ひろしま



「ユー・アー・ジェントルマン。パパ、ママ、ピカドンでハングリ、ハングリー。」

これは原爆孤児たちが生き残るために広島を訪れた観光客にかけた言葉である。原爆死没者慰霊碑の周囲にそんな孤児がたくさん居たのだと思う。宮島の防空壕にある骸骨まで売りつけて生活していたのだ。設置された1952年当時は、慰霊碑から望む原爆ドームは、公園内にあるバラック小屋で遮られ、上のほうしか見えない。

そんな戦争の傷跡も生々しい1953年に、原爆の悲惨さを後世に残そうと日本教職員組合が制作した映画が「ひろしま」である。全国の教員約50万人が一人50円ずつ拠出し2400万円の制作費を集め、またエキストラとして広島市民を九万人を集めたという超大作だ。

手弁当のエキストラたちによって、原爆投下直後の地獄図会が再現された。その映像は圧巻で、本編104分中の50分がそれに費やされている。焼けただれた皮膚が指先から垂れるような特殊メイクはなかったが、エキストラ全員が頭から灰を被ったため、撮影後の市内の銭湯は全て無料になったというエピソードもある。また、監督の演技指導がなくとも、エキストラたちの両手は自然に前に出ていて、八年前のその日を思い出しながら涙を流して市民はヒバクシャを演じていたようである。

また女学校の教師役の月丘夢路は、所属プロ以外の映画に出ることが難しい時代であったにも関わらず、女優生命をかけてこの映画にノーギャラで出演した。
このような超大作であるにも関わらず、反米色が強いなどという理由で全国配給ができず、学校上映さえもままならず、そのまま陽の目をみずに埋もれていったのたが、この作品の監督補佐を務めた小林太平さんの息子・小林一平さんによって2008年から広島を皮切りに上映が再開された。原爆投下後の様子が映画史上、一番正確に描かれていると言われるこの作品が、できるだけ多くの人に観られ、原爆の実相が伝わり「平和のメッセージ」となっていくことを望んでやまない。