罪だったり罰だったり

チケットをおさえた時に「罪と罰」も購入して上演までに読もうと思っていただのだけれど、そんな時間を生み出すことはできずじまいで。

だから、短編三作「罪だったり罰だったり」「Who are you? Why are you here?」「世の中は間違いに満ちていて、いつだって僕はそれを黙って見過ごす」だったのだけれど、二本目三本目が、「罪と罰」にどう関係するのかよく分からなかった。

一作目。

これは、癌を宣告され余命が少なくなったと感じた男が、高校時代に殺されてしまった同級生への復讐として、裁判では無罪になってしまった容疑者を殺害するのだけれど、真犯人は自分の父親であったという、あらすじだけで書くと、驚愕するような物語だ。

死を宣告された男が、死ぬ前に正義を実行したいと考え、法では裁ききれなかった殺人者を自らの手で葬り去りたいと思ったということなんだが、違和感を感じる。第一、その同級生というのは、友人でもなく、話をしたこともほとんどないという設定だった。殺害の動機があまりにも薄すぎるのではないだろうか。

男は殺害をして死体を処分するために実家に帰ってくる。そこで母親や妹夫婦たちと時間をともに過ごすのだが、僕はこの場面を観た時に、時間が遡って殺害する前の場面なのかなと思ってしまった。母親が男に「何か隠し事してないか」と問いかける場面があるが、とてもそんな様子に見えなかったからだ。

そして、真犯人は自分の父親だと分かった場面。それはとんでもないショックな出来事であると思うが、彼はそのショックよりも自分が間違って殺害したことに、すぐにシフトしてしまう。妹も然り。

短編などにせず、もっと人の心の動きを繊細に重厚に描いて欲しかったと思う。命に対して軽く扱っているように思われて、僕は感情移入が出来なかった。

笑の大学

 

演劇などにはこれっぽっちの興味などもなく
上演禁止に持ち込もうとしていた検閲官が
劇作家とのやりとりの中で
次第に演劇の面白さを感じ取っていき
友情さえも培わすようになっていく物語だ。

戦前戦中の国家は、演劇や映画を
国威発揚に利用するがため
大政翼賛会の中に組み込んでいった。

多くの文化人たちは、自分が生きていくため
家族を養うため、
自分の思想を捨て、
国家の言いなりになった。

面と向かって国家と闘った文化人は、
牢屋に閉じ込められ
拷問にあわされ、獄死した。

でも、国家に従っているふりをしながらも
強かに、そしてやわからに
どこかに自分の思いをしのばせながら
生きた演劇人もたくさんいたはずだ。

この笑の大学に登場する劇作家も
そんな人物として描かれている。
可笑しいけど、涙が出そうになる。

この芝居は極上の演劇賛歌だ。

関数ドミノ

09年版をDVDで観た。
14年版よりも少しだけラストに希望があるそうだ。
確かに、「ドミノ一個」で耳から血を出して倒れた彼女を
彼は助けることができるのかもしれない、そんな余韻を残した。

しかし、ドミノを嫌い憎んできた彼が
彼自身がドミノであったことに気づいてしまい
今後、彼はどう変貌していくのだろう。

彼自身が言っていた。
ヒトラーはドミノであると。
ドミノは神であると。

僕は思う。
彼を覚醒させてしまったのだから
その後の世界にも決着をつけるべきだと。
作家こそが、その世界の神なのだから。

エルネスト もう一人のゲバラ

 

 我が同郷堺の映画監督阪本順治が何度もキューバに赴き、取材を重ね完成させた作品だ。今のメジャーな映画界では取り扱われにくい素材であるが、監督をはじめ出演者やプロデューサーたちがゲバラファンであることから奇跡的に映画化することが出来たと監督が仰っていた。

 映画の中のエピソード、例えば、カストロが夜中に医学生たちを訪ねて不満はないかと尋ねたら、学生たちは便所が汚いとか飯が悪いとか答えて、その後バスケットボールを一緒にして帰った話とか、友人が孕ませた女性とその子供の面倒をフレディがみた話とか、これらは取材から得た本当の話であるそうだ。

 ゲバラやフレディに最高の敬意を払いながら脚本を書いたためか、その心労で監督は現地でご飯が喉を通らなくなったらしい。それを案じた滞在先のメイドさんが、自分の昼食のサンドイッチを、わざわざ一口かじって「食べて」と分け与えてくれたそうだ。あまり裕福でないので質素なサンドイッチだったけれど、それでも困った人がいたら分け与えるというキューバ人の優しさに触れたと仰っていた。

 映画の中でゲバラたちが広島に行くシーンがあるが、実はその直前までゲバラたちは堺の石津にいたらしい。石津にある久保田鉄工で耕運機に試乗していた。キューバの資料館でそんな写真も監督は見てきた。そして監督が言うには、

