科医という設定であるのにも関わらず、どこかのビルの地下で簡単に会うことができるという設定に、まずリアリティが吹っ飛んでいってしまった。また、猟奇的な連続殺人が起こっているということも、「あれ?いつのまに殺されたん?」ってな感じで、うまく伝わってこなかった。そして、主人公の女刑事の回想シーンでのこと、両親が学校の先生で、両親と子どもが同じ学校に在籍するなんて、あり得ない。また、先生である親が子どもに対して、いじめられているにも関わらず「お前がいじめを解決せよ」って発言、そして罵声なども、あり得ない展開。
いくら近未来的な内容だとしても、納得できるリアリティが欲しい芝居だった。

二千七百の夏と冬

「歴史をつくっているのは国家や政治や経済ではない。歴史は恋が作っているのだ」

2700年前の富士山麓でのお話を、納得させる荻原浩って、やっぱし並々ならぬ作家さんだ。自然に溶け込んで暮らしていた狩猟型縄文人の男と、王に支配されていた農耕型弥生人の女が恋に落ちる話。引き込まれた!