“私”を生きる


土井敏邦監督の「”私”を生きる」を観た。東京の三人の教師が登場する。一人は中学校の家庭科の先生で、卒業式の国歌斉唱で不起立を続け、三年間にわたり半年の停職処分を受けてきた根津さん。もう一人は小学校の音楽科の先生で、キリスト者として天皇制につながる「君が代」伴奏を拒否し、何度も理不尽な異動を強いられた佐藤さん。佐藤さんの祖父は、戦時中に天皇制に異議を発したために、獄中で拷問死にあったそうだ。三人目は、教育委員会による学校現場への言論統制に、現職の校長として初めて公に異議を唱えた土肥さん。

安倍内閣が教育基本法を変えてから、教育現場への締め付けは日増しに厳しくなってきている。その中でも東京都は、特にひどい状態だ。「自分に嘘をつきたくない、子供に嘘をつきたくない。」「天皇制を批判して殺された祖父と同じような目にあっている。」「教育の場から言論の自由を奪うとは、どういうことか。」それぞれの先生たちは、自分の信念を曲げることなく、それこそ命がけで戦っている様子が伝わってきた。

彼らの行動を全面的に納得して受け入れることは出来ない面もある。例えばある教師は「イデオロギーで行動しているのではない。」と言っていながら、3月31日に支援者たちが彼女の勤める学校の前に集まり、校舎に向かって彼女に対する処分への抗議を叫んでいる場面がある。そしてやがて当事者の先生が校舎の窓から「やめさせることは出来なかったわよ~!」と叫んだ。支援者たちは泣きながら喜んでいた。

これはどうかと思う。第一に処分をするのはその学校の校長ではなく、教育委員会であるはずだ。校長室にむかって叫んでも何の意味もない。しかも学校の前は住宅街だ。多分同じ学校の職員や近所の住民は嫌な思いをしたことだろう。僕はこの場面で、とても気持ちが引いてしまった。彼女の教育への情熱やら、自分の信念を貫き通そうとする思いは、僕はとてもかなわなく、頭がさがる思いだが、もし身近に彼女がいたとして、同じように行動したり彼女を支えたりすることは出来ないかもしれないと思った。

と、書いてはきたが、根本的には僕は彼ら彼女ら側に与したい。教育委員会は間違っているからだ。日本国憲法第十九条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」に違反しているからだ。

色んな意味で学んだり考えたりしなければならないことが、たくさんあったように思う映画だった。ひとつ言えることは、教育界そのものが、やはり危険な方向に向かっていると思わざるを得ないことだ。教育が滅べば国が滅びる…。