「そんなことを知っていれば僕は石津に行ったんですけどね、まだ一歳でしたけど」

 オダギリジョーが司会者から「ゲバラやフレディのような命を懸けて国を守るというのはどう思うか?」と聞かれた時に「今の日本は守るべきものなのかどうかわからですけど、僕の場合は命を賭けるなら映画でその使命を果たしたい」というような趣旨のことを言っていた。

 監督も言っていたが、派手な戦闘シーンなどは少ない。フレディが祖国ボリビアの解放戦線に参加するまでに至った経緯を懇切丁寧に描いているからだ。フレディの最期もあっけない。でも、それがリアルなんだと思った。

振って、振られて 2017秋

九条にある「座・九条」で「振って、振られて」という芝居を観てきた。

近未来の話で、第3次憲法改正(第1次:自衛隊の9条への明記および緊急事態条項追加、第2次:9条2項の変更)が行われ、ついに97条をはじめ10条から40条までの基本的人権の大幅改悪が行われた。これまで反対運動をおこなってきたN大学救助の林典子もついに国外へ脱出することになり、書類の整理をしているところへ、改憲派の椿が部屋にやってくる。そして…。

この戯曲は、くるみざわしんさんが、10数年ほど前、アイホールの想流私塾の塾生だった頃に、北村想さんが出した課題「日本国憲法」で、2000字の作品として書き上げたのが最初だったらしい。その後、書き足されて1時間程に膨らまし、戯曲賞にもノミネートされた作品だ。

 前説で作家のくるみざわさんが「面白いところは笑ってくださいね」と仰ったが、確かに改憲派の椿は、笑える人物として設定されてはいるが、僕は笑えなかった。もしかしたら10年前なら笑える余裕はあったかもしれないが、もう、この戯曲に描かれている世界は目前に迫っているので、息苦しくて、泣きたいくらいだ。椿のように無邪気に改憲を喜んだり、日の丸を掲げることにうっとりするような人たちは、実際にいる。

ほんとバッカみたいな世の中になってしまった。まるで、昔、筒井康隆や星新一が描いたかもしれないようなバカバカしい未来がやってきている。

最後にくるみざわさんが、声をかけてくれればどこでも上演しますと仰っていた。多くの方に観て頂きたい作品だ。何処かで上演しませんか?

仮説『I』を棄却するマリコ

I』ってなんなんだ。


インプット仮説
。これは、言語の学習者は彼らの現在のレベルより、僅かに高いレベルの言語のインプットを理解した時に進歩するとする。Krashenは、このレベルを「i+1」と呼び、「i」が現在の言語習得のレベルで、「+1」が次のレベルとの差分とした。

だとすれば、マリコは次のレベルに進歩したくなかったので、ウイングフィールドの窓から、ブロックを落としたのだろうか。いや、でも、マリコは監禁されていたのか。監禁されていたのは雄三ではないのか。だとしたら…。

いくつもの伏線が重なり合い、螺旋がごとく仮設が解かれる。香ばしい骨の香りが漂う周防町ウイング6階の一室。マリコは警察でさえたらし込むのだから、猫なんかじゃない、あれはきっと。

 

かさぶた式部考

 社会問題と和泉式部伝説、一人の障がい者を中心にして、その母と妻の思い、そして和泉式部の性愛など、様々なことがちりばめられた重厚な演劇だった。

 少し前に戯曲を読んだ。方言だらけで、読みづらくよく分からない。なので声に出して読んでみた。すると、情景が浮かんできて、映像として頭に入ってきた。それでも一部、分からない方言があったけど、なんとなく雰囲気で理解していった。

 で、昨日、舞台を観た。頭の中の映像と融合して、実体化していった。音読するだけでは分からなかった方言も、舞台で演じられるとすーっと体に入ってきた。

 そして特に後半の薬師堂の舞台は想像していたよりも美しかった。高い位置にある小さな薬師堂まで、自然木の小道が曲線を描き、造られていて、般若心経が書かれた長い布の束が、左右に空から垂れ下がっている。自然木の小道の下にも、般若心経の短冊のような布が垣間見える。そんな神秘的な舞台で、尼僧が豊市と絡む魔性ぶりが背徳的で艷やかだった。

 いろんな要素がからまり、まるで万華鏡のようなお芝居。かまどの火で照らされ赤くなった伊佐の顔だけが浮かびあがりながら幕が降ろされていく最後のシーンは印象的だった。

原因と結果とフライパンの狂詩曲

 

いきなり夫婦がしりとり会話をしている場面から始まる。
仲がいいのかなと思ったら、そうではなく離婚寸前のよう。
レストランの一室で、どんどん物語が展開していく。

しかし最初、時系列を組み替えていることが分からなかったので
あれあれ?とか、それはないやろ!とか文句言いたくなっていたのだが
最後のほうにその仕掛けを理解することができると
WOW!、なんて面白い!と思った。
あ、フライパンの意味もね。

このお芝居にはいたるところに、劇作家の長尾ジョージさんの分身がでているようで、とてもエネルギッシュで楽しいのだけれど、最後の、妻が夫の濡れたズボンを拭いているところなど、ちょっとしんみりさせられて、さすがだなと思った。