轟音-龍神村物語-

1945年5月5日、和歌山県田辺市龍神村殿原の上空に轟音を轟かせた一機の飛行機が現れた。空襲の経験のない村人たちには、まるで飛行機の悲鳴のように聞こえた。そしてその飛行機が龍神村の山間に墜落して行ったのだ。

その米軍爆撃機「B29」には11人が乗り込んでいて、7人が死亡した。現場では身体の一部が散乱していたり、木に宙吊りになって死んでいた人もいた。住民はそんな遺体に石を投げつけたりした。

生き残った4人のうち2人はすぐに捕まえられ、後の2人は山中に逃げ込んだが、数日後に捕らえられた。捕虜となった米兵は、憲兵隊が宿泊していた旅館に連れていかれたあと、御坊の憲兵隊へ、そして大阪へと送られた。町中を連れて歩く時、石を投げる人やら殴りかかる人もいたが、戦争に行った自分の息子を思い出し、白米のおにぎりを差し入れる人もいたようだ。

大阪へ送られた米兵は、国際法では捕虜は人道的に扱わられなければならないのだが、「B29は無差別攻撃をしたのだから、殺してもかまわない」などの理由で隠密に処刑されたのだという。大阪では52人、名古屋では38人、福岡では41人が処刑された記録があるようだ。

殿原では慰霊碑を建て彼ら11人を弔い、毎年慰霊祭をおこなっている。記録では1945年6月9日から行ったことになっている。ただこの点に関しては疑問が残る。慰霊祭の届けでは戦後に行われているからだ。戦時中に米兵の慰霊祭など行うと、スパイ扱いされるからだ。戦後、GHQから米兵への扱いについての追求を逃れ殿原を守るために工作をはかったのではないかとも考えられる。

しかし、映画ではその真相追求はさておき、戦後、慰霊祭を滞らせることなく、今も続けられているのは、龍神村の人々の心優しい気持ち、命を敬う気持ち、平和を尊ぶ気持ちがあるからこそだと、観ているものに訴えかけてくる。単なる工作であったのなら、70年近くも続けてこられるだろうか。

そして何より重要なことは、この映画を作ったのは大学生だったいう点だ。大阪芸術大学芸術学部映像学科の笠原栄理さんら9人が卒業制作として2010年12月から撮影に取り組み撮影テープは110時間にも及んだという。地元の人たちとも仲良くなり、心のこもった作品に仕上がっている。

笠原さんは「戦争について何もしらなかった。でもこの映画を制作する機会を与えてもらい、一つ一つの内容を調べながら作り上げていく中で、出会ったご高齢の方たちの生の経験を伝えていくことが、私の使命なんだと思えるようになってきた。驚いたことや胸が苦しくなったことを、伝えていきたい」と話していた。

素晴らしい作品だと思う。こんな作品作りの機会に恵まれた学生たちに嫉妬さえ感じるほどだ。そしてその機会を十分に生かし、歴史に残るような作品仕に上げた彼女たちに大きな拍手を送りたい。たくさんの人たちに観て欲しい作品だ。