ふじ学徒隊


「ふじ学徒隊」を観てきた。
沖縄戦で動員された女子学徒隊は「ひめゆり」「白梅」「瑞泉」など10校およそ500人。激戦の本島南部では、ほとんどの学徒隊が半数近くの戦死者を出した。そんな中、わずか3名の戦死者にとどまったのがふじ学徒隊である。この映画は、その元ふじ学徒たちによって語られる証言映像である。

1945年3月13日、積徳高等女学校4年生56人に対し、軍の命令で合宿看護訓練が行われた。しかし戦況の進展で訓練もほどほどに同月23日に野戦病院へ配属される。隊長の小池勇助軍医少佐は従軍か除隊かの調書をとった結果、31名が除隊、25名がふじ学徒として勤務することになった。この点、他の学徒はどうだったのだろう。調書はとられたのだろうか。調書が取られたろしても、過半数以上の除隊者が他の部隊ではあったのだろうか。

戦況が悪くなってきた時に小池隊長は「こんなことになるのなら、みなさんを預からなければよかった。申し訳ない。」と学徒たちに謝ったそうだ。そして敗色濃厚となった6月18日に、軍部から学徒の解散命令が出される。他の部隊ではそれからの一週間で、野に放り出された学徒たちは壮絶な体験をして、たくさんの命が失われるわけであるが、このふじ学徒隊では、小池隊長は軍の命令に従わず、すぐには解散は出されなかった。

小池隊長は、戦闘が沈静化するのを待ち、6月26日、ついにふじ学徒隊に解散命令を発令する。最後の訓示は「かならず、生き残れ。親元へ帰れ」だった。青酸カリも手榴弾も渡されることはなく乾パンが支給された。そして学徒たちが出ていったあと、小池隊長は青酸カリを飲んで自殺する。

戦時中に軍の命令に従わないことなど出来るのであろうか。おそらく命がけの行為であったと思われるにも関わらず、人としての優しさを最後まで失わなかった小池隊長に尊敬の念を感じる。

最近の社会が、戦前戦中に似てきていると指摘する人がいる。確かにそんなきな臭さを感じる今、自分なりの考えやフィルターを持つことが大事だと思うし、「人権」というブレない視点が必要だ。そんな感性をもっと磨きたいのだ。