忘れたいのに思い出せない

膝を痛めて歩けなくなったセンリという老女が認知症にもなり、次第に体の自由や言葉を失っていく過程で発生する家族の葛藤や、ホームヘルパーがもたらすアクシデントを描いた物語り。

センリの息子はガンマという大学教授で、その一人娘のトオルという孫と三人で暮らしている。冒頭、トオルが妊娠したらしく、父のガンマと口論する場面から始まる。どうも夫となる男性はいなく、一人で生むという。ガンマはかなり、ヒステリックに怒る。分からないでもないが、それにしても寝たきりの母センリにまで辛くあたるのは、感情移入ができない。

でも、トオルだけは、祖母センリと心を交わしているようでこの物語に登場する唯一の救い主だった。

若いホームヘルパー・タマミが登場する。おそらく普通のヘルパーとして描かれているのだとは思うが、介護の研修を経験した僕にとっては、それでもやはり、老人への接し方に問題があると感じた。いくら認知症であろうと、まずは本人の意思を尊重するところから始めなければならない。有無を言わさない押し付けは、人格を無視していることになる。そんなふうに感じる場面が少しあった。また、ベッドから落ちているところを発見した時も怪我の確認も何もなしに、ベッドに戻すのは、不自然だ。

で、何よりも気になったのがヘルパーの研修としてきていたゲンブの存在だ。とてもやる気のない青年として描かれている。で、なんと、トオルの別れた彼、妊娠させた男であった。彼女の家とは知らずにやってきたことになっている。それはそれで良いが、トオルの元彼氏として描かれているのだからこの物語が終わる頃には何らかの変容があるのだろうと期待していた。

ところが、どんどんつまらない人物になっていった。介護の研修に来ているにも関わらずもうひとりの研修生に仕事を押し付けたりタンスの引き出しから貴金属を盗んだり、それをとがめたセンリが「ど・ろ・ぼ」と言った口を手で塞ぎ呼吸困難な目にあわせたり、悪行ばかりが描かれていく。

その彼が昔、いじめられっ子だったいうことだけは示されるが、それ以外の人物背景は描かれない。その上にだ、いつのまにか、ヘルパーのタマミの彼氏になっていた。なんの魅力も描かれていない男の。

終いには、彼が貴金属を盗んだことがバレて、家を飛び出して、車にはねられてしまう事件が起きる。そんなことで、彼を終わらせていいのか?彼を撥ねたのは、この家に出が入りしている市役所の役人ということだったが、いくらゲンブが悪いとしても、撥ねたほうの役人の台詞も軽く、とても人身事故を起こした人物の台詞ように思えなかった。いろんな場面で命を粗末に扱っていると感じざるを得ない。

僕は、このやる気のない青年ゲンブをもっと深く描いてほしかったように思う。人それぞれにそれぞれの人生があり、みんななんらかの問題を抱えている。登場人物の誰かを輝かせるためだけに作られた人物であるのならあまりにもうすっぺらで、可哀想だ。