忍び寄る影に抗して(10/19前半)

「橋下の濁流はどこへ行く?
いま問いなおすファシズムの歴史と現在」①

10月19日、エル・おおさかにて「南京大虐殺60ヵ年大阪実行委員会」主催の講演会があった。講師は京都大学名誉教授の池田浩士さん。金曜の夜にも関わらず、会場が溢れるくらいの人が集まり、クーラーをつけなければならないほどの熱気で講演会が始まった。先月、阪大大学院の木戸衛一さんによるナチズムの話を聞いたばかりであったので、また少し違った角度からのお話はとても興味深いものがあった。とても大事な話だと思えるので、自分の為に、講演内容をまとめておこうと思う。以下に記していく。

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濁流というのは橋下および橋下の仲間たちと言うよりも、橋下に期待を持っている私たちの隣人たちが濁流のように流れているというイメージである。

~南京大虐殺に関わるいくつかのエピソード~

今年は「南京大虐殺」から75年目になったが、その四分の三世紀という歳月が実りあるものであったのか、私たちは問われている。

小説家・石川達三は南京事件に関与したといわれる第16師団33連隊の特派員として取材し、日本軍が南京を攻略した様子を「生きてゐる兵隊」の中で描いている。1938年3月号の「中央公論」に掲載された。しかし自主規制で四分の一が伏字削除されていたにも拘らず、掲載誌は即日発売禁止の処分となり、掲載部分は鋏やカミソリで切り取られた。戦後、二つの出版社から刊行されたが、それによると、南京に向かっているその途上から日本軍は非戦闘員に対して、とてつもない虐殺と陵辱を重ねていたことが分かる。日本軍の一員である表現者がそれをしっかり描いていた。例えば女性を捕まえて強姦し、「惜しいなぁ」と言いながら銃剣で殺傷するそのような場面が生々しく描かれている。

とある従軍作家の日記によると、中支那方面軍の師団が九州から輸送船で杭州へ向かう途中、1937年11月3日(明治節)早朝、甲板で東方遥拝のあと部隊長からの訓話の記載がある。

「お前たち、ここでは敵に知れる恐れは一切ないから、今日は良き日であるので、言って聴かせる。敵は今日我軍が上陸してくると考えて手ぐすね引いて待っている。であるから我軍は敵の裏を書いて今日は上陸しない」

日本の軍隊は、記念日(天皇関係あるいは戦果があった日)に大きな作戦を行うことが常套手段であった、そしてこのことは他の国にも知れ渡っていた。それを逆手にとり杭州には1937年11月5日にほぼ無血上陸を果たしたのだ。
そして日本軍は北上し、12月1日、中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官松井石根(まついいわね)大将が南京城総攻撃を命令をくだし、13日南京城陥落の公式発表、17日に南京入城式が挙行されるにいたる。圧倒的な兵力を持った日本軍が南京城を占領するだけで12日間もかかり、そして、南京城を占領してからも中国軍や民衆の抵抗に手間取り、入城式をするまでに4日間も必要としている。このことから中国の軍隊及び民衆の抵抗がどれほど激しかったのかが伺われ、そして大虐殺があったと想像される。

さて、1941年12月8日は日本軍が真珠湾攻撃をおこない太平洋戦争が幕を切って落とされた日であるが、何故12月8日であったか。定説では飛行機の機影が見えない新月の日であったと言われるが、日本軍がそれほど科学的であったかは疑問である。1937年12月9日の新聞に「12月8日、南京城の一角をついに占拠」という記事を友人が発見して以来、このことが、日本軍にとっての大きな記念日であり、よってその日を開戦としたのであろうと確信する。

ゲーテと同時代の作家ジャン・パウル(本名ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター1763-1825)は「想像力とは遠い関係を発見する力である」という言葉を残している。「関係がない」としか見えない遠い関係に、実は関係があるということを発見するのは、人間の想像力である。無関係だと思われるような一つ一つの事実に対して、関係性を発見していくことが人間としてしなければならない大きな作業ではないかと、この言葉から教えられた。

ハシモト現象を考える時に、何故80年も前のドイツのファシズムを考えるのか。歴史に学ぶということは、一見関係がないと見えることの間に私たちが関係を発見していくということである。その現場では見えなかったことが、後から生まれてきたから故に見ることが出来ることもある。

~「輝かしい歴史」に満ちた「我が国」~

「我が国」という言葉が好きな人がいる。「我が国」の歴史は輝かしいものであった。大東亜戦争に負けるまでは「金甌無欠」という「天皇制国家は負けたことがない」という伝説があった。それは日本が「神の国」であるからである。天照大御神を先祖とする天皇家が日本をしろしめてきた。神武天皇は人間になってからの最初の天皇で、その祖母はワニザメとされている。このような建国神話から始まる荒唐無稽な話が戦前の教科書でまことしやかに教えられていた。

しかし戦後の民主主義で本当のことを教えられたのだろうか。1947年版小学1年生教科書「こくご」第1課には次のように書かれている。

おはなをかざる みんないいこ
なかよしこよし みんないいこ
きれいなことば みんないいこ

北村サヨさん(1925年生・元教員)は「きれいなことば みんないいこ」という表現は沖縄における「方言札」で沖縄の言葉を奪った歴史を忘れていると指摘している。戦後民主主義もやはり歴史を忘却したところから始まっている。そんな戦後民主主義の一つの到達点が、今の社会の現実ではないだろうか。

60年安保や70年の全共闘で世界の現実を変えようと闘ったあの時代が戦後民主主義の到達点だと思っていたこともあったが、今やその時代の人たちが自民党以上にひどい政治をしている、そのことは一つの到達点であると思う。

死刑廃止議員連盟の中心でありながら死刑議論を巻き起こすためにと言いながら死刑を執行する大臣、学生時代に死刑反対論者だったと公言しながらたくさんの死刑囚を殺した一代前の大臣。そんな人たちが登場することによって、何への道を開いてしまったのだろう。浜岡原発を止めた途端に菅直人首相が降ろされた後、政府は原発推進一途となり、私たちの希望であったかもしれない民主党は完全にハシモトへの道を開いてしまったことがとても無念である。それは、ハシモトにしか期待できない私たちそして私たちの隣人たちの責任である。

~「戦後」の到達点、ハシモトの濁流~

「維新八策」はまったく支離滅裂ではあるが、教育改革の中の「自立する国家、自立する地域を担う自立した個人を育てる」はとても重要である。なぜなら沖縄で起きていることを考えれば、私たちは自立した国家を持っていなく、アメリカの属国としか言えない状況である。また被災地に使われるべき災害復興予算が中央官庁の修理費になどに充てられている現実。自立できずに無念に思っている地域・地方がたくさんある中で、誇りを持って自立した個人であるといると言える生活を、極めて多くの国民は許されていない。若者が未来への希望も展望も持てない社会で、個人が自立できるはずがない。このような現在がハシズムと言われるハシモトに対するある種の期待や熱狂を広く蔓延させている。悲しいことに、かつてヒトラーが民衆のそのような思いを収奪して権力を握り、人類史上最大の汚点を引き起こしてしまったことを述べてみても、それは今と違うと多くの人は思う。

かつて、20世紀の思想家エルンスト・ブロッホ(ユダヤ人、1885-1977)は「生きられている瞬間は闇である」と言った。それは、今の瞬間を一生懸命生きていればいるほど、その現実や周りが見えなくなるのは人間の限界である。これは必ずしも悪いことではない。「恋は盲目」という言葉があるが、これは人間がもっとも懸命に生きている瞬間のひとつだ。その時は周りも自分も見えてはいない。コンラート・ローレンツという動物学者は、人間以外の動物の獲物に飛びかかろうとしている瞬間の脳波は、その前後と変わらないものを発しているが、人間は、大事な決断をしなければならない時は、その脳波は止まってしまうと言っている。脳波がとまるということは、周りの状況をキャッチできない状態であるということだ。

だからこそ、その状況で生きていなかった後の世代は、もう一度過去を追体験をし、それを体験した人との対話によって、周りが見えていなかったことを再発見し、歴史が共有されるのではないだろうか。後から生まれてきた者の役割はそこにある。ハシモト現象の濁流に飲まれて周りが見えていない隣人に対して、そうなっていない私たちがある一つの役割を果たさなければならない。

(続く)