ダークナイト ライジング

ハリウッド的な映画も好きだ。頭の中をからっぽに出来て、爽快になるからだ。ノーラン監督の「バッドマン・ビギンズ」を観た時は、今までのヒーロー物とは少し違う印象を受けたが、でもハリウッド的範疇からは逸脱してはいなかった。しかし第2作「ダークナイト」を観た時は衝撃を受けた。バットマンというアメコミのキャラを使って、こんなにも深い映画を作ることが出来るんだと感動した。言い尽くされてはいるが、ヒース・レジャーのジョーカーの存在感は圧巻で、は映画史上に残る悪役だった。

そして第三作「ダークナイト ライジング」を観た。ジョーカーが死んで7年が過ぎたゴッサム・シティ(ニューヨークに見える)には平和が訪れ、バットマンはもう必要とされなくなっていた。ブルース・ウェイン自身はジョーカーたちとの闘いで傷ついた身体も癒されることなく、杖なしでは暮らせない老いぼれた身体になっていた。また愛する人を失った心の傷で、屋敷の中に引き籠った生活を送っていた。しかし、ゴッサム・シティの地下では刻々と悪が息を吹き返す準備を始めていた。そしてブルースは策略にはまり全財産まで失ってしまう。ついに傷ついた身体のままで悪に立ち向かうが、簡単に打ちのめされてしまい、どこかの国の地下牢獄に閉じ込められてしまうのだ。

第2作で、バットマンは存在価値を否定され、その上ハービー・デント検事や警官殺しという泥を被りながら街から姿を消したけれども、なんとか生きてこれたのは、レイチェルとの心の繋がりを信じたからではなかっただろうか。しかし、本作で執事からレイチェルはウェインを愛していなかったことも伝えられる。そしてその執事さえもウェインの元を去る。とことん陥れられたバットマンに再度立ち上がる理由や動機はいったい何処にあったのだろうかと思う。僕には分からない。

そんな本質的な暗さとは裏腹に、物語は度肝を抜かれるような映像で展開されていく。冒頭の飛行機のハイジャックなど、考えられない方法でありながらもリアリティのある衝撃的な映像だった。そんな場面が随所にある。しかし残念がら第2作のような深みは無くなっていた。そこまで落とされたのなら、もうロッキーのように立ち上がらなければ仕方がなく、ハリウッド的に強引に結末まで進んでいく。地下牢はファンタジー過ぎるし、中性子爆弾の爆発の仕方は解せない。まるでアトムじゃないかと思った。アトムのように太陽まで連れていってくれたら納得もいくが、海で爆発させて大丈夫なのか。まだアメリカ人は核爆発を甘くみているんだなと思わされた場面だ。

またしてもバットマンの自己犠牲で街(いや世界?)は救われたのだけれど、最後にカフェでくつろいでいるウェインとキャットウーマンを執事が目撃する。ウェインはこちらを向いてウィンクまでする。これはどう考えても執事の見た幻としてしか考えられないのだが…。バットマンの遺志を継ぐであろうロビンの存在を匂わす場面もある。正直言って、これらの場面にはがっかりした。最初にハリウッド的な映画も好きだと書いたが、この映画はそれを超えたものだと思っていたからだ。期待度が高すぎたのかもしれない